Your sick, my sick.-5
文字数 2,287文字
推測するまでもなく、フユトが考えそうなことは手に取るようにわかる。小難しい顔をしながらああでもないこうでもないと管を巻き、上手い言い訳が出てこないものかと悩み、シギにきっかけを与えることになると却下する、堂々巡りばかりをしている。
お前は堕ちると決めたのだから、半端なところで止まっていないで、真っ直ぐ底まで落ちてくればいいものを、ズブズブのドロドロに愛されて溶かされる覚悟だけは決まらないらしい。与えられたことがないものに触れるのは怖いだろう、自分の末期を思えば恐ろしいだろう。そこを飛び越えるまで、幾らでも待ってやる。輪郭を失うまで徹底的に教え込んで、フユトが何も怖くないと思えるまで。
「……傍に、」
シギの姿を視界から消すようにぎゅっと目を瞑って、フユトが言った。
「……傍に、いて、欲しい」
シギはゆるりと口角を持ち上げて、足音も立てずに寝室へ戻る。甘えることを痴態か醜態のように感じているフユトが、熱による寒気でなくワナワナと震え始まる前に、ベッドへすとんと腰を下ろし、褒めるように耳を撫でた。
葛藤を終えて、欲求を満たして尚、フユトの表情は固かった。言い慣れないことを言ってしまったのも熱のせいだということにして、シギが何も触れずにいると、ようやく気を抜いたように息をついて、静かに瞼を閉ざした。
本当に手が掛かるし、世話も焼ける。けれど、何よりいとしい。
シギの手を掴んだまま、シギに身体の正面を向けたまま、静かな寝息を立てるフユトの顔は穏やかだ。共寝すら難しかった頃が遠く感じる。常に殺気を纏って全神経を研ぎ澄まし、微かな気配や物音すら逃がさなかった、あの頃だ。
ゆっくり、着実に、フユトはシギに慣れ、パーソナルスペースに入ることを許し、やがてゼロ距離に近づくことを厭わなくなった。キスをして、キスをされて、セックスなしに身体を寄せ合うことの心地良さを覚えるにつれ、身も心も委ねていいのかも知れないと警戒を解き、おっかなびっくり伸ばした指でシギの指に触れた、あの日のフユトもいとしかったけれど。
指を絡めて、無防備を晒すフユトは、更にいとしい。
「……ああ、すまない」
フユトの指が離れた瞬間を見計らい、寝室を出たシギは、護衛役を兼ねる秘書に連絡を取る。あの男はイレギュラーな事態にも卒なく対応してくれるから、今回も午後に控えた予定の全てに根回ししてくれたはずだ。夕方近くになってから連絡をしたことは素直に詫びつつ、状況を尋ねて報告を受け、指示が必要なものには適切に答えてから通話を切った。
泣く子も黙る暴虐の総帥がたった一人の男にかまけているなんて、誰も思うまい。シギ自身だって、ようやく手に入れた恋人に、こんなに時間を割くことになるとは思ってもいなかった。
聞き分けの良い狗を飼ったつもりが、待ては出来ないし手は噛むし、尻尾を追ってくるくる回り続けるし、本当にどうしようもない駄犬を引き当ててしまった。駄目な子ほど愛しいと言うものの、フユトは狗なんかではなく野良の獣で、そもそも種類が違っているのだから、聞き分けのなさも受け入れるしかない。
携帯端末は電源を落として、執務机に伏せて置いた。これでようやく、フユト一人に掛かりきりになれる。
寝室に戻ると、フユトはまだぐっすり眠っているようだった。中座したことに気づかれ、不貞腐れられでもしたら、また一からあやさなければならない。随分と大きく育ちすぎた子どもだな、と内心で独りごちて、シギがベッドの縁に腰掛けた途端。
ぎゅう、と腰に巻き付くフユトの右腕に、
「……起こしたか」
それとなく声を掛けてみる。
フユトはシギの腰元に顔を埋めたまま、微かに首を振った。寝たフリなら反応するべきところじゃないと、下手な狸寝入りに苦笑して、しっとりした髪に指を通す。そうしていると、フユトが何事かをぼそぼそ呟くので、耳を欹ててみれば。
「……おいてくな……」
夜の底に取り残された子どもの慟哭を聞いた気がした。
一日も休むと、フユトはけろっとした顔で起きてきた。寄り添い続けたシギが起きている傍らで、ほとんど寝返りも打たずに眠り続けたのだから、さぞ快適な目覚めだろう。
まだ軽く咳をするものの、体調はほとんど戻っているようだった。莫迦は風邪をひかないという格言は、こういうところから生まれたのかも知れない。
「なぁ、俺、変なこと言ってなかった?」
シギがいつも通りのルーティンで雑務をこなしていると、外出の支度をするフユトに尋ねられた。
数ヶ月に一度、過労で熱を出すシギには経験がないものの、高熱を出すと夢見が悪くなるという。
「悪い夢でも見たのか」
昨晩、フユトに魘された様子はなかったから、言っているのは恐らくアレだろう。思いながら、シギは決して口にはせず、フユトの身に覚えを聞いてみる。
「まぁ、ちょっとそんな感じ」
言葉を濁すフユトを追及することはしなかった。
風邪など滅多にひかず、熱も出さないフユトだから、意識の混濁くらいはあるだろう。寄り添う体温に誰を重ねたのか、聞いてみたかったけれど、明らかにしたところでいいことはたぶん、ない。
「……なぁ、シギ」
電子端末の画面を見つめたまま、黙々と作業をしていると、気まずそうな声でフユトが呼んだ。その声だけで、あのとき、フユトがシギに誰を重ねていたのか丸わかりだ。気分は良くない。
「俺、本当に変なこと言ってないんだよな?」
執務机に手を乗せて、身を乗り出すようにしながら、フユトが念を押す。
「さて、どうだったか」
シギは敢えて答えずにおいた。フユトへのちょっとした腹いせだ。
お前は堕ちると決めたのだから、半端なところで止まっていないで、真っ直ぐ底まで落ちてくればいいものを、ズブズブのドロドロに愛されて溶かされる覚悟だけは決まらないらしい。与えられたことがないものに触れるのは怖いだろう、自分の末期を思えば恐ろしいだろう。そこを飛び越えるまで、幾らでも待ってやる。輪郭を失うまで徹底的に教え込んで、フユトが何も怖くないと思えるまで。
「……傍に、」
シギの姿を視界から消すようにぎゅっと目を瞑って、フユトが言った。
「……傍に、いて、欲しい」
シギはゆるりと口角を持ち上げて、足音も立てずに寝室へ戻る。甘えることを痴態か醜態のように感じているフユトが、熱による寒気でなくワナワナと震え始まる前に、ベッドへすとんと腰を下ろし、褒めるように耳を撫でた。
葛藤を終えて、欲求を満たして尚、フユトの表情は固かった。言い慣れないことを言ってしまったのも熱のせいだということにして、シギが何も触れずにいると、ようやく気を抜いたように息をついて、静かに瞼を閉ざした。
本当に手が掛かるし、世話も焼ける。けれど、何よりいとしい。
シギの手を掴んだまま、シギに身体の正面を向けたまま、静かな寝息を立てるフユトの顔は穏やかだ。共寝すら難しかった頃が遠く感じる。常に殺気を纏って全神経を研ぎ澄まし、微かな気配や物音すら逃がさなかった、あの頃だ。
ゆっくり、着実に、フユトはシギに慣れ、パーソナルスペースに入ることを許し、やがてゼロ距離に近づくことを厭わなくなった。キスをして、キスをされて、セックスなしに身体を寄せ合うことの心地良さを覚えるにつれ、身も心も委ねていいのかも知れないと警戒を解き、おっかなびっくり伸ばした指でシギの指に触れた、あの日のフユトもいとしかったけれど。
指を絡めて、無防備を晒すフユトは、更にいとしい。
「……ああ、すまない」
フユトの指が離れた瞬間を見計らい、寝室を出たシギは、護衛役を兼ねる秘書に連絡を取る。あの男はイレギュラーな事態にも卒なく対応してくれるから、今回も午後に控えた予定の全てに根回ししてくれたはずだ。夕方近くになってから連絡をしたことは素直に詫びつつ、状況を尋ねて報告を受け、指示が必要なものには適切に答えてから通話を切った。
泣く子も黙る暴虐の総帥がたった一人の男にかまけているなんて、誰も思うまい。シギ自身だって、ようやく手に入れた恋人に、こんなに時間を割くことになるとは思ってもいなかった。
聞き分けの良い狗を飼ったつもりが、待ては出来ないし手は噛むし、尻尾を追ってくるくる回り続けるし、本当にどうしようもない駄犬を引き当ててしまった。駄目な子ほど愛しいと言うものの、フユトは狗なんかではなく野良の獣で、そもそも種類が違っているのだから、聞き分けのなさも受け入れるしかない。
携帯端末は電源を落として、執務机に伏せて置いた。これでようやく、フユト一人に掛かりきりになれる。
寝室に戻ると、フユトはまだぐっすり眠っているようだった。中座したことに気づかれ、不貞腐れられでもしたら、また一からあやさなければならない。随分と大きく育ちすぎた子どもだな、と内心で独りごちて、シギがベッドの縁に腰掛けた途端。
ぎゅう、と腰に巻き付くフユトの右腕に、
「……起こしたか」
それとなく声を掛けてみる。
フユトはシギの腰元に顔を埋めたまま、微かに首を振った。寝たフリなら反応するべきところじゃないと、下手な狸寝入りに苦笑して、しっとりした髪に指を通す。そうしていると、フユトが何事かをぼそぼそ呟くので、耳を欹ててみれば。
「……おいてくな……」
夜の底に取り残された子どもの慟哭を聞いた気がした。
一日も休むと、フユトはけろっとした顔で起きてきた。寄り添い続けたシギが起きている傍らで、ほとんど寝返りも打たずに眠り続けたのだから、さぞ快適な目覚めだろう。
まだ軽く咳をするものの、体調はほとんど戻っているようだった。莫迦は風邪をひかないという格言は、こういうところから生まれたのかも知れない。
「なぁ、俺、変なこと言ってなかった?」
シギがいつも通りのルーティンで雑務をこなしていると、外出の支度をするフユトに尋ねられた。
数ヶ月に一度、過労で熱を出すシギには経験がないものの、高熱を出すと夢見が悪くなるという。
「悪い夢でも見たのか」
昨晩、フユトに魘された様子はなかったから、言っているのは恐らくアレだろう。思いながら、シギは決して口にはせず、フユトの身に覚えを聞いてみる。
「まぁ、ちょっとそんな感じ」
言葉を濁すフユトを追及することはしなかった。
風邪など滅多にひかず、熱も出さないフユトだから、意識の混濁くらいはあるだろう。寄り添う体温に誰を重ねたのか、聞いてみたかったけれど、明らかにしたところでいいことはたぶん、ない。
「……なぁ、シギ」
電子端末の画面を見つめたまま、黙々と作業をしていると、気まずそうな声でフユトが呼んだ。その声だけで、あのとき、フユトがシギに誰を重ねていたのか丸わかりだ。気分は良くない。
「俺、本当に変なこと言ってないんだよな?」
執務机に手を乗せて、身を乗り出すようにしながら、フユトが念を押す。
「さて、どうだったか」
シギは敢えて答えずにおいた。フユトへのちょっとした腹いせだ。
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