贄-4
文字数 1,894文字
「いい、俺もしたい」
昂奮に呑まれたシギが普段の強烈な自制を解くことも、フユトの建前 を正確に見抜いて受け入れることも知っているから、だから、やめられない。獣性に駆られるシギになら、殺されたい。
五分眠ったら少し回復したから、血を見たせいで昂奮しているのは同じだから。用意した言い訳は使わせてもらえず、仰向けにされて、覚悟を問うように見下ろされたあと、ぬるりと上顎を舐める舌に腕を掴んだ。
そのあとは、脳内麻薬の酩酊作用か、記憶がない。気づいたら、深く眠るシギに抱き寄せられていた。
規則的な呼吸を音も立てずに繰り返す、静かな、密やかに眠れる龍のような状態のシギを初めて見たときは、死んでいるのではないかと思ったものだ。死んだように眠るとはこういうことかと思ったけれど、この世界から自らの気配を完全に消し去り、最初から存在していないかのように眠るシギの姿に、疼痛を覚えたのも事実だ。
フユトが長らく怯えを消せないように、シギにもまた、積もり積もって身に付いた習慣がある。闇討ちに便利だと本人は言っているけれど、普段から足音を立てないのも、気配なく移動して背後に立つのも、きっと、シギがそうして、生き延びて来た──来なければならなかった──環境や背景のせいに違いない。
明かりは点いていないのに、部屋はほんのりと白んでいた。フユトの目覚める気配にも起きないのだから、昨夜のシギは相当に疲れていたのだろう。気後れしつつ身動ぎして、腕の間から抜け出す。枕元に置いていた端末を手に取って時間を確認した途端、身体に重く残っていた疲労も倦怠も、嘘のように引いていった。
「おい、シギ、起きろって」
窓には目隠しで雨戸が掛かっているから、隙間からの光ではわからなかったけれど、時刻はとうに昼を回り、午後になっている。フユト自身、一件の相談の約束を反故にしているし、多忙なシギにしてみたら、とんでもない数の会議や商談をキャンセルしたに違いない。有能な秘書がいたとしても、これでは余りに──と焦っていたのは、フユト一人だけだった。
眠れる龍が薄目を開ける。
「……喚くな」
シギにしては珍しく、不機嫌そうな口調に、フユトは素直に押し黙る。ベッドから起き上がろうにも腰の異様な痛みで動けなかったせいか、再び、シギの腕に抱き枕よろしく引き戻される。
「いや、仕事、」
「根回ししてある」
「俺の、」
「お前のも全部、だ、わかったら寝ろ」
寝ろと言われても、覚醒してしまったら眠る気がしない。シギの手際の良さに舌を巻き、恋人の行動は全て網羅する驚異のストーカーぶりに閉口して、フユトはおとなしく枕に頭を預けた。
「……お前、ショートスリーパーじゃなかったっけ」
惰眠を貪る趣味はなかったはずだと、さり気なく抵抗すれば、
「腕、突っ込むぞ」
地を這うように低いシギの声が脅迫するので、それ以上は黙ることにした。
シギに背中を向けて、腰を抱かれる。シギの寝顔にあんなこと思わなければ良かったと不貞腐れながら、添い寝するだけの時間と空間がこそばゆくなってきて、腹の中が痒い。落ち着かない。シギにとことん甘やかされるのは好きだけども。好きだけれども。
不意に、項を吸われた。
「痕つけんなッ」
咄嗟に手をやってガードしながら、肩越しに振り向いて睨め付ける。どこか眠たげな、無防備な表情のシギがそこにいて、予想外の光景に、心臓が跳ねた。
のも束の間。
「お、まえ……っ」
「まだ動けるみたいだからな」
腰に回る腕が下腹部から下へ向かう。嫌な予感に喚き立てると、眠たげにしていたはずのシギが獰猛に耳朶を食んで、
「あと一回、ヤらせろ」
欲情した声で囁く。
「ふざけんな、もう勃たねーし出るモンねェよ」
シギの手をどうにか引き剥がして呻く。これ以上は、本当に死ぬ。
「つーかお前、どんだけ……」
言いながら、身体ごとシギを振り向こうとして、そのまま肩を縫い止められた。己の失策に気づいても、遅い。
「場所選びが悪かった、先に謝っておく」
仰向けになったフユトに被さりながら、シギが口の端を舐めた。捕食を前に滴る唾液を抑えきれない、獣の笑みを浮かべる。
「……遅ェよ」
そういうことか、とようやく得心がいって、フユトは身体の力を抜いた。これはもう、抗いようがない。
久方ぶりに引き裂いた獲物の悲鳴と、現場に流れた血潮ばかりでなく、この男は過去を見て、今を重ね、己の戦果に猛っている。気持ちはわからなくもないながら、厄介な奴、と胸中で吐き捨てて、二回目の誘いに乗った時点でこうなることは決まっていたのだと、フユトは全てを投げ出すことで、受け入れることにした。
【了】
昂奮に呑まれたシギが普段の強烈な自制を解くことも、フユトの
五分眠ったら少し回復したから、血を見たせいで昂奮しているのは同じだから。用意した言い訳は使わせてもらえず、仰向けにされて、覚悟を問うように見下ろされたあと、ぬるりと上顎を舐める舌に腕を掴んだ。
そのあとは、脳内麻薬の酩酊作用か、記憶がない。気づいたら、深く眠るシギに抱き寄せられていた。
規則的な呼吸を音も立てずに繰り返す、静かな、密やかに眠れる龍のような状態のシギを初めて見たときは、死んでいるのではないかと思ったものだ。死んだように眠るとはこういうことかと思ったけれど、この世界から自らの気配を完全に消し去り、最初から存在していないかのように眠るシギの姿に、疼痛を覚えたのも事実だ。
フユトが長らく怯えを消せないように、シギにもまた、積もり積もって身に付いた習慣がある。闇討ちに便利だと本人は言っているけれど、普段から足音を立てないのも、気配なく移動して背後に立つのも、きっと、シギがそうして、生き延びて来た──来なければならなかった──環境や背景のせいに違いない。
明かりは点いていないのに、部屋はほんのりと白んでいた。フユトの目覚める気配にも起きないのだから、昨夜のシギは相当に疲れていたのだろう。気後れしつつ身動ぎして、腕の間から抜け出す。枕元に置いていた端末を手に取って時間を確認した途端、身体に重く残っていた疲労も倦怠も、嘘のように引いていった。
「おい、シギ、起きろって」
窓には目隠しで雨戸が掛かっているから、隙間からの光ではわからなかったけれど、時刻はとうに昼を回り、午後になっている。フユト自身、一件の相談の約束を反故にしているし、多忙なシギにしてみたら、とんでもない数の会議や商談をキャンセルしたに違いない。有能な秘書がいたとしても、これでは余りに──と焦っていたのは、フユト一人だけだった。
眠れる龍が薄目を開ける。
「……喚くな」
シギにしては珍しく、不機嫌そうな口調に、フユトは素直に押し黙る。ベッドから起き上がろうにも腰の異様な痛みで動けなかったせいか、再び、シギの腕に抱き枕よろしく引き戻される。
「いや、仕事、」
「根回ししてある」
「俺の、」
「お前のも全部、だ、わかったら寝ろ」
寝ろと言われても、覚醒してしまったら眠る気がしない。シギの手際の良さに舌を巻き、恋人の行動は全て網羅する驚異のストーカーぶりに閉口して、フユトはおとなしく枕に頭を預けた。
「……お前、ショートスリーパーじゃなかったっけ」
惰眠を貪る趣味はなかったはずだと、さり気なく抵抗すれば、
「腕、突っ込むぞ」
地を這うように低いシギの声が脅迫するので、それ以上は黙ることにした。
シギに背中を向けて、腰を抱かれる。シギの寝顔にあんなこと思わなければ良かったと不貞腐れながら、添い寝するだけの時間と空間がこそばゆくなってきて、腹の中が痒い。落ち着かない。シギにとことん甘やかされるのは好きだけども。好きだけれども。
不意に、項を吸われた。
「痕つけんなッ」
咄嗟に手をやってガードしながら、肩越しに振り向いて睨め付ける。どこか眠たげな、無防備な表情のシギがそこにいて、予想外の光景に、心臓が跳ねた。
のも束の間。
「お、まえ……っ」
「まだ動けるみたいだからな」
腰に回る腕が下腹部から下へ向かう。嫌な予感に喚き立てると、眠たげにしていたはずのシギが獰猛に耳朶を食んで、
「あと一回、ヤらせろ」
欲情した声で囁く。
「ふざけんな、もう勃たねーし出るモンねェよ」
シギの手をどうにか引き剥がして呻く。これ以上は、本当に死ぬ。
「つーかお前、どんだけ……」
言いながら、身体ごとシギを振り向こうとして、そのまま肩を縫い止められた。己の失策に気づいても、遅い。
「場所選びが悪かった、先に謝っておく」
仰向けになったフユトに被さりながら、シギが口の端を舐めた。捕食を前に滴る唾液を抑えきれない、獣の笑みを浮かべる。
「……遅ェよ」
そういうことか、とようやく得心がいって、フユトは身体の力を抜いた。これはもう、抗いようがない。
久方ぶりに引き裂いた獲物の悲鳴と、現場に流れた血潮ばかりでなく、この男は過去を見て、今を重ね、己の戦果に猛っている。気持ちはわからなくもないながら、厄介な奴、と胸中で吐き捨てて、二回目の誘いに乗った時点でこうなることは決まっていたのだと、フユトは全てを投げ出すことで、受け入れることにした。
【了】
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