Am I "beutiful"?-6

文字数 2,607文字

「そんなに嫌なら受けなきゃ良かっただろ、テメェの自業自得じゃねーか」
 詰められすぎて、フユトがうっかり本音を零すと、
「何をされても喚くなよ」
 シギは凄惨な色を湛える瞳を、トーカよろしく意味深に眇めた。
 この流れが、シギとトーカの間で綿密に打ち合わせた上でのことだったとフユトが知るのは、もっとずっと後の話だ。
 その日は朝から頗る寒かった。今にも降り出しそうな雪雲が空を覆い、上空の微風にゆっくりと流されていく。
 愛用のコルトを朝から念入りにメンテナンスし、最終の挙動確認をして、セーフティを掛ける。無骨な形のミリタリーナイフの研ぎ具合に数ミリの狂いもないよう、指の腹で触って確かめたあと、牛革で作られた鞘に押し込み、装備の支度は整った。
 兄が傍にいた頃は、仕事前の緊張感をごまかすために軽口が増えたフユトだけれど、今は無駄口を叩くことはない。何度も頭の中で繰り返したシミュレーションを反芻し、一般人なら近づくことも躊躇われる殺気を纏う。
 今回は殺しの依頼ではないから、普段通りとはいかない。
 前夜、自分ではどうしようもない不安に流され始めたフユトが落ち着くまで、何もせず傍らに寄り添ってくれたシギは、今はいない。緊張感を纏い始めたフユトには、他人の存在が煩わしくなる瞬間があると熟知しているのだ。
 ──確かにおだて上手だし、口は上手いのよ。
 内偵で初回に入ったあと、本指名でもう一度、標的に会いに行ったトーカの報告を思い出す。
 ──わたしの好みではないけれど、女性ウケはする犬顔だもの、指名もなかなか多いみたいだし、少し間違えば本気になる子はいるでしょうね。
 遠目から撮られた写真を見るに、コウヤは確かに、一部の女性には支持を得られる甘い顔立ちをしている。表向きにはご法度と言われる枕営業も欠かさないらしいから、本気の恋人関係だと勘違いされても仕方ない部分はある。
 けれども、自分だけのものにしたいと粘着する、依頼者の女の情念には共感ができない。
 ──ただ、話してみればわかるけど、この子は上辺だけなのが見え透いてるんだもの、女だって馬鹿じゃないのだから、余程じゃない限り入れ込むことはなさそうね。
 サディストである、ということを抜きにしても、トーカの感想が多数派だとすれば、コウヤの強引な営業方法も頷けた。女なんてヤってしまえばモノになる──物事の本当の怖さを知らない、若さ故の無知か、考えなしが陥るパターンだ。
 まぁ、あの女も頭は良くなさそうだしな、とフユトは思いながら、腰に提げたホルスターにコルトをセットした。
 雪雲が流れていく。寒さが身に染みる。雪にならないまま日は沈み、凍てつく夜がやって来る。
 日没を迎えてから、日中にはなかった風が出てきた。乾燥した大気のうねりは、身体の芯から熱を奪おうとしてくる。防寒着を纏っていても、手指の先から、足の裏から、体温が少しずつ逃げてゆくようだった。
 歓楽街はラストまで残った帰り足の酔客と、彼らを見送るキャスト、一足早く上がって帰路につくキャストらで束の間、賑わう。
 件のホストクラブの裏口から私服姿で出てきたコウヤは、飲み疲れて浮腫んだ顔で歩き出した。
 依頼者に指示して、何日か前から、来店意図のない粘着系のメッセージを送らせている。精神的に堪える内容が毎日のように届き、倦んでいるところに、今月の売上の状況が悪いと来たものだから、あんな顔色になるのは当然だ。
 メッセージはフユトの仕込みとはいえ、売上自体は彼の能力の限界だろう。何ヶ月か前まではナンバー入りしていたようだが、薄っぺらな営業手段など、目の肥えた客には見透かされる。ほぼ一見客のトーカが、顔だけで中身なし、と判じたように、同じように感じる女が多かったというだけのことだ。
 尾行しながら、フユトは真っ白な息を吐く。空を仰ぐと、夜目にも真っ黒な雲が、ちらちらと星空を覗かせながら、急速に流れていくのが見えた。
 視界はほぼゼロ、仕事には打ってつけである。
 周囲に人の気配が絶えるのを待って、フユトは標的の背中を真っ直ぐに尾けた。ひたひたと怪しく忍び寄る何かを、相手に意識させるように。
 自分以外の足音がすることに、コウヤは程なく気づいたようだった。後ろを振り向くと、脱色しすぎて傷んだ髪をくしゃりと散らし、忌々しそうな顔をする。大方、メッセージを連投する女がストーキングしている、とでも思ったのだろう。しかし、彼の視界に映るのは、真っ黒なフーディーの防寒着を纏い、それを頭から被って顔を隠した男の姿である。
 ホストにしろホステスにしろ、水商売の業界に入る時点で、店側から忠告はされるはずだ。
 この国の裏社会には、猟犬(ハウンド)と呼ばれる金に忠実な僕がいる。寄せられる依頼の多くは利権や派閥に絡んだ暗殺だが、半端に金を持つ人間の中には、痴情や私怨で殺害を依頼する人種がいる。そういう輩の取り扱いに気をつけないと、端金で動くような殺人狂に命を狙われるぞ、と。
 単体や、解体屋(ハイエナ)に繋ぐ殺害依頼なら最低ミリオン、狙撃を含む暗殺なら最低ビリオンを稼ぐフユトは、端金にしかならない依頼でも動く殺人狂だ。
 顔を隠したフードを取り払う。雲間に覗く月明かりが褐色の髪を照らす。一般人には殺人狂の猟犬と認知されていないフユトでも、瞳に宿るただならぬ光は、相手を怯えさせるのに充分だった。
 以前、粛清に赴いたフユトを、ある同業者は悪鬼羅刹と評した。人間味の欠片もない総帥の片腕、化け物の無言の意思をも汲む忠犬、殺戮さえ愉悦に替える狂人、地獄の扉を蹴り開けて亡者を叩き込む冷血な獄卒、などの意味で。
 今回の標的も、以前に相対した粛清対象と同じように、フユトが不気味に口角を吊り上げるのを見た途端、弾かれたように逃げ出した。同業者ならフユトの危険性を承知しているからまだわかるが、相手はただの素人だ。あぁ、面倒な鬼ごっこが始まったとばかりに舌打ちして、逃げる背中を緩やかに追いかける。
 普段の走り込みは、こういう場面で生きるのだ。
 凍てつく夜を鋭い音が割る。腿を撃ち抜かれた標的が倒れ込み、ようやく諦めたかと思って声を掛けると、悪足掻きするようにそれでも逃げる。
 面倒な上にしぶてェな、と思いながら、フユトの口角は上がったままだ。逃げる獲物を追い詰めていく、背筋がわななくほどの歓喜に白い息を吐く。ギンギンに勃ちそうだ。嗜虐の悦びが開花する。
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