Thx, I love you.-7

文字数 2,306文字

  Lovers編

 しんと静まり返り、人の気配のほとんどが眠りに就いた深夜三時三十分。
 遠くから迫る微かな足音に、フユトはふと目を覚ます。
 激しく縺れ合う一夜を過ごしたのに、翌日のシギは外せない会議があるとかで、昼前には部屋を出たのだった。痛む腰を理由に甘やかしてもらう計画が狂い、不貞腐れながら鬱憤を晴らすようにミコトへ連絡したものの、彼女は彼女でお楽しみの最中だったらしく相手にされず、何の予定もない一日をだらけて過ごした──正確に言えば予定はあったものの、気が利く恋人の根回しで、いつものようになかったことにされた──。
 元からショートスリーパーのシギとは違い、今では何時間でも眠ることができるフユトは、前日の寝不足と疲労と倦怠を補うように惰眠を貪り、夕食を摂るのに少しばかり外へ出て軽く飲み、部屋に戻って再び眠った。それから凡そ三時間後の目覚めだ。
 足音の主は言うまでもない。
 のそりと起き上がったフユトは、寝すぎて重たく感じる頭を軽く振ると、ベッドを降りた。
「……ふざけんな」
 タイミングを寸分も狂わせることなく、シギが部屋のドアを開けると同時に、寝室の入り口から不満を垂れる。寝起きと不機嫌そのもののフユトの顔に、シギは恋人専用の甘い表情で苦く笑い、
「代理を頼めない仕事もある」
 咎めるだけのフユトに素直に悪びれる。
「お前が休みだと思ったから付き合ってやったのに」
 それでも不貞腐れるフユトに歩み寄ったシギが額へキスして、
「明日は休んだ」
 と、瞳の奥を覗き込んで告げた。
 道を渡ろうとするブロンドの青年の身体を、横合いから猛スピードで出てきたライトバンが跳ね飛ばす。
 冒頭十分強で主人公が死ぬ展開に、シギの足の間でゆったりと湯船に浸かるフユトは些か鼻白む。
 海外の作品を原語で観ることを好むシギと、小難しい言葉や表現が苦手なフユトでは好きな動画も違う。共通しているのはスリラーやスプラッタを平然と観られる点ではあるけれど、どれも気分じゃないとシギが選んだのは、魔王然とした彼には似つかわしくないロマンスだった。
「なぁ、これ、面白くなんの?」
 早々に飽きてしまったフユトが尋ねると、
「どうだろうな」
 フユトの濡れ髪に頬をつけながら、後ろから腰を抱くシギが曖昧に答える。
 しっとりとしたラブロマンスなんかより、観ている側もアドレナリンが出るようなアクションや、血湧き肉躍るバイオレンスもののほうが楽しいのに、と思いながらも、未明から長時間の作品を観始める背徳と、シギに丁寧に甘やかされる前兆のような時間は好きだから、取り敢えず口は噤んでおく。
 長身のフユトが足を伸ばせる大きさのバスタブに四十度の湯を張り、防水機能がついたタブレット端末を持ち込んで過去のアーカイブの作品を観ながら浸かるのは、これが初めてではない。二人とも翌日がオフだとわかっているときの、夜更かしの恒例行事だ。作品を選ぶのはシギだったりフユトだったりするし、互いに相手の好みなんか考えないし、最後までじっくり観終えることもないのだけれど、フユトはこの時間を気に入っている。安っぽいモーテルのビデオ・オン・デマンドなんかでわざとらしいアダルト作品を見せられる──もちろんシギはそんなものを見ないし、見せられたこともないけれど──より、何倍も楽しい。
 ブロンドの青年が無邪気にピーナツバターを舐める。未明の時間なのもあって、フユトは僅かに空腹を覚えつつ、ねっとりした食感の薄茶色のそれの甘さとくどさを思うと、同時に胸焼けがする。
 昼前から深夜まで戻らなかったシギは、何を食べたのだろう。ふと思って視線をやろうと身動ぐと、フユトの行動など全てお見通しの恋人が喉で笑いながら、
「明日は何処かに食べに出るか」
 今日の食事の味など知らない、とばかりに問いかけるから、
「……うん」
 フユトは素直に頷いた。
 二人とも、そもそも食事に興味があるほうではないし、食材や味にこだわるほうではない。フユトなんかは食べられるものなら味も値段も気にしないと思うほうだけれど、シギは更に極端で、カロリーを摂れるなら何でもいいと宣うタイプだ。仕事柄、会食が多いから、高級店や隠れ家的な飲食店、品のいい料亭を知っているというだけで、美食家なわけでもないが、シギの選択はフユトの舌が求める味の濃さを外したことがないから、きっと、肌が合うぶん味覚も合うのだ。
 なんて思うと、少し尻の据わりが悪くなる。これはもしかすると、ラブロマンスを選択する辺りからも、もしかするかも知れない。
 予感したフユトがちらりとシギを見やると、彼はタブレット端末で進むストーリーではなく、フユトの様子を観察しているから、何年経っても食えない奴だと思う。まぁ、露骨にセックスしようと言われるより、こうして誘導されるほうが好きだから、文句はないけれど。
 ストーリーの中ほどで、海外作品には間々ある濃密なベッドシーンが来た。ほら見ろ、やっぱりな、と思いつつ、腰の奥がざわつく感覚にまんじりとせずにいると、
「落ち着かないな」
 耳のすぐ近くでシギが言うから、ぎくりと身体が強ばる。
 唇がむず痒い。キスがしたい。端末の画面の中で美男美女が繰り広げるように、唇と舌を交わして、啄まれて吸われたい。昨晩は甘やかされるというより、荒々しく事が進んだから、飽きるまでキスされていなかったし、項や首筋を何度も辿る舌がなかった。
 きゅ、と、無意識に、腰に回ったシギの腕を掴む。合図を待っていたのか、フユトの動作の意味を心得た恋人は、動画を再生したままの端末を脇に置いて、
「こっち向け」
 フユトに動くよう指示する。
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