ポーカーフェイス-1

文字数 2,804文字

 法定内では数百円から数千円程度が、賭博場のチップ相場である。大負けしたところで少しの借金をするくらいで、人生を棒に振るような事態になんてならない。
 クラブのワンペア、役なしでフォール、クラブとダイヤのツーペア、スリーカードと連敗を重ねて、
「レイズ、オールイン」
 フユトは無表情に手元の五枚のカードを見つめたまま、大きな賭けに出た。
 ハウンドやハイエナのような、ひと仕事で大金を稼ぐ職種や成金、水商売や風俗に勤める男女が犇めくワンフロア。赤い絨毯に黒い壁という、如何にもな雰囲気の地下室にはそれぞれ小部屋が設けられ、ポーカー、ブラックジャック、バカラといったカードゲームが繰り広げられている。メインフロアの目立つ位置にはスロットが置いてあるものの、そこに座る客は少ない。マシンの設定による確率論ではなく、個人の勝負運も含めた博打のほうが射幸心を煽られるのだろう。
 ここの賭博場は数万円から数十万円が相場の違法レート。正に、死ぬか生きるかだ。
 コカの葉と煙草の葉による紫煙で視界は悪い。甘い匂いと苦い臭気で鼻はとっくに麻痺している。副流煙にも高揚の効能があっただろうかとフユトは思う。ディーラーを中心に据えたコの字型のカウンターに張り付く人々は、フユトのレイズに顔を赤らめたり青ざめたりと百面相している。
 それもそうだ。ポーカーで大事なのは運より心理戦。時にハッタリも効果的だし、ハッタリだと思わせる素振りも必要になる。
 さて、どう出てくる。
 カードの配役に恵まれずに五戦目だ。ここまでのフユトの不運を知っている他四名はハッタリと取るか、取らないか。
「フォール」
 水商売風の若い女が下りた。
「コール」
 成金風の脂ぎった中年は乗った。
「コール」
 四十路と思しき夫人は疑わしい目を向けている。
「……コール」
 何処ぞの御曹司風の陰気な男が怖ず怖ずと乗る。
 全員が出揃ったところで、フユトはカウンター中央のディーラーにちらりと目をやり、
「フォーカード」
 と、手札を開けた。エースが四枚揃う布陣に、下りた女は安堵し、夫人は嘆息し、陰気な男は真っ青になり、中年はディーラーにクレームをつけた。
「これ、本日分の手当てです」
 夜明け。客の姿を憚るように、違法賭博場の裏口で、フユトは同い年ほどの店長からそれなりに分厚い封筒を受け取った。
「確かに三十、今日のカモは良かっただろ」
 中身を確かめて、口角を上げる。
「レートが高いぶん、堅実なお客様が多いのはいいことなのですけどね」
 若き店長は苦々しく答えて、
「それではウチの母体が潤いませんから」
 経済系の反社会組織に属するだけあって、かなり悪どい顔で笑う。
 この賭博場のポーカーのディーラーと、フユトは最初からグルだ。レート同様、法外な利子を取る金融会社が経営母体をしているとなれば、金の流れも賭博場の意図も言うまでもない。
「ポーカーは好きだし、俺のいい小遣いだから」
 ハウンドの仕事だけでも充分に暮らせる額を稼ぎながら、フユトはこうして個人的な依頼──殺害以外の依頼も間々受ける──を受けることで、日々の刺激にしている。そもそも、着手金がビリオンを下らない狙撃依頼なんて年に数回あるかないかだし、着手金がミリオン以上の私怨による殺害依頼だってそこまで多くない。こういった賭博場でのトラブル解決やサクラ、客とのトラブルを抱えがちなクラブや風俗店の相談役も引き受けることで、収入を安定させようとする癖はなかなか抜けない。
 お前一人くらい養ってやる、と真顔で嘯く飼い主はいるけれど、フユトは檻に閉じ込められたままで居られるほど、おとなしい性格ではなかった。
 サクラであることがバレないよう、実費で出した負け分に色を付けた報酬は決して高くない。こういう仕事は本業と比べれば金額的には劣るけれども、上手くやれれば継続して依頼されるので、本当に小遣い稼ぎにはなるのだからありがたい。
 そもそも、フユトは簡単なイカサマもできるし、ポーカーに関してはそこそこ強いのだ。死と隣り合わせの廃墟群で六年を生き延びただけのことはあり、悪運には恵まれすぎている。
 けれども。
 ふと脳裏を過ぎった記憶に、このあとのことを考える横顔が曇った。
 何でよりによって、このタイミングで思い出してしまうのか。
 はぁ、と嘆息して、
「サイアク……」
 人気のない路地裏で、フユトは空を仰いだ。


  *


 その日。
 法定レートを守る合法的な賭博場で堅調に勝ったフユトは上機嫌に、飼い主の待つホテルの最上階へ帰宅した。
「遅かったな」
 時刻は既に夜明け前、四時を差している。
 眠って起きたのか、或いは眠らずにいたのか。リビングのソファから振り向くシギに言われて、
「久しぶりに調子良くてさ」
 と、まだ眠気の来ないフユトは楽しげに報告する。
 イカサマなしにスペードとハートのフルハウスが揃ったのは久しぶりで、我知らず、きっと高揚していたのだ。そんなフユトを見つめるシギの視線がどんな色を孕み、どんな顔をしていたかなんて、まるで覚えていない。
「俺とも一勝負してみるか」
 だから、普段は賭け事とは無縁のシギから言い出されても、
「いいぜ、負けたら俺の言うこと何でも聞けよ」
 なんて、軽く請け負ってしまえたのだ。
 しかし。
「……うそだろ」
 オープンされたシギの手札に、フユトは愕然と目を見張る。
「ロイヤルストレートフラッシュ」
 通常ならば万に一つ、揃う可能性があるかどうかと言われる、ポーカー最強の役が、シギの手札に揃っている。
 役なしが三回続き、そのたびに延長戦を申し込んで、ようやくワンペアが揃い、ストレートが揃い、スリーカードが揃って初めて勝ったと喜んでいたら、シギからあと一戦を申し込まれて安請け合いしたのが悪かった。
「お前、絶対にイカサマしただろ!」
 愕然としたあとは、沸々と怒りが湧いてきて、思わず卓上のカードに八つ当たりしそうになる。
 そもそも、二人のポーカーではカードを配る中立のディーラーがいないので、どちらかが配らなければならないのだが、フユトがイカサマを常套にしていることを知っているシギが、カードを混ぜて配るのを買って出たのだ。フユトもシギのイカサマを疑って、途中で一度、交代させてもらったときに負けたので、疑惑は早々に打ち消したにも関わらず、である。
「最初から堂々としてる」
 と、向かいのソファで余裕たっぷりにシギが言ってのけて、
「さて、一勝六敗のお前が俺に勝ったら、負けた俺はどうすれば良かったんだ」
 尊大に嗤う。
 あんなこと言わなければ良かったと思いつつ、
「負けたら俺の言うこと何でも聞けって言ったんだよ、クソ」
 フユトが不貞腐れて悪態をつくと、
「俺が勝ったらお前はどうする?」
 何をすべきかを思い出させるようにシギが問うから、
「何でも言うこと聞いてやるよ」
 耳の縁を赤く染めて、不機嫌たっぷりに答えた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み