路傍の花-6

文字数 2,181文字

 でも、ボクはどこか、心の片隅で、尊厳さえ無視されて粉々になるまで踏みつけられることを、期待していた気がする。曖昧な笑顔で誤魔化さず、役立たずなら役立たずと罵って欲しかった。どうしてお前はそうなんだ、期待通りにいかないんだと、殴っても蹴ってもいいから、叱られてみたかった。
 ぽろ、と頬を伝う涙で我に返る。彼女が慌てたようにボクの頭を抱いてくれる。
 優しさなんていらない。ボクは莫迦だから甘えてしまう。いっそのこと、兄さんや妹と比べてどうしようもない奴だと、スパルタに教育してくれれば良かったのに、父さんも、母さんも、それがボクらしさなのだと曖昧に笑って誤魔化して、本当はボクのことなんて、見てくれてもいなかったんじゃないか。期待通りにいかないのだからと諦めて、突き放してしまっていたんじゃないか。気づかずにいたのはボクのほうで、本当はずっと、いてもいなくてもいい存在だったのじゃないか。戻る場所なんて、最初からなかったんじゃないか。
 彼みたいに残酷な本音を言ってくれたら、ボクはまだ、捨てられまいとしたかも知れない。それだって、甘えたことを言うなと言われるかも知れないけれど、どうしようもなくなることはなかったかも知れない。
 頭が痛くなるほど泣いた。綺麗なボンテージが汚れるのも厭わず、彼女はボクを抱きしめて、背中をさすってくれていた。
「あの人は人でなしだから、気にすることないのよ」
 ようやく涙が出なくなり、みっともなくしゃくり上げるボクに、彼女は言った。彼が鼻で笑う気配がした。
「売るって言っても、まだずっと先の話だろうから、その間に頑張れば、ね?」
 彼女はきっと、ボクが唐突に知らされた末路に怯えて泣き出したと思ったのだろう。諭すような口ぶりに、ボクは緩やかに首を振る。彼女が困ったように吐息するので、
「もう大丈夫です、顔を洗ってきます」
 彼女の腕から抜け出した。
 泣き腫らした顔は我ながら酷かった。冷たい水で何度か顔を洗って、部屋に戻る。困惑を隠さない彼女と、こちらには無関心そうに、ソファで携帯端末を触る彼がいる。
「大丈夫?」
 申し訳なく思うくらい、気遣う彼女に頷いて、
「空気壊しちゃってごめんなさい、もう一度、最初からお願いします」
 流されるのではなく、自分の意思で望んだ。
 彼女に施される責め苦は甘い。キスから始まる前戯は恋人同士のようだったのに、手首を拘束され、ベッドの上で四つん這いになってからは、焦らしと擽りと痛いほどの刺激に翻弄される。
「酷くされちゃったのね、可哀想」
 未経験の人よりは変形しただろう後孔をまじまじと観察される羞恥。彼女が洩らす感想にさえ、悪い震えが起こる。
「指だと感じる?」
 人肌に温められたローションが狭間を滑る。グローブを脱いだ指がラテックスを纏って入り口を掻く。
「指でされるのが好きです……ッ」
 言わされているわけではないのに、ボクは自ら性癖を宣言しながら、背筋を粟立てる。
 彼女はボクが言わないと、好きなことも嫌いなこともしてくれないと、体感一時間にも及ぶ前戯で教え込まれた。時に恥ずかしい言葉を、時に強さや速さの具合を、彼女が求めるまま吐き出すことの羞恥は消えないものの、慣れてきている。
「指で、どうされたいの?」
 ほら、誘導尋問が始まった。たったそれだけで呼吸が上がる。シーツにカウパーが垂れる。
「お尻、の中、弄られて、前立腺、いっぱい虐められたいです……っ」
 涙で視界がぼやけている。過剰に分泌した唾液で唇が濡れている。喋るたびに口の端から滴りそうになるそれを啜って、さっきからずくんずくんと疼く場所を、滅茶苦茶にされたいと思う。
「指が好きなの?」
 彼女が聞いた。ボクは頷く。
「指、じゃないと、気持ち悪くなっちゃうから……」
 ふうん、と彼女が気のない返事をする。これは正直に答えても聞く気がないと、彼女が示すサインだ。
 指とは違う固さのものが、ラテックスの膜にローションを纏うように狭間を行き来する。振り向こうにも怖くて出来ず、震えすぎてガチガチと歯を鳴らすと、
「痛いことなんてしないし、気持ち悦くしてあげる、力を抜いて」
 ボクが安心できるまで、優しく、根気よく、背中をさすって宥めてくれる。
 彼女は、ボクが指以外の異物を受け入れられない理由を、本来の性的嗜好だけじゃないと見抜いているようで、暗示をかけるように、優しく耳元で囁き続けてくれる。
「大丈夫、いい子ね、大好きよ、そのまま、リラックス」
 耳を擽る吐息に感じる。ボクが勝手に感度を上げていることも見抜きながら、彼女は遂に、それの先端をボクに埋めた。
「痛くない、怖くないのよ、大丈夫、ちょっとだけ我慢して、すぐに悦いところ触ってあげる、そう、お利口ね、いい子は好きよ」
 囁く声にぞくぞくして、褒めるように髪を撫でられることにもぞくぞくして、後ろの粘膜を異物が割る圧迫感だけに集中していられなくて、シーツを握る。彼女はきっと心からボクが好きで、ボクは彼女に翻弄されるのが心から好きだと錯覚し、体で覚えこんでいく。
 ゆっくりと、異物が抜き差しされる。押し込まれる瞬間の僅かな苦痛と、引き出される瞬間の擬似排泄感が、焦げるような愉悦に変わっていく。ボクは声を抑えなかったし、少しでも声が詰まると、もっと声を聴かせてと彼女が言うので、褒められたくて従い続けた。
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