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文字数 2,209文字

「い、やだって言ってんだろ!」
 それまでの甘く蕩けた顔や声を一変させて、フユトの怒号が飛ぶ。
 シギがいつもの手順でウィークポイントを攻め落としにかかったときは、強気な目をとろんとさせて従順だったものの、そのうち小さく、やだ、と繰り返すようになり、それでも無視していたらこうなった。
 本番に及ぶための長い前戯の最中とは思えない声に、シギはちらりと目線を向けただけで、健康的な色の肌に似合う薄茶の乳輪の横を、尖らせた舌先でちろりと擽る。
「やめろって言ってんだよ馬鹿、聞け!」
 激昂しながらも、フユトがシギの髪を引っ掴んでまで止めようとしないところを見ると、冷静に考える部分はまだ残っているらしい。どうせ、いつものアレだ。羞恥に耐えきれなくなって起こす癇癪だ。と、シギが先へ進もうとすると、
「やめろって!」
 腹筋に膝を当てるようにして押し返すから、捲り上げた服を戻してやりつつ、フユトの動きに従った。
 もう待てないとなだれ込んだのは古めかしい外観のモーテルだが、改装したばかりなのか、内装は小綺麗で、古い建物特有の黴臭さや埃っぽさもない。
 よく言えば落ち着いていて、悪く言えば清潔感しかない部屋には入らず、ドア口を入ってすぐの通路で始めたのが悪かったのか。だったら最初から部屋に行くと言えばいいのに、対応するのがしち面倒な『察して』が始まったかと、シギが嘆息すると。
「……今日はいい」
 不貞腐れたフユトがぞんざいに言うので、
「あ?」
 シギも反射的に煩わしさを滲ませる。
「何か、気分じゃなくなった」
 ぼそぼそと答えるフユトの本音はきっと、何回か前の逢瀬で覚えた愉悦を味わうのが怖いのだ。キスと愛撫を受け入れているうちに、自分の体が以前とは変わっていく過程を思い出して、新たに馴染み始めた快感が怖くなって、怯んでいるに違いない。
 そんなところも引っ括めて愛しい奴だと甘やかしてもいいけれど、調子付かれたままでは困る。いちいち機嫌を取る側の身にもなって欲しい。
 シギが鬱陶しそうに吐息すると、フユトはそっと、胡乱な眼差しで睨めつけてくる。我儘を言ってはみるものの、彼はシギの強さも恐ろしさも十二分に知っているので、安全なラインを見極めるのに必死だ。
 そうやって顔色を伺うくらいなら、反発などせず諦めてしまうか、心中を話して拒否すればいい──拒まれたところで堕とす手管は無数にある──のに、シギにとってみれば、素直じゃなくて愚かしいところも、フユトらしさの一つではある。
「仕方ないな」
 瞬間的に沸騰した苛立ちはすぐに冷め、抑揚も乏しく答えるシギに、フユトが意外そうな目を向けてきた。あぁ、もしかするとこれは、手酷くされたいが故の煽りだったかも知れないと思いながら、敢えて本心を読み違えたままにしておく。
 いくらフユトの本音や感情が、他人と比べてわかりやすいとは言え、察してくれると甘やかしたままではいけない。
 フユトの面子や建前を溶かし、正体が蕩けるまでの、ただでさえ長い前戯が更に長くなるだけだ。怖い怖いと怯えてはいるが、お前の実態はここまで堕ちたのだと、体にも頭にも知らしめる、真綿で首を絞めるような前戯。
 獰猛に舌なめずりしたいところを堪え、シギはフユトを視界から外す。
「お前の気が乗ったら誘ってこい」
 そして、選択権を委ねることで、前戯の準備は整った。

  *

 シギとするキスは好きだ。
 人の情を解さない化け物が紳士然と施す、擽りにも似た優しい愛撫も。目立つところに所有痕を残さない癖に、痕が残りそうなほど首筋を吸われることも。淫蕩だと認めたくなかった本性に迫られ、輪郭を失うほど溶かされるのも好きだ。
 凪いだ水面が微風にさざめき、漣が立って小波になって、やがて大波が白波を立てるように変化してゆく愉悦も嫌いじゃない。
 但し、本来なら挿入するところじゃない箇所に異物を受け入れる瞬間の、脂汗が滲むような圧迫感は未だ慣れないし、苦しくて呻くフユトを宥めすかすシギは嫌いだ。群れの頂きに君臨する征服者だけが持ち得る、陶酔にも似た圧倒を抱える目を見るたび、力づくで首根っこを押さえられた気分になる。
 舌を絡めて熱を交わすやり取りに終始していられたらいいのに、シギが先へ進むたび、フユトがキスだけでは物足りなくなるたび、あの苦界が這い寄ってくる。気持ち良さにただただ浸っていられたらいいのに、あの刹那を予期してしまった途端、フユトの足は竦むのだ。
 本当は怖いんだと言ってしまいたかった。受け入れると決めたのは自分だけれど、圧迫感に馴染んだ先の灼けるような愉悦も知っているけれど、苦手なものは苦手なのだから仕方ない。だからどうにか、シギにあの手この手でその気にさせてもらいたかったのに、その日の逢瀬は敢えなくお開きとなったのだから、フユトも意地を張り続けるしかなくなる。
 シギが国内、それも同じ街にいるのに会わないのは、いつ以来だろうか。
 あの日はごめん、と一言だけ言えたら、シギはきっと、どうしようもなさそうに苦笑して、その手を煩わせた罰をくれるのに、そこまでの道のりはフユトにとって、途方もなく険しく遠い。
 あんな奴のことなんか──と、フユトは思う。
 あんな奴のことなんか、気に病むことも、気に掛ける必要もない。悪魔より悪魔的で不遜で傲慢な奴がフユトを忘れて何処で何をしていようと、誰と寝ていようと嫉妬することもない。
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