狗も朋輩鷹も朋輩-4

文字数 1,898文字

「……ども」
 フユトは月の初めにかわした挨拶と同じ調子で会釈し、自分に割り当てられたロッカーを開けた。
 ここで最初に声を掛けられたとき、フユトはトレーニング終わりだったけれど、今回は逆だ。
 トレーニングを終えて男臭く汗をかくオオハシは、相変わらず同じ男として惚れ惚れするような体格をしている。分厚く頑丈な胸筋もさることながら、首周りや肩、更には子どもの腰周りほどもある大腿筋の張り具合は、彼がどれだけストイックに研鑽を積んだかが見て取れる。しかもその全てが、ボディビルダーのような鑑賞用ではなく、戦地や修羅場を渡り歩くために実用目的で鍛えられたものなのだ。ここまで身体を育てる苦労を思うと、フユトにはなかなか真似できない。
 トレーニング面でストイックといえば、シギもなかなかに見栄えのする逆三角形寄りの体格ではあるけれど、体幹や遅筋を中心に鍛えられた持久力抜群の身体はしなやかだし、なにぶん、着痩せするので、オオハシのようなゴツさはない。あんなに涼し気で中性的な顔なのだから、オオハシのような体格だったらそれはそれで困るなと、フユトは内心で独りごつ。
「勘の良さは天性ですか」
 あれこれ考えていると、穏やかな表情のオオハシが問うて、フユトは何気なく視線をやった。強面ではあるけれど、オオハシはどう見ても、ハウンドらしくない。
「……どうだろな」
 フユトは俯いて言葉を濁す。
 あの夜、あの間合いで、僅かな動きだけで相手が手にしたものを察し、的確に判断を下したフユトのことをオオハシが褒めていたと、何日か前にシギから聞いたばかりだった。聞けば、銃把が見えるか見えないかのうちに利き腕側の肩を撃ち抜いて戦闘不能にした上で頭を撃ち抜き、戦力を削ぐと同時に敵方を威嚇するまでを、負傷者もなしにやってのけるのは難しいのだそうだ。コンマ一秒の動き方次第では命取りになる場面だからこそ、相手が持っているのが銃でない場合を恐れたら、シギは無傷では済まなかった。
 まぁ、あれは結果が良かっただけで、場合によっちゃ全面戦争だったんだけどな。思いながらも、フユトはそれを口にはしない。
 勘を磨かなければ生きて来られなかったから、否応なしに身についたものはあるだろう。シギはフユトを評して、人馴れしない野生動物並みだと言うけれど、自身では実感が伴わない。撃たれても刺されても動じない化け物に言われるのだから、その点に於いてはシギに並ぶのだろうが、フユトが望んで手に入れたものではないから、素直に喜べないのも確かだ。
「お陰で私も託せます」
 俯いたためか、フユトの複雑な表情には気づかず、オオハシが意味ありげに言った。視線をやった先には、やはり、彼の人の良さが滲む笑みがある。この男はこの顔で、平然と組本部にランチャーを撃ち込むのだから、人というものはわからない。
「二十年前はどうなることかと思いましたけど──」
 いつもよりは饒舌で、感慨深そうなオオハシに、彼はシギの生い立ちの一部を知っているのだと、フユトは改めて実感した。化け物が化け物たる所以を知っている、数少ない証人の一人。けれども、シギがどんな育ち方をしていようと、フユトの興味はまるでそそられない。
 返り血を浴びながら不敵に嗤う男がフユトだけを溺愛し、傍らで甘い嘘を囁き続けてくれるなら、不意に喉を掻き切られるその日まで、嘘に流されていたいと思う。
 あれは麻薬だ。それなくしては生きていけないほどの。僅かに離れただけで禁断症状を催すほどの。
「引退でもするんスか」
 トレーニング用のウェアに着替えながら、フユトは素っ気なく聞いてみる。シギの背中を守りながら、父性溢れる眼差しをした男に。人としては壊れきっている化け物へ、愛たるものを教えただろう、その人に。
 フユトの乾いた口調に、オオハシは困ったように笑った。
「それはもう少し先です、後進の指導も残っていますし」
 朗らかな横顔を盗み見て、ジリジリと焦げ付く胸の奥に、フユトは舌打ちしそうなところを寸でで堪えた。
 付き合いの長さでは負けるし、彼がシギを殺人狂へ訓練したと聞いたこともある。今は上司と部下であっても、かつては師弟のような関係だったのだろう。他人を一切信用せず、期待も寄せず、孤高に生きるシギが認める、フユト以外の唯一の他人がオオハシだ。
 あの化け物の唯一でないことに、フユトは僅かに嫉妬して──すぐに馬鹿馬鹿しいと吐息した。
「今度、俺にも訓練つけて下さいよ」
 だから、いつものフユトらしく、内心で中指を突き立てて煽るように、オオハシを見る。
「ちゃんと番犬できるように」
 そして、不遜に口角を持ち上げた。




【了】
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み