狗も朋輩鷹も朋輩-1

文字数 2,285文字

 五十も半ば近くになる大男は、かつて国外の傭兵団に属した猛者だと聞いたことがある。短く刈り上げられた髪には白いものが混じりつつ、年齢にしては艶のある肌をしていてシワも少ない。若い頃に鍛え上げた体格は、全盛期より痩せたとはいえ、衰えを知らず、纏うスーツは常にオーダーメイドらしい。
 オオハシ──というのが彼の本名で、通称はオオワシらしい──に紹介されたのは、総帥命令でフユトが裏の接待に付き合わされるようになった頃だった。
 初めて会った際、表の仕事ではボディガードと運転手を兼ねる彼が、裏では徒党壊滅専門──簡単に言えば抗争専門──の数少ないハウンドで、尚且つ総帥秘書という希少な肩書きを持っていることに瞠目したものだ。
 戦地を渡り歩いてきただけあって、顔に幾らかの傷がある強面ながら、ならず者の組織には珍しく、朴訥とした人柄には好感が持てた。
 身体が資本の仕事柄、体力維持や膂力の確保、体幹を鍛えるためのトレーニングは、半ば義務のようなものだ。フユトの同業であるハウンドの中には年齢相応に弛んだ身体の者もいるし、一人殺すだけでぶっ倒れそうな華奢な体格の若者もいるけれど、フユトにしてみれば、持て余す血の気の発散にトレーニングは打って付けだった、というだけのこと。ハウンドになりたての頃から組織に君臨する魔王が手とり足とり実戦を組んでくれたこともあって、廃墟群を生き抜いた名残は感じない、厚みのある体格になった。
 が、傭兵上がりの大男を見ると、これでもまだ足りないような気がしてしまう。
 フユトは今でも充分に、喧嘩をすれば人を殴り殺せるくらいに上腕二頭筋も上腕筋も発達しているし、腕橈骨筋もそこそこある。腕周りのせいでトップスのサイズ選びに難があるのに、オオハシの丸太のような腕と比べると、どうしたって貧弱に思える。
 そもそも背丈が違うのだ。百八十に惜しくも届かないフユトと、二メートル近い大男では、骨格の質も太さも違うのだから、羨んだところで仕方のないところはある。
「お久しぶりです」
 そう、オオハシから声を掛けられたのは、月会費を払っていながら足が遠のいていたスポーツジムに、何ヶ月かぶりに赴いたときだった。
「あ──」
 人の顔も名前も覚えるのは苦手だから、フユトは一瞬、こんな厳つい知り合いがいただろうかと考え込みそうになって、魔王の斜め後ろに控える巖のような姿を辛うじて思い出す。
「ども」
 軽く会釈して、荷物を預けたロッカーを開けた。
 そう言えばこのジムは、シギの会社の、子会社の持ち株会社の、支社の健康推進事業の支店のナンタラだったと聞いたような気がする。本格的にやるなら使えと言われて、トップと知り合いなら多少の無理も通るだろうという算段で入会してはいたものの、なるほど、グループ傘下とあれば顔見知りとも会うものらしい。
 フユトのようなハウンド同士は、基本的に横の付き合いはしない。魔王に反発して徒党を組むときは一致団結しても、互いに競合だから、街でばったり会ったとしたって挨拶などしないのだ。
 相変わらず、この大男は礼儀正しいのだと思いながら、髪を濡らして滴る汗を拭っていると、
「此処ではあまり見かけませんね」
 幾多の戦場と現場で鍛えられた身体をトレーニング用のウェアで包みながら、オオハシが話しかけてくる。
「……まぁ、気が向いたときだけなんで」
 フユトは人見知りを発揮して素っ気なく答えながら、何列か離れたロッカーでトレーニングの支度をする大男をちらりと盗み見る。
 鑑賞用ではなく、実戦用に鍛えられた体格は未だに見事だし、しっかり基礎ができた上に年齢による脂肪が適度について、プロの格闘家にも劣らない見栄えだ。どこをどうしたらそこに厚みが出るのかと考えながら、何気なく視線を送っていると、さすがのオオハシも気づいた様子で、
「ウェイトやマシンなしにそれなら、充分ですよ」
 温和に笑って言った。
 それが何を指しているのかと下を見て、捲り上げた上衣の裾で汗を拭いていたことを思い出す。しっかり鍛えて育ったシックスパックではないものの、微かに割れた腹筋のことを、オオハシは言っているようだった。
 これはあれだ。ときどき、個人的にプランクや腕立てをしている際に、七十キロ前半のシギがウェイトとしてフユトを椅子の代用とする、鬼のようなトレーニングがあるからだ。
 とは言えず。
「……ども」
 素っ気ない挨拶と同じ調子で礼を言って、オオハシから目を逸らした。
 彼が昼間にボディガードや運転手としてスーツを着用しているときは、色みが何であれ、私立の軍事会社や元公務員出身のようにも見えるのだが、夜にダークスーツで現れると、途端にマフィアの大物感が増す。
 先日、たまたま出会わしたオオハシはスーツも着ていなかったし、トレーニングが趣味の朴訥とした壮年だったのに、シギの背後で控える彼を見た途端、修羅場慣れしたフユトでさえ、瞬間、たじろぐ程の気迫がある。
「先日はどうも」
 そんなオオハシがやはり温和に、目尻にくしゃっと皺を寄せて微笑むので、フユトは動揺した自分を隠しつつ、簡単に会釈して見せた。
 今回は、現場になりそうな接待だと、シギが両名に招集を掛けたのだ。
 かつてはどんな現場にも単独で赴いていたシギが、こうして誰かを頼るようになって久しい。悪鬼でさえ裸足で逃げ出すと言われていた、あのシギだ。背中を託せると思ってもらえる程度には信頼されていて、実力も認められているのだと思えば素直に嬉しいし、死に急ぐようだったシギにも何らかの心境の変化があったのであれば、気を揉まなくて済む。
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