collector-2

文字数 2,237文字

 シギが抱く感覚は、薬叉を除けば恐らく、養父にさえ理解されないだろう。
 荒くれ者や精神病質者、果ては真性のサディストたちを取りまとめる組織のボスであるのに、養父は至って快活な性格で、裏社会の人間が持つ後ろ暗さや陰惨な空気がない。社会的に穏便に生きていくためには表の姿のほうが大事ではあろうが、養父が誰かを殺害するイメージは全く持てない。彼の実子でありシギの従兄であるヌエ曰く、表の顔こそ綿密に計算された仮面だとのことだけれど。
「……技術の荒さはともかく、ここまで出来れば実践に動いてもいいでしょう」
 無表情のシギを真顔で横目に見下ろして、薬叉が言った。
「生きた人間を相手にするのは易しくありませんが」
 ハイエナの狩りに麻酔やその他の薬物は使えない。密売用の臓器は行く行く誰かに移植されるため、残留薬物の影響は臓器の値を下げるからだ。彼らの市場で重要視されるのは鮮度ばかりではない。ハイエナには、摘出した臓器を如何に高額に売り捌くかといった考えも必要になってくる。
 薬叉が一人で獲物を狩ることができるのは、体術の心得があるからだそうだ。頸部を的確に絞め落として失神させている間に、生きたまま解体するための拘束を手早く済ませるのだという。
「わたくしはあなたに何も求めていませんよ」
 生きた人間を相手にした初めての実践で獲物を逃がし、俯くシギに、薬叉はどこまでも乾いた声で告げた。
「期待なぞしておりませんので、気に病むことも、謝罪することもありません」
 そして、人が浮かべるにしては酷薄な笑みに口角を上げて、
「あなたは高々、一千万程度の人間ですから」
 使える臓器の値段で、少年を査定した。
 一千万円。それがシギの存在価値だ。十四歳の少年にしては相場より安い。実際に開腹してみたら下がることも往々にしてあるのだから、薬叉の見立ては彼なりの優しさだろうか。
 それを聞いて、少年は少し安堵した。シギ自身が思う人間の本質と、薬叉が思う他人の本質は似通っている。金になるか、ならないか。使えるか、使えないか。人間的な情が介在しない機械的な思考ではあるけれど、白か黒かの二者択一はこの上もなく洗練されて合理的である。期待はしない、夢は見ない。そうすれば、裏切られることも、痛みを知ることも、永遠にない。
 二人とも、よく似た臆病者だとシギは思う。誰からも距離を置くことで身を守る、小心者だと。
 十四歳の少年が大人になるにつれ、周囲から血も涙もない化け物だの、情の欠片もない悪漢だのと陰口を叩かれるようになっても、シギは全く意に介さないどころか、それで良いと思っていた。わかってもらおうとも思わなかった。ただ一人、薬叉だけが、シギを正確に査定してくれさえすればいい。
「みな、好き勝手に言いますな」
 すっかりマスターの姿が板についた薬叉が言う。クローズした店内でのことだ。
 年齢と体力の衰えを理由にハイエナ引退を示唆した薬叉を引き止め、売春斡旋の隠れ蓑として経営を始めたバーを任せた。元より損得勘定はお手の物の彼らしく、店自体は黒字ではないが、辛うじて赤字でもない。もちろん、すぐに結果を求めているわけではなかったし、手掛ける事業は世界規模に及ぶのだから一つが頓挫したところで痛手もないのだが。
 経営者の顔を知らない荒くれ者たち──主にハウンドだ──が酒の席ということもあって、組織のことや総帥のことを悪く言っているのを聞くのだろう。昔から自分や他人の評価が正確で、過大に見上げることも過小に見下げることもしない彼だからこそ、取り留めのない話への感想はそれなのだ。
 一体、今の自分の価値は幾らなのだろうと思いつつ、シギはグラスの琥珀色を干して、
「理解してもらおうなんざ、端から思っていない」
 薬叉だけに零す本音を舌に載せる。
「わかる奴にはわかる、そういうものだろう」
 そうしてシギが目を細めると、薬叉は無表情に溜息をついて、せっせとグラスを磨き続けるのだ。
「あなたからはわたくしと同じ匂いがしていたのですがね」
 落胆したような口振りで薬叉は言って、
「人に決して寄り付かないわたくしと違って、あなたには傷つく覚悟がある」
 空洞(うろ)のような瞳でシギを見た。
「以前のあなたはわたくしなりに気に入っていたのですが──わたくしは足下にも及びません、ボス」
 少し意外な言葉に、シギは目を伏せたまま無言を通す。付かず離れず、叱られたこともなければ褒められたこともない奇妙な師弟関係を思い返すと、少しばかり感慨深い。
 養父を殺害したシギが跡目を継ぐことを、この男は最後まで反対していたのだと、オオハシから聞いたことがある。
 暑苦しくて厳つい男と冷淡で細身の男は非対称ながら、なかなかどうして、時折、酒を飲み交わす間柄なのだという。オオハシはともかく、薬叉は他人との交流を避けるイメージだけれど、あの大男も弁が立つほうではないから、何かと気が合うのだろう。
 薬叉が薬叉なりに幼い少年の行く末を案じてくれていたことは、言葉にされるまでもなく理解している。恵まれなかった子どもが、何も持ち得なかった子どもが、自力で全てを獲得していく様は、彼らの目にどう映っていたのか聞いてみたいところだ。
「あなたは本物の怪物ですよ」
 シギを真っ直ぐに見つめて、薬叉が言った。相変わらずの能面ながら、彼の瞳には敬意と、ある種の畏怖が宿っているのがわかる。
「痛みを知らないのに、痛みを推し量ることができる、だから極限まで痛めつけることもできる」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み