雨季-2
文字数 2,320文字
「変なお客さんに付きまとわれてるんだよね」
雨宿りの軒下で連絡先を交換して一週間、お茶でもしようよと誘われた先で、彼女は愛らしい顔を曇らせる。
「店長に相談したら、ちょうどいいから
甘ったるいだけのホットココアを啜りながら、ミコトは言って、正面のフユトに笑いかけた。
「受けてくれて良かった」
可憐な出で立ちの美女と連れ立っているというのに、フユトは仏頂面を崩さず、彼女の言葉にも特に返事をしない。
店側に提示された金額は決して高くなかったものの、実際にトラブルが起こっても起こらなくても変わらないということだったので、何処かの誰かにタダ働きさせられるよりはと承諾したのだが、人気嬢のプライベートにまで付き合うことになるとは想像もしていなかった。店側からは在籍嬢全員の護衛と聞いていたものの、円らな瞳をきゅるんと潤ませて、お願い、とミコトに言われてしまったら、断りきれない。
傍から見れば、愛らしい恋人を連れている男に見えるだろう。だからこそ、フユトは万が一を考えると、ぞっとしないのだ。
ミコトを付け狙う客なんかはどうとでもなる。向こうは所詮、素人だ。問題なのは、フユト以上に喧嘩慣れしていて、飄々とした雰囲気を裏切る内実を抱える、あの男に見られた場合だった。
「もうちょっと、彼氏のフリしてくれてもいいのに」
都心に近い賑やかなカフェから出たところで、ミコトが唇を尖らせる。腕を組んで胸を押し付けて来ようとしたところを、転ばせないように振り払ったばかりだ。
「逆上させたら刺されるんじゃねーの」
飽くまで彼女の立場を慮っている体裁で、フユトは素っ気なく答える。
「おにーさん、物凄く嫉妬深い恋人がいる、とか?」
冗談めかした口調に思わずぎくりとすると、彼女はフユトの僅かな表情の変化に目敏く気づいて、したり顔になった。
「やっぱりね」
あたしの勘は当たるの、と言いながら、ミコトは懲りずにするりと腕に絡みついてくる。大きすぎず小さすぎず、形の良い乳房の存在を主張するように、けれどもさり気なく宛てがう力加減は絶妙だった。薄手のカットソー越しに伝わる感触は柔らかく、それが加工されていない天然であると伝える。
「おにーさん、受け身っぽいし、こんなところ見られたら酷いコトされちゃうんだ」
だから嫌だったんだ、と、フユトは内心で喚きながら、勘が鋭い彼女の成すがままに任せた。下手に振り払いでもしたら、女相手でもリードが苦手なことを、飼い主に苛まれるのが好きであることを認めてしまうと、人知れぬ意地を貫く。
「……で、呼び出したのは別の理由だろ」
話を受けてくれたお礼がしたいなんて方便を使って誘ってきた、彼女の本意を探るフユトに、
「これからお店に行く時間まで、デートしてって言ったら、最初から来ないでしょ?」
上目遣いのまま、ミコトは悪びれもせずに言った。
運命の出逢いなんてものはいらない。
あれから彼女には、ウィンドウショッピングやら食事やらと付き合わされて、ようやく解放された頃には疲れ果てていた。ばいばーい、と機嫌よく手を振りながら、歓楽街に消えていく背中を恨めしく見送る。
とは言え、仕事として引き受けた以上、周囲の警戒は怠らず、彼女が無事に出勤したと連絡が入るまでは人混みに気を配ることは忘れなかったけれど。
「随分と気に入られたようで何よりだな」
ミコトに振り回される日々が二週間ばかり過ぎた頃、久しぶりに飼い主の牙城を訪ったフユトの背中は、シギの挨拶代わりの一言で強張る。
「荒事の仕事、受けてんだよ……」
急速に渇く喉を実感しながら、掠れがちな声で咄嗟に事実を答えたものの、そんなことは知っているとばかりに口角を上げるシギを見たら、逃げ場はないと悟るしかない。
「まぁ、お前の好みではなさそうだ」
言いながら、シギが黒檀の机に頬杖をつく。
こいつが頬杖をついたり足を投げ出したりしたら危ないと、フユトは身をもって知っているから唾を飲む。
「……知ってんのかよ」
ミコトを知っている口ぶりを問うと、
「俺を誰だと思ってる」
シギが呆れたように答えて、表情のお手本のように、綺麗に微笑った。
終わった、と思った。
情報屋の仕事柄、付き合いの幅が広いために、シギは彼女の在籍店も、看板嬢であることも、顔も、ミコトという源氏名も知っていた。小動物のような愛らしい顔立ちだけでなく、天然に見せかけたあざとい手管まで知っているから、実は一度でも買っているのではないかと疑いたくなるものの、この男に限ってそれはない。
いったい、どんなツテを辿れば、プレイ中の振る舞いまで知り尽くせるものなのかと思いながら、喉元までせり上がった言葉を飲み込む。
舌の付け根まで痺れるような、ぐっしょりと絡まるキスがしたいのに、今日のシギは頑なにそれを避けている。さり気なく擦り寄ろうとすると首筋を甘噛みされるか、体を返されて項を舐められるかの二択だ。
窓からノイズに似た細い雨音が聞こえる。このところ、不安定な空模様が続いているせいで、また降り出したようだった。
雨は苦手だ。
脱がされたデニムが重い音を立てて落ちた。剥き出しの膝から内腿を舌が這う、怖気がするような感覚に、奥歯を噛んで声を殺す。
気づいたら、たった一人、取り残されてしまっているようで嫌いだ。
布越しの鼠径部に唇が触れる。ただでさえ皮膚が薄い場所だから、布越しであっても、びくんと爪先が跳ねた。
明かりを点けたままの深夜のリビング。いくら三人掛けの大きなソファとはいえ、そこで始める行為じゃない。思いながら、際どい場所を辿る唇の存在と吐息の熱に浮かされて、強請るように腰が揺れる。
雨宿りの軒下で連絡先を交換して一週間、お茶でもしようよと誘われた先で、彼女は愛らしい顔を曇らせる。
「店長に相談したら、ちょうどいいから
世話役
探そうかって話になったの」甘ったるいだけのホットココアを啜りながら、ミコトは言って、正面のフユトに笑いかけた。
「受けてくれて良かった」
可憐な出で立ちの美女と連れ立っているというのに、フユトは仏頂面を崩さず、彼女の言葉にも特に返事をしない。
店側に提示された金額は決して高くなかったものの、実際にトラブルが起こっても起こらなくても変わらないということだったので、何処かの誰かにタダ働きさせられるよりはと承諾したのだが、人気嬢のプライベートにまで付き合うことになるとは想像もしていなかった。店側からは在籍嬢全員の護衛と聞いていたものの、円らな瞳をきゅるんと潤ませて、お願い、とミコトに言われてしまったら、断りきれない。
傍から見れば、愛らしい恋人を連れている男に見えるだろう。だからこそ、フユトは万が一を考えると、ぞっとしないのだ。
ミコトを付け狙う客なんかはどうとでもなる。向こうは所詮、素人だ。問題なのは、フユト以上に喧嘩慣れしていて、飄々とした雰囲気を裏切る内実を抱える、あの男に見られた場合だった。
「もうちょっと、彼氏のフリしてくれてもいいのに」
都心に近い賑やかなカフェから出たところで、ミコトが唇を尖らせる。腕を組んで胸を押し付けて来ようとしたところを、転ばせないように振り払ったばかりだ。
「逆上させたら刺されるんじゃねーの」
飽くまで彼女の立場を慮っている体裁で、フユトは素っ気なく答える。
「おにーさん、物凄く嫉妬深い恋人がいる、とか?」
冗談めかした口調に思わずぎくりとすると、彼女はフユトの僅かな表情の変化に目敏く気づいて、したり顔になった。
「やっぱりね」
あたしの勘は当たるの、と言いながら、ミコトは懲りずにするりと腕に絡みついてくる。大きすぎず小さすぎず、形の良い乳房の存在を主張するように、けれどもさり気なく宛てがう力加減は絶妙だった。薄手のカットソー越しに伝わる感触は柔らかく、それが加工されていない天然であると伝える。
「おにーさん、受け身っぽいし、こんなところ見られたら酷いコトされちゃうんだ」
だから嫌だったんだ、と、フユトは内心で喚きながら、勘が鋭い彼女の成すがままに任せた。下手に振り払いでもしたら、女相手でもリードが苦手なことを、飼い主に苛まれるのが好きであることを認めてしまうと、人知れぬ意地を貫く。
「……で、呼び出したのは別の理由だろ」
話を受けてくれたお礼がしたいなんて方便を使って誘ってきた、彼女の本意を探るフユトに、
「これからお店に行く時間まで、デートしてって言ったら、最初から来ないでしょ?」
上目遣いのまま、ミコトは悪びれもせずに言った。
運命の出逢いなんてものはいらない。
あれから彼女には、ウィンドウショッピングやら食事やらと付き合わされて、ようやく解放された頃には疲れ果てていた。ばいばーい、と機嫌よく手を振りながら、歓楽街に消えていく背中を恨めしく見送る。
とは言え、仕事として引き受けた以上、周囲の警戒は怠らず、彼女が無事に出勤したと連絡が入るまでは人混みに気を配ることは忘れなかったけれど。
「随分と気に入られたようで何よりだな」
ミコトに振り回される日々が二週間ばかり過ぎた頃、久しぶりに飼い主の牙城を訪ったフユトの背中は、シギの挨拶代わりの一言で強張る。
「荒事の仕事、受けてんだよ……」
急速に渇く喉を実感しながら、掠れがちな声で咄嗟に事実を答えたものの、そんなことは知っているとばかりに口角を上げるシギを見たら、逃げ場はないと悟るしかない。
「まぁ、お前の好みではなさそうだ」
言いながら、シギが黒檀の机に頬杖をつく。
こいつが頬杖をついたり足を投げ出したりしたら危ないと、フユトは身をもって知っているから唾を飲む。
「……知ってんのかよ」
ミコトを知っている口ぶりを問うと、
「俺を誰だと思ってる」
シギが呆れたように答えて、表情のお手本のように、綺麗に微笑った。
終わった、と思った。
情報屋の仕事柄、付き合いの幅が広いために、シギは彼女の在籍店も、看板嬢であることも、顔も、ミコトという源氏名も知っていた。小動物のような愛らしい顔立ちだけでなく、天然に見せかけたあざとい手管まで知っているから、実は一度でも買っているのではないかと疑いたくなるものの、この男に限ってそれはない。
いったい、どんなツテを辿れば、プレイ中の振る舞いまで知り尽くせるものなのかと思いながら、喉元までせり上がった言葉を飲み込む。
舌の付け根まで痺れるような、ぐっしょりと絡まるキスがしたいのに、今日のシギは頑なにそれを避けている。さり気なく擦り寄ろうとすると首筋を甘噛みされるか、体を返されて項を舐められるかの二択だ。
窓からノイズに似た細い雨音が聞こえる。このところ、不安定な空模様が続いているせいで、また降り出したようだった。
雨は苦手だ。
脱がされたデニムが重い音を立てて落ちた。剥き出しの膝から内腿を舌が這う、怖気がするような感覚に、奥歯を噛んで声を殺す。
気づいたら、たった一人、取り残されてしまっているようで嫌いだ。
布越しの鼠径部に唇が触れる。ただでさえ皮膚が薄い場所だから、布越しであっても、びくんと爪先が跳ねた。
明かりを点けたままの深夜のリビング。いくら三人掛けの大きなソファとはいえ、そこで始める行為じゃない。思いながら、際どい場所を辿る唇の存在と吐息の熱に浮かされて、強請るように腰が揺れる。
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