リリィ。-2

文字数 2,370文字

「わたしが紹介して欲しいのは女の子」
 自分がどんな顔をしていたのか知らないが、トーカがくすくすと愉しそうに笑って告げる。そうか女か、と頷きかけて、
「女?」
 怪訝に聞いてしまった。
「わたしがヘテロだなんて言った覚えはないわ」
 言って、良いかしら、と一言断り、トーカがバッグから銀製のシガレットケースを取り出す。繊細な百合の文様が刻まれた、国内では見たことのない代物だ。表面に傷や錆がないところを見ると、彼女のお気に入りの品で、もしかすると誰かからの贈り物かも知れない。
 スリムの煙草を赤い唇で咥えるトーカにウェイターが気づき、失礼します、と銀製の灰皿を置いていく。
 見た目だけなら相当の美人だし、スタイルも良いし、そういう関係になった人間も一人や二人ではないだろう。妙齢である、という以前に、トーカからは不思議な色香がほのめき立つ。それはふわりと立ち上る煙草の紫煙と相俟って、彼女にミステリアスな雰囲気を付随する。そんな彼女は客から言い寄られたことだってあるに違いないし、分を弁えない豚どもの哀願を袖にして高みから笑う姿はきっと堂に入っている。
「……あ、」
 そう言えば。
 思い当たる顔が浮かんだ。子リスのように笑う、八重歯と笑窪がチャームポイントの彼女。
 いや、でも待て。紹介するのはトーカだ。危うげにも感じる無垢な彼女を、経験豊富な魔女に売ってもいいのだろうか。寂しがり屋で、悪気なく他人を振り回す爛漫な性格が、おかしな方向に転がっても困る。
「私には安心できないって顔ね」
 フユトの逡巡を見透かして、トーカが揶揄うように言った。唇は緩やかに弧を描き、微笑をこそ湛えているものの、瞳の奥は笑っていない。
 ぎくりとして身を竦ませたフユトはまたしても、向かいのシギに助けを求める。トーカとのやり取りを興味深そうに観察しながら、シギは再び、右の口角だけで嗤う。そのまま追い込まれるところまで追い込まれてしまえ、あとは俺が料理してやる。そう言いたげな顔に内心で中指を突き立てて、フユトは大きく嘆息した。
「……いや、だって、お前サドじゃん」
 衒いのない言葉に、トーカが笑う。
「わたし、誰かと違って、パートナーには優しいのよ」
 ほら、そういうところだ。と、口には出さず、フユトはソファの背凭れに身体を預ける。自分の優しさをアピールするのに、わざわざ誰かを──敢えて魔王の逆鱗に触れるように──引き合いに出すところが、彼女には知り合いを紹介できない理由だ。言ったところで、二人とも理解できないかも知れないが。
 あの少女がトーカの下で変わってしまうこと自体は、顔見知り程度の付き合いしかないフユトにとっては、どうでもいい。どうでもいいけれども、迷惑を被りもした彼女らしさがなくなってしまうのは、それもフユトのせいで変わってしまうのは、どういう訳か嫌だった。
 基本的に、お人好しなのだと言われる。愉しげに人殺しをするサイコパスのようでいて、フユトの根幹は優しいのだと、いつだかのアゲハが指摘したように。
 そう言えば、彼女とは寂しがり屋という点で、共通項があるのだった。寂しがり屋で、常に誰かの気を引きたい彼女はきっと、サディストの気紛れには付き合えない。シギの場合はこちらが嫌になるまでベタベタに甘やかしてくれるから、そこについての不満はないけれど、トーカは絶対服従に悦さを見出すタイプだ。甘えたがりの寂しがり屋の構ってちゃんなどお気に召すはずがない。
 よし、断ろうとフユトが顔を向けた矢先、
「紹介されてすぐに関係を持つわけじゃないのよ」
 賢しく笑う女狐が告げる。
「紹介してもらって、それから相手がどう思うかじゃない?」
 確かにそれは一理ある。けれど、トーカはシギと同類だから、恐らくフユトの懸念も寸分違わずに見透かしている。
 ぐうの音も出なくなって、
「……わァったよ」
 言いくるめられるしかないのだと諦め、降参した。
 彼女と会うのは、冬の入り口に再会して以来だった。
 あのときは連絡先を交換しなかったものの、向こうが番号を消さずにいたらしい。人恋しくなったのか、或るときショートメールを寄越したのをきっかけに、月に一、二通のやり取りをするようになったのだ。
 紹介して欲しいという奴がいる、と、フユトは率直に伝えた。トーカの少し特殊な性癖は伏せたまま、年齢を問わず付き合える同性の友人が欲しいらしいと伝えると、彼女は二つ返事で了承した。
 罠に嵌めようとしているようで、フユトは随分、心苦しい。
 冬の終わり。春めく気候も増えてきた中、彼女とターミナル駅で待ち合わせた日は、生憎の雪雲で空は暗かった。まるでこれから起こることの予兆のようだと思いながら、数ヶ月前に見たよりも大人びた彼女に、思わず息を呑んだ。
 伸びた髪を緩やかに巻いてはいるけれど、デコルテの空いたローゲージニット、脚線美を露わにするスキニーデニムとローヒールのブーティーを合わせた出で立ちは、丈の短い服を好んでいた彼女とは印象がまるで違う。風俗店で働いていた頃よりは健康的にふっくらした体つきながら、締まるところは引き締まった相変わらずのスタイルなのだから、彼女なりの努力もあるのかも知れない。
「お久しぶりです」
 小動物のような愛嬌はそのままに、この数ヶ月で何があったのかと聞きたくなるほど、彼女は慎ましい淑女になっていた。元からオープンで下品なわけではなかったけれど、女は化ける、というのは本当のようだ。
「どうかしました?」
 呆気に取られるフユトを悪戯っぽく覗き込む仕草は確かにミコトそのもので、人違いをしているのではないか、という懸念は払拭される。
「調子狂うからやめろ」
 どうしていいかわからないフユトの言葉に、ふふ、とミコトは笑って、
「揶揄ってごめんね」
 と、フユトがよく知る表情を浮かべた。
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