負け犬-2

文字数 2,800文字

 男にしては滑らかで、長くて綺麗な形の指が、つぷん、と第一関節まで沈む。これを拒むために力むと痛いので、何度も何度も深く息をして、第二関節が埋まるまでやり過ごす。馴れ始めているとはいえ、最初の圧迫感と異物感はつらい。排泄物が途中で詰まってしまったかのような不快感はどうしたって拭えないし、本能的に排泄しようと下腹部が収縮するために鈍痛がする。
 男性間、異性間を問わず、こんな場所でよくセックスしてみようと思ったなと、フユトは誰にともなく毒づいてみる。人類で最初にアナルセックスに挑んだ人々が快感を得られると気づいたからこそ、現代まで脈々と、排泄器官を性器として使う方法が受け継がれているのだろう。若しくは、本能的なマウント行為の名残だろうか。
 あぁ、クソ喰らえだ。
 生まれながらにして膣がある女性間なら、挿入されるべき器官を持ち得るのだから、指でも舌でも玩具でも、排泄器官を使わずとも快感を得る手段は選べる。そういう意味では女であれば良かったと思いながら、粘膜の縁に宛てがわれる二本目の指の存在に身震いして、フユトは深く、長く、息を吐いた。
「痛いか」
 眉間が痛むほどに眉根を寄せていると、シギが具合を問うてくる。痛まないはずがないと抗議しようにも、脈打つ鈍痛で声も出せない。
 でも。
 きつく閉じていた瞼を薄く開ける。
 普段、ほとんど表情を浮かべないシギの無の顔が、少しばかり曇るのは小気味良かった。能面か、悪辣に嗤う顔しか知らないから、それ以外の表情を拝めるのは気分がいい。フユトだけが知っていて、フユトだけが見られる特別な瞬間。だから、苦痛を伴うと知っていて、憂鬱に沈むと知っていて、呼び出しに応じてしまうのだろう。救えない。
 無慈悲な化け物がこんな顔をするなんて、誰にも知られたくない。痛みを訴えれば痛まないように、悦さを訴えれば更に悦いように。シギは自身の技巧を凝らしてフユトを愉悦に導いてくれるから、そうとわかっていて信じているから、委ねている。そこに辿り着くまでが、どれだけ憂鬱で気が重くても。
 鳩尾から腹にかけ、放物線を描いてパタパタ落ちるゲル状の体液を吐き出しきって、息をつく。残滓の一滴も残さないように扱き立てたシギの利き手が離れ、ローションや体液を拭い去ったあとで頬を撫でるから、あまりの心地良さに感嘆の息が漏れる。
「嫌がるわりに、随分と飛んだな」
 責める意図のないシギの感想に、
「うるせ」
 力なくぼやいて目を閉じた。
 最終的に、指を三本飲み込んだ上で前立腺を穏やかに刺激され、ドライで一回、ウェットで二回も達してしまった。明日は絶対、縁が痛い。粘膜にもしばらく、違和感が残るだろう。
 実戦想定の手合わせで、射撃でも体術でも、フユトはシギに勝てた試しがないのだから、力尽くで本番に及んだっていいはずなのに、シギはその一線だけは超えようとしてこない。
 ちらりと視線を向ける。シギの興奮を伝えるそれを何となく目視して、強引に突っ込んだっていいはずなのにな、と思ってみる。もちろん、積極的に犯されたいわけではないし、長さも太さも同性として羨むばかりの凶器を捩じ込まれる覚悟なんぞないけれど。
「……欲しそうな顔をするな」
 フユトの視線に気づいたのか、そう言って、額に口づけるシギが苦く笑った。
「してねーよ、アホか」
 こうして甘やかされる時間に浸るのが好きなんだと実感しながら、フユトは情事後の余韻など感じさせない悪態をつく。
 しっとりした空気は苦手だ。娼婦や男娼と寝たときも、ピロートークなんて歯痒い時間は設けなかった。互いに裸と無防備を晒し、滾る性欲のままに突っ走ったあとの恥ずかしさといったらない。唯一、実の兄とだけはゆっくり添い寝もしたけれど、それは生まれてこの方一緒だったから恥じらいなんかなかっただけで、傍に繋ぎ止めておきたいが故の打算もあった。
「……どうすんだよ、それ」
 シギに髪を撫でられながら、目線を逸らして尋ねてみる。秘密の逢瀬を重ねるにつれ、段々と無視できなくなっているのは事実だ。とは言え、挿入して欲しいとは思えない。それはまだ、怖い。
「お前が気にすることじゃない」
 ほらな。フユトは些か鼻白む。シギはフユトが望む望まないに関わらず一方的に与えるくせに、自らは受け取ろうとしないのだ。同性だろうが異性だろうが、前戯を疎かにしてきたフユトに求めたくないのかも知れないけれど、拒まれているようで傷つく。傷ついてしまう。
 手で抜いてやろうか、とか、口でしてやるよ、とか。言い出そうとしたことはある。兄には素直に言えたそれらはまだ、喉の奥に引っ掛かって出て来ない。我ながら、可愛げがないのだ。
「先に寝てろ」
 ぽん、と頭を軽く叩いて、シギの手が離れていった。一抹の寂しさが過ぎったものの、たぶん表情には出なかったはずだと言葉にはしない。
 フユトより時間を掛けてシャワーを浴びたシギは、静かに眠るフユトを置いて、そっと部屋を出るのだろう。いつものように、部屋の支払いだけを先に済ませて。
「……シギ、」
 だから、名前を呼んでみた。髪を撫でた指が離れる一瞬で胸を焦がした、名残惜しさのままに。
 ふ、と。ベッドから立ち上がって振り向いたシギが目を細めた。そこに宿る幾多の感情のやり場を探しあぐねたように、苦々しく笑った。
「そんな顔をするな」
 どんな顔だよ、と喰ってかかることはしなかった。シギの瞳を見なくとも、もう充分に、自分がどんな表情を浮かべているか、理解していた。
「勝手に置いて帰るなよ」
 シギがシャワーを浴びている間に眠ってしまう自信があるからこそ。翌朝、目覚めたときには一人で取り残されているのが目に見えるからこそ。それは物凄く、途轍もなく、さみしい。
「明日、隣に居なかったら、二度と寝てやらねェんだからな」
 言ってしまって、顔が燃えているように熱くなった。今の自分はクスリを仕込まれていないし、泥酔するほど飲んでもいない。素面であることを思い出して、悶死する、と思いながら、歯を食い縛って目を伏せるに留めた。気づくと、身体が震えている。排泄器官を観察される以上の羞恥だ。
 シギがどんな顔をしたのか、見ることは叶わない。けれども、
「……わかったから、煽るな」
 とんでもなく甘い声が困ったように笑うから、俯く顎を掬われてキスされるから、たぶん、愛しげな目をしていたに違いない。
 シャワーの水音を遠く聞きながら、うとうとと、フユトは微睡む。なかなか覚悟は決まらないし、挑発しては撤回してばかりだけれど、シギが待っていてくれることに安堵している。力尽くで及ぼうとしないのは、フユトとの関係が単なる火遊びなんかではないという、これ以上はない証明だ。わかっているからこそ焦っているし、気持ちの整理もつけられないのだけれど、シギは黙ってくれている。待っている素振りなんか露ほども見せず。
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