ナイトメアをあげる。-5

文字数 2,389文字

 言質を取ったわけではないから推測でしかないけれど、依頼者は元恋人を妊娠させて中絶を迫ったか、彼女自身が中絶の道を選んだか、先天的に産めないかの何れかだろう。セイタは彼女の呟きを聞き流して傷口に塩を塗り込む真似はしなかったので、それについてはわからず終いだけれど。
「ま、よくある話か」
 セイタからの報告を一通り聞いて、フユトは感想を述べる。
 妊娠をきっかけに入籍したけれども、求めていた理想と現実が違って幻滅する話は間々聞く。依頼者もそのタイプの男で、身勝手極まりないけれども、酷い男かと聞かれたらよくある話だと答えるレベルだ。愛妻家で子煩悩な男もいないわけではないけれど、本当に愛するパートナーと結ばれない限り、得てして、夫婦というのはそういうものかも知れない。
 同性同士ながら狂的に溺愛されている立場としては、同情も共感もできないけれど。
「じゃあ、その女が個人的に依頼したセンはなしだな」
 セイタの話を聞く限り、フユトが予想した筋書きは成立しなさそうだった。だとすると、本当に被害者と見識のない少年が尾行して凶行に及んだのだろうけれど、フユトはやっぱり腑に落ちない。
 あまりに難しい顔をしていたのだろうか。セイタが伺うように覗き込むので、フユトはその頭を軽く叩いてやった。
「こんなところで立ち話もアレなんで、飲みに行きません?」
 叩かれた箇所をさすりつつ、セイタが人懐こく笑いながら誘う。
 夜の入り口のピークを超えた深夜の歓楽街だ。どの店も人入りが落ち着き、クローズに向けて静かになっていく頃合いだろう。
「お前が出せよ」
 そう告げて歩き出すフユトの背中に、
「それはないスよ、フユトさん!」
 セイタの情けない声がついて来た。
 事態はこれといった進展もなく、対象が出所したという情報と共に、決行日が決まった。
 元少年は別の街に住むことを余儀なくされた家族の元には戻らず、獄中で養子縁組をした保護司の老夫婦の家に引き取られるのだという。そこで資格取得の勉強に励みながら、就労支援を受けて社会復帰を目指すのだろう。
「立ち会わせて下さい」
 と、遺族の男は言った。どのような凶行に及ぶかを報告するために対面した席だった。
「……は?」
 フユトが思わず剣呑な声を出すと、男は僅かに動揺した様子を見せたものの、すぐに表情を改めて、
「信用していないというわけではないんです、でも、彼の死に目は直接見たい」
 愛する者を奪われた遺族の憤怒を顕わにした。
 フユトが描いた図面は、深夜に保護司の家に乗り込んで、強盗に見せ掛けて皆殺しという、罪のない人々をも巻き込んだ凶行だ。絶対に捕まらないとわかっているから組んだ段取りなのに、同行者が現場に遺留物を落としたら、彼が重要参考人としてしょっぴかれる。元少年との関係は事件の加害者と遺族。これを鑑みれば容疑者扱いか、最悪の場合は送検だ。
「……あのなァ、」
 猟犬が依頼を受けて殺害を代行するのは、依頼者を秘匿するためでもある。同行なんてさせたら猟犬の存在意義がなくなってしまう。
 うんざりして頬杖をつき、前髪を掻き上げてぐしゃりと乱したフユトは、依頼者を鋭い視線で睨め付ける。
「だったらテメェで殺しゃあいいだろ、情報屋なら紹介してやる」
 憎き相手をこの手で。それはわからない話ではないものの、ならば最初からハウンド頼みにするべきじゃない。依頼者は安全なところから、報復劇の高みの見物をすればいいのだ。
 フユトの言葉に、男は深く俯いた。
「認められないのはわかっています、それが私のためであることも」
 けれど、それでも、どうしても、妻と娘を惨殺した犯人が死ぬ瞬間を見たいのだと、男は語った。
「……本当に?」
 テーブルに肘をついた手で髪を掻き上げ、ぐしゃりと乱したままのフユトが意味深に目を細めて尋ねると、男は弾かれたように顔を上げる。
「身の安全は保証しねェけど、いいんだな」
 フユトの目が何を訴えようとしているか、考える様子も見せず、男は土気色の顔に微かな血色を取り戻し、表情を引き締めて頷いた。
「もちろんです」
 失うものは何もない、と腹を括った男の顔だった。
 最終的な打ち合わせを終えた夜。フユトの気分は浮かないままだ。
「お前にしては思い詰めた顔だな」
 シギの部屋に戻って早々、恋人からそう案じられるほど、張り詰めた顔をしていたらしい。普段の表情に締まりがないように聞こえて、それはそれでムッとするものの、不貞腐れる余裕がフユトにはない。
 リビングの入り口に立ち尽くしたままのフユトの元に、シギが足音もなくやって来る。その背中に腕を回して素直に抱きつきながら、
「立ち会わせろってさ」
 フユトは端的に報告して、シギの服をぎゅっと掴んだ。
 他人を害することに躊躇いはない。誰かの屍の上に積み重ねた未来を生きているのだ。半径一メートルの大切な誰かさえ守れれば、フユトにそれ以上はいらない。これまでの環境と経験で培われた思考回路は、矯正など難しいだろう。けれど、罪のない保護司ばかりか依頼者まで殺害しかねない状況に、フユトは大いに戸惑っている。
「本人は納得の上なんだろう」
 フユトの後ろ髪を指で梳きながらシギが尋ねて、フユトは無言で頷いた。
「……なるほどな」
 何かに納得したようなシギの耳殼の近くに鼻を寄せる。香水などつけていないのに、仄かに甘い香りがする。これを肺に満たすと気分が落ち着くので、フユトは深く息を吸って、吐いた。
「何だよ、なるほどって」
 いったい何に納得したのかと、フユトが不機嫌に聞けば。
「後追い」
 返ってきた不穏な単語に、思わず、全身が強ばる。
「え……?」
 シギの手はフユトの髪を梳くことをやめない。
「実感がなければわからないこともある」
 煩く鳴る鼓動の狭間、シギの声は諭すように響く。まるで、自分も同じような道を辿ったから言えると告げんばかりに。
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