ナイトメアをあげる。-7

文字数 2,282文字

 フユトが助手席から静かに降りるのに合わせて、バンの後部座席にいた同行者もそろそろと降りた。プロのハウンドは物音を立てないように動けるが、彼は素人なので、流れるようなフユトの動きにはついていけない。
 それでもどうにか追いつくと、フユトはピッキングで玄関の施錠を解いたところで、早くも外開きのドアノブに手をかけていた。
 雪がちらついただけあって、今夜は一段と冷え込む。指紋を残さないために手袋──フユトは業者にしては不自然な黒い革製、同行者は軍手だ──をしていても、指先は毎秒、痺れるように冷えていく。
 土足のまま玄関から上がり込む。足元は購入者特定が難しい量産された安全靴なので、足跡から辿られる恐れはない。非逮捕者リストに名前がある以上、普段なら身につけるものに配慮することはないけれど、今回は素人の同行者というお荷物がいるので、こういう準備も抜かりなくしている。
 ざっと一階の間取りを見渡したフユトは、当初の予定通り物盗りに見せ掛けるべく、同行者にリビングを荒らすよう顎先で指示を出した。老齢の保護司夫妻の寝室が一階にあることは事前に調査済みなので、フユトは単身、そちらに向かう。
 二階へ上がる階段より奥に伸びる廊下の先に、寝室はあった。二人が目を覚ましたところで構わないとばかりに、フユトは乱雑に引き戸を開ける。藺草が香る和室で、二人は睦まじく布団を並べて休んでいた。物音に起きる気配もないので、廊下に置いた工具箱の中から大きめのスパナを取り出して利き手に提げ、向かって右側の布団で仰向けに眠る保護司の老爺の寝顔に、真上から鈍器を振り下ろす。
 歪な音がして額が陥没した。少し大きい瓜科の果実を砕くようだと思いながら、同じ箇所にもう一度、慣性を伴って振り下ろす。布団に横たわる身体が大きく痙攣するのを認めて、無表情のフユトはそっと息を吐いた。
 異音に気づいて目覚めた上品な老女が侵入者に気づき、夫の変わり果てた死体を見つけて悲鳴を上げそうになるのを視線で制する。
 あまりの光景に失禁したか、或いは死ぬ間際に排泄する反射の影響か、微かに汚臭がする。愕然と色をなくし、恐怖と絶望を浮かべて尻餅をついたまま、壁際に後退る老女を追い詰め、フユトは昂奮漲る顔で、凄惨に笑う。死に接する人間の、この末期の顔が見たくて、ハウンドをやっているのだ。
 老人の血に濡れたスパナを振り上げた。怯える顔面に向けて振り下ろす刹那、
「終わりました」
 リビング荒らしについての報告をしに来た同行者の声に気が逸れた。
「……あ?」
 こいつは死に急いでいるのかと、剣呑な声で反応する。素人にはとても見せられない顔をしていたのだろう。びくりと肩を震わせる同行者から、隙をついて這う這うの体で逃げ出そうとした老女へ視線を戻し、後頭部を加減なく鈍器で殴打する。二度、三度と強めに殴りつけると、彼女は倒れ込んで痙攣し、やがてぴくりとも動かなくなった。
 昼間に見たら青かっただろう畳に、黒い液体が溢れて来るのを確認する。頭部が凹むほどに損傷を加えれば、即死でなくとも死は免れまい。運良く助かったとしても、まともな証言ができるほど回復するとも思えない。
 他人の手によって人命が奪われる瞬間を初めて見たのだろう。同行者は腰を抜かしそうな有り様で、怯えた目でフユトを見ている。
 殴打した際の血と髪の毛と僅かな肉片をこびりつかせたスパナを捨て、夫婦の寝室を出たフユトは、廊下に置いたままの工具箱から別の鈍器を取り出すと、その柄を同行者に向け、乱暴な所作で差し出した。
「え、」
「どうせ来たんならお前がやれよ」
 戸惑う同行者に唆す。手を下しても下さなくても、不始末があれば逮捕されるのは彼のみだ。だったら、少しでもその意に沿う行動をさせたほうが、心残りもないだろう。そこまでの覚悟があるから同行を願い出たのだろうし。
 震える手が、フユトが差し出すスパナを受け取ろうとする。が、しっかり握ることが出来ず、それは大きな音を立てて床へと落ちた。
「……お前さ、」
 自然と苛立つ声になるのは仕方ない。これだから、人殺しを甘く見る素人は嫌なのだ。
「殺れねェなら来るんじゃねーよ」
 フユトの顔に浮かぶ表情は、相手にどれだけ冷たく見えたのだろう。ひっ、と喉の奥で声を引き攣らせた同行者の怯え具合に、フユトは舌打ちを一つして、大袈裟なほどに嘆息する。
 人を殴る蹴るするのと、意図を持って殺害するのとでは雲泥の差だ。反社会の人間だって、ポンプを喰わなければ踏ん切りがつかないこともあるのに、それを素面で、しかも愉しげにやってのけるには胆力だけじゃ足りない。親しい人間には人らしく接するものの、そうでない人間は虫螻以下の扱いになる極端な性分も、ハウンドに必要な素養だろう。
 顔に飛んだ僅かな飛沫を思い出したように指先で拭い、フユトは差し出した鈍器を持ち替えると、夜陰に沈む階段を見上げた。
 静かすぎる。
 同行者は物音を立てないように行動していたが、フユトは対象が起き出して来ることも構わず音を立てていたし、声だって潜めていない。素晴らしく寝付きが良くて、一度眠ったら朝まで目が覚めないタイプでもなければ、これだけの物音に反応しないはずがないのだ。女子どもであろうと、一度でも人を殺した人間が丸くなるわけがない。本気で更生するような殺し方もしていない。
 もしかすると──
 不意に階段を駆け上がったフユトに、同行者も及び腰でついてくる。
 二階の三部屋のドアを手前から全て開けたあと、フユトは手にした凶器を壁に向かって投げつけ、大きな穴を開けた。
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