耽溺パラドクス。-4

文字数 1,763文字

 とうとう、フユトが告げた最終宣告に、シギが腕を伸ばして背中から抱き寄せようとしてくる。その手を厳しく振り払い、シーツを被り直して眠ろうとするフユトのこめかみに、唇が触れた。
「触んな」
「悪かった」
「許さねェって言ってんだろ」
「もうしない」
「当たり前だ」
 どんな言葉も受け取らないフユトに、
「トーカと俺と、どっちが悦かったんだ」
 シギが尋ねる。こいつのこういうところは好きになれないと思いつつ、フユトは肩越しにちらりとシギを見て、
「トーカ、って言ってやればいいんだろ」
 喧嘩を売る。シギは苦く笑っただけで、耳にかかるフユトの髪をさらりと撫でた。
 戯れにしたって悪質だ。フユトはもう、シギがいい、シギでなければ駄目だと素面でも言えるのに、その気持ちは真実かと追及されたようで気分が悪い。だって、嘘も本当もない。そう仕向けたのはシギで、フユトは見事に陥落しただけなのに、この期に及んで何を求めるというのだろう。
「何処にも行くな」
 抑揚のないシギの声が言った。
「誰にも触らせるな」
 フユトの耳の縁を撫でる指が、耳たぶを強く摘む。神経など通わない箇所なのに、爪を立てるような手つきのせいか、微かに痛む。
「誰にも許すな」
 心臓を刺し貫くような声に、フユトの肩がびくりと跳ねた。
「誰も見るな」
 フユトだって本当は、シギのことを責めてばかりではいられない。シギが国内にいない間、何をしているかと問われたら、清廉潔白とは言えないのだ。かつてほど、他所で寂しさを埋めるようなことはしなくなったけれど、フユトが克服できずにいることを、シギは長い目で見て待っていてくれるとばかり思っていた。
 灸を据えられた、と思えば、怒っている場合じゃないのに、フユトは矛を下げられずにいる。
 黙していると、
「……当分、何もなしじゃ、キスもお預けか」
 シギがふとしたように呟いた。仕方ない、と嘆息するシギを振り向いてしまってから、目が合って、シギの瞳を介して、自分がどんな顔をしているかを知る。
「どうした」
 身体ごと振り向いたフユトを、シギが嗤うから。
「約束、するから、キスだけ許す」
 罰が悪くなって、目を逸らしながら答えた。

  *

「貴方がこんなに重い人だなんて思わなかった」
 扼死専門の縄師が呆れたように言った。
 それはそうだろう。彼女の目の前にいるのは夜の闇より昏い気配を持ち、死神のように命をかっ攫っていく化け物だ。怨念で人を呪い殺すことはあっても、雁字搦めの束縛をしながら愛を囁くことなどとは無縁のような生き物なのだから。
「あの子、今度、貸して欲しいの」
 そんな生き物を前にして、彼女は恐れもせずに言った。
「何度も言わせるな」
 地獄の底から響くように冷たい声が、彼女の提案を両断する。
「わたしも何度も言っているけど、あの子の悪い癖を叩き直すには必要だと思うの」
 やはり、彼女は涼しい顔で宣う。地獄の盟主は黙って続きを促す。
「わたしはあの子を借りられる、貴方はあの子を独占できる、これでウィンウィンでしょう?」
 妖艶なサディストは、冷酷なサディストに、したり顔で微笑んだ。腕に蛇を飼うサディストは、太腿で薔薇を育むサディストに胡乱な眼差しを投げて、
「それで?」
 興が乗ったフリで尋ねる。
「貴方は少しだけ痛い目を見せてあげればいいの、あの子はもう堕ちているのだし、貴方に捨てられるのは相当に怖いはず」
 ふふ、と彼女は蠱惑的に微笑んで、
「貴方だって、わたしにお手つきにされたあの子なら、徹底的に虐められるでしょう?」
 可憐な少女のように、小首を傾げて見せた。
「詭弁を垂れるな」
「そう言わないで」
 しかし、化け物は用心深いし頭も切れる。無慈悲な魔王さながらの横顔を見上げ、彼女はそれでも懲りずに口を開き、彼が納得するだろう条件を提案した上で、
「あの子は恥ずかしいのも苦しいのも好きそうだもの、少し本気で怒るかも知れないけど、言いくるめるくらい簡単でしょう?」
 駄犬の飼い主を唆した。
「保証金は億だ」
 言って、化け物は暗澹たる瞳を彼女に向ける。
「そのうち、守銭奴呼ばわりされるから気をつけなさいよ」
 不本意そうに嘆息した彼女は、らしくなく憎まれ口を聞いて、
「でも、そうね、それならわたしが暴走することもないし、この首で贖えるものね」
 うっとりと笑った。






【了】
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