Your sick, my sick.-1

文字数 2,384文字

「あっつ……」
 思わず呟いた声で目が覚めた。覚醒と共に、じとりと汗ばむ肌を実感し、不快に眉を寄せる。
 中古物件の自宅ならともかく、ここはシギの部屋だ。いつ何時(なんどき)も快適な室温と湿度を提供する、全館統制の高性能空調が稼働している。はずだ。
 もぞりと身動いで、背中からきつく抱き込むシギの腕に気づく。いくらフユトがぐっすり寝ていたからとはいえ、ゼロ距離でくっつくんじゃねーよ鬱陶しい、と胡乱な視線を向けようとしたところで、ようやく常ならぬ異変を嗅ぎ取った。
 第一に、フユトが熟睡している間は何をされても起きないのだから別として、シギが自らくっ付いて離れないことは有り得ない。
 第二に、フユトの微かな身動ぎにシギが反応しないわけがない。
 第三に、ここは快適な室温に保たれた寝室で、二人がどれだけくっ付いていたとしても、暑さで目を覚ますことなど、かつてない事態だ。
「……シギ?」
 怪訝に呼んで振り向く。いつもなら死体のように眠って寝息さえ立てないシギの呼吸は仄かに荒く、爬虫類のように冷たいままの指先には熱を帯びている。
 絡みつく腕をどうにか除けて、起きる気配のないシギを正面から見た。
 第四に、シギの平熱は三十五度台だ。
 思わず触れた額は、シギの発熱をフユトに教えた。

 

Your

sick,



 冷たい雨に打たれても、湯冷めしても、風邪なんてひかないと思っていた男が、天変地異の前触れよろしく床に伏せっている。
 取り敢えず、ホテル常駐のコンシェルジュに連絡して氷枕と薬を用意してもらい、さっきから傍らで様子を見ているものの、シギが起きる気配はなかった。
 シギが多忙なことを知っているから、とにかく一番に知らせなければと思い、彼の携帯端末から秘書の大男に連絡すると、フユトが事情を話す向こうで、子煩悩な父親のように狼狽えた反応をしていたのが新鮮だった。
 いつだって余裕のある笑みを崩さず、泰然自若で動揺することを知らない、不敵な眼差しが弱ったところなんて、想像も出来なかった。けれど、現に今、シギは平熱より三度も高い体温で、どこかつらそうに呼吸している。
 あんな風にしがみつかれたことなんて、ない。
 フユトは目を伏せる。
 誰かに甘えることなんてないんだろうと、漠然と思っていたシギが、フユトを手放すまいとするかのように腕を回して、火照る額を肩に押し付けていたなんて、何かの間違いのようだ。
 胸の奥が蠢くような、ぎゅっと引き絞られるような、複雑な心地がした。
 なぁ、化け物。どんな育ち方をしたら、そんな風に人間味のない顔が出来るんだよと思っていたけれど、誰にも期待せず、誰も信用しない孤高の道を生きていくのは、本当はお前の本意じゃないんだろう。傷つきすぎて、傷つけられすぎて、怯えて、誰かに歩み寄ることすら出来なくて、本音も弱音も言えないまま、溺れているのは苦しいだけじゃないか。
 目元にかかる前髪を掻き上げるように、体温計の代わりに熱を計るように、そっと、熱持つ額を撫でてみる。微かに汗ばむ感触がした。不快には思わなかった。
 何処にも行くなと言うようだった、身体に絡みつくシギの腕の重みが、肌に触感として残っている気がする。
 勝手にふらりと何処かへ消えてしまいそうなのはお前だろ。
 忌々しげに目を細めて、フユトは病人相手に舌打ちした。
 ある日、突然、全てに飽きたと投げ出して消えてしまいそうなのは、唐突に逝ってしまいそうなのは、お前だろ。この世に執着も未練もなさそうに、いつものように出て行って戻らないのはお前のほうなのに。
 命に関わる病でもないのに、死ぬな、と、漠然と思って、フユトは額に触れた手を引いた。
 こんなに感傷的になるなんて、馬鹿みたいだ。
 気を取り直すように溜息をつく。
 フユトにだって今日の予定がある。思わぬ形で早起きしてしまったから、早めに切り上げて自宅で休むか、第二寝室で束の間でも微睡むかしないと、夜に堪える。
 日中のうちにスラムの武器商へ行ってメンテナンスしていた銃を受け取り、その足で世話役をしている風俗店に顔を出し、夜から依頼に繋がりそうな相談案件が控えている。それが終われば、ママと顔馴染みの店に二件ほど顔を出して厄介事がないか確認し、気が乗れば贔屓の賭博場でディーラーと軽く話でもしよう。
 思っているのに。
 容態が急変するような病じゃないとわかっているし、言い聞かせているのに、フユトはどうにも離れ難くて、動けない。
 いつものシギなら、しがみつくように抱きしめることなんてしないから、きっと動揺しているのだ。シギの生い立ちなんて聞かないし、知らないけれど、絶望だけを知り尽くした眼差しは傍らで見ている。どんな経験をすれば、そんな目が出来るのかというほど、虚ろに焦点を持たない視線。現実を見るともなしに眺めているような、傍観者の目。独りにしたら泡沫のように消えてしまいそうな気配は、周囲に畏怖を齎す存在感と大きく矛盾しているものの、だからこそ、シギはシギたらんとしているのだと思えてしまう。
「……居たのか」
 動くに動けず、まんじりとしないままベッドの縁に座って途方に暮れていると、不意にシギの声がして振り向いた。発熱のせいで微かに潤んだ瞳が、寒色の間接照明に照らされて濡れ光る。
「居たのか、じゃねェよ」
 フユトは不機嫌に答えて、そっと安堵の息を漏らした。
「何処かに怪我してねェだろうな」
 シギには痛覚がほとんどないからこそ、恐れるのはそれだ。我知らず傷を受けて放ったらかしにし、化膿するのが一番怖い。
「しばらく現場には出てない」
 言って、起き上がろうとするから、フユトはすかさず押し留めた。
「アスピリンさえ飲めば問題ない」
 抗議を含むシギの声を黙殺して、
「もう連絡してあるし、俺も部屋にいるから寝てろよ」
 フユトは今日の予定全てを放棄した。
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