狗も朋輩鷹も朋輩-3

文字数 2,293文字

 向こうが連れた手勢は五人。二人は個室の入り口で見張り役をしていて、これはオオハシが常に監視している。会長の背中を守る形で、面するソファの後ろに二人。女を挟んで会長の左隣に一人。フユトが注視するのはこの三人だ。
 露骨に見つめてしまわないよう、視線のやり場には注意しなければならない。飽くまでさり気なく、酌婦が水割りを作る手際だとか、客のグラスの水滴をハンカチで拭う仕草だとか、丁寧に結い上げられた項だとかを見るフリで。
 腹の探り合いが続いている。フユトはひたすら黙し、たまに酌婦の話に気もなく答えながら、シギが女どもを退室させ、テーブル下に隠したトーラスを握る合図を待つ。
「──と、言うことで、今後とも良しなに」
 会長のその一言で、会談は一応の幕引きを見た。平和に終わったからといって、拍子抜けしてはいられない。ピリつくフユトを目線で制しながら、右側の口角だけで嗤うシギが来賓を見送るために席を立つ、刹那。
 ソファの後ろにいた中年男の右腕が、不自然に動いた。着込んだジャケットの内ポケットに手を忍ばせ、そこに仕舞った何かを探る素振り。何気ない動きに反応したのはシギで、次いでフユトも鋭い視線を向ける。
 抜く。
 何がどう、と言葉で説明できない直感に、フユトは目の前のテーブルを蹴倒し、腰から抜いたデザートイーグルを寸分の狂いもなく真っ直ぐ構え、何の躊躇いもなくトリガーを引いた。
 赤い花が咲く。
 利き腕の肩を撃ち抜いて牽制した上で、もう一人が動く前に額へ風穴を開ける。マグナムの威力で死体が後背の壁にぶつかると同時、テーブル下に粘着テープで固定していたトーラスを取ったシギが、
「動くな」
 セーフティを外した銃口で、席を立とうと前屈みになった会長の喉元を狙う。
 この間、僅か三十秒。
 フユトの凶行に凄みかけた二人を黙らせ、且つ、命を確実に奪える距離で頭を抑える。打ち合わせ通りの流れ作業だ。
「絶対に殺すなと言っただろう」
 シギが白々しく、事前の業務命令を反芻するから、
「頭は落としてねェだろうがよ」
 凄惨な笑みでフユトが応酬する。
「壁に弾痕と脳漿だ、高くつくぞ」
「仕掛けた奴らに請求しろよ、紋々入りの生皮なんか好事家の調度品にいいんじゃねェの」
 現役ハウンドと元ハイエナのやり取りを、彼らは黙って聞いていた。半端な極道者がかわす言葉より真に迫った単語に、世間知らずの馬鹿息子の顔色は緑色になっている。
「昔は指一つで手打ちだったんだ、身体の皮一枚、何てことないよなァ?」
 化け物よりも残虐な光を瞳に湛え、フユトが言った。アドレナリンが沸騰しきって、恍惚さえ浮かべた顔で。
 個室の入り口の観音開きが外から蹴り開けられる。全員が振り向いた先には、見張り役二人の頭をショットガンで吹き飛ばしたオオハシがいて、シギの姿を見るや安堵したように相好を崩した。
「そこに転がるマカロフは護身用か」
 心配性の部下から視線を戻し、シギは壁伝いに倒れた死体の足元の黒い鉄塊をぞんざいに示す。
「……勘弁してくれや……」
 綺麗に撫で付けたオールバックを乱して、馬鹿息子がぼやいた。
 信用や信頼というのは一朝一夕に成り立たない。実績を生むための労力が伴って初めて、結果が意味を持つ。親の威光を笠に着ていれば安泰だと考えている辺り、彼の周りを囲んでいた取り巻きは、裸の王様を育てたらしいとわかる。或いは、馬鹿息子を積極的におだてて木に登らせ、体良く始末しようとしたのかも知れない。
 シギの連絡一つですっ飛んで来た二番手の会長補佐が、若衆の目の前で膝を付いて化け物に頭を下げる様子を、現会長と連れの手勢が茫然としながら見ていた。オオハシと変わらぬ年代の(いかめ)しい男が平身低頭するくらい、たかが三十そこらの若造の権力や立場は歴然としているらしいと、ようやく彼らも理解したようで、下手をすれば組織そのものが潰されるところだったのだと青くなっていた。
 後見人として躾け直す、という補佐の言葉に、客払いをしたフロアの一角で意味深に目を細めていたシギもようやく納得したように頷き、事はどうにか収まった。
「莫迦は懲りねェと直んねーのな」
 黒塗りの車に押し込められるようにして乗り込まされた面々を見送りながら、フユトが感想を漏らす。あの平和ボケした温室育ちに待っているのは壮絶なリンチなんだろう、と思うと、ここで死んでいたほうがマシだったんじゃないかと、少しだけ同情する。
「お前は直った試しがないな」
 すかさずシギが煽るので、
「何処かの誰かがグズグズに甘やかすせいなんじゃねーの」
 俺は莫迦じゃない、と反抗的に噛み付くのではなく、フユトは鼻で笑ってやった。
「なるほど、俺のせいか」
「かもな」
「お前は莫迦なくらいがちょうどいい」
「素直に可愛いって言え」
 軽口の応酬をしている間に、テールランプは歓楽街の向こうへ消える。時刻は天辺を過ぎて、高級歓楽街は一足早く眠りに就く頃だ。
「久々に集中したら肩凝った」
 言いながら肩を回して、フユトはちらりとシギを見る。訴えかける視線を無視して、シギは再び、クラブの中へと踵を返す。
「ご褒美くらい寄越せよ」
 そんなシギに舌打ちしつつ、フユトがぼやくと、
「狗にくれてやるなら、新しい首輪か鎖だろうな」
 不遜で危険な飼い主は、嗜虐に満ちた視線を向けた。
「奇遇ですね」
 月の終わり。荒天続きで満足に動けず、仕方なしに足を運んだジムのロッカールームで、半月ぶりにオオハシと出会した。最後に会ったのはあの夜だから、フユトはまたも、この男は誰だったかと一瞬だけ眉を寄せ、大きな身体を窮屈そうにスーツで包んだ背中を思い出す。
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