Thx, I love you-3
文字数 2,361文字
T×K編
メッセージの受信を告げる端末の震えに気づいて、ミコトは通知を開いた。能動的にはやり取りしたがらない人物の名前に驚きつつ、綴られた内容を丁寧に読み込む。
曰く、送り主は急な腰痛で仕事を休み、更には監視も兼ねる恋人が不在で暇を持て余し、連絡してきたようだった。
相変わらず幸せそうだとミコトは思う。メッセージに綴られた内容は不満や愚痴のようなものだったけれど、そこから滲み出る想いは隠しきれていない。
「あら、浮気?」
しっとりしたハスキーボイスが冗談半分に尋ねるので、ミコトはトーカに画面を覗き込ませながら、微笑んで否定した。
「惚気話を聞かされてたの」
画面に表示された文字列を流し読んで、トーカがふふ、と笑う。
「本当ね」
疑り深いパートナーのためを思って、というより、ミコトの行動はもっと純粋だ。楽しいことやおもしろいことは、好きな人と共有したい。ただそれだけの原理なのだ。
愛し子のこめかみに軽く口付けて、トーカがキッチンに立つ。その背中を、ミコトはダイニングテーブルの椅子に座ったままで見つめる。モデルのような等身の彼女が、長い黒髪を一つに束ねて、手際よく昼食を作ってくれるのが、ミコトが泊まりに来た日のお決まりになっている。
一度だけ、今日はあたしが作る、と張り切ってキッチンを借りたことがあったけれど、手際は悪いし味もイマイチだしで、それ以来、ミコトはトーカに甘えることにしている。張り切ったところでレシピを見ても分量の計算ができないからチンプンカンプンだし、そもそも大さじも小さじも理解できていない。
お母さんみたい、とミコトは思う。トーカには決して言わない。トーカの年齢を思って言わないのではなく、ミコト自身が秘めておきたいからだった。それはもう報われない思いだから、永遠に満たされることはない。他のもので埋め合わせようとも思わない。料理中のトーカの背中や、他の誰かの優しさに触れたとき、ほんの少し寂しくなっても、ミコトはそれでいいのだと割り切っている。その痛みがあればきっと、母がいたことを忘れないから。
「今日は何?」
トーカの元からいい匂いがし始めて、ミコトは椅子から立ち上がると、パートナーの手元を覗きに近づいた。
「寒くなってきたからポトフにしたけれど、どう?」
ミコトがやって来るのを予期していたように、小皿にスープを一掬いしたトーカが、味見用に渡してくれる。それをチロリと舐めて、野菜の甘さと控えめなコンソメの味に、ミコトは幸せそうに微笑んだ。
「美味しい」
そろそろ、冬になろうとしていた。薄曇りの外は乾いた風が吹いていて、マンション前に等間隔で並ぶ広葉樹は軒並み裸だ。それが一層、目に寒い。
ミコトがトーカと付き合うことにして、もうじき半年が経とうとしている。トーカの部屋に化粧品や部屋着、日用品をちまちまと置き始めたのが秋の入り口で、今は不自由なく過ごせるのだから、それだけの時間が経ったのだろう。今更ながら実感して、しみじみとしてしまう。
「ねぇ、コトちゃん」
少し遅めの昼をダイニングテーブルで向かい合って食べていると、不意にトーカに名前を呼ばれて、感慨に浸っていたミコトは顔を上げた。
ミコトの顔をまじまじと見るとき、トーカの顔はいつもうっとりしている。最初はそれがとても恥ずかしくて、特に情事の最中なんかは部屋を真っ暗にして手でも隠していたけれど、最近は胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じたくて、隠すのも逸らすのもやめた。
この人は、あたしのことが本当に好きなんだ。実感するたび、ミコトの中に蟠る寂寞の氷河が少しずつ溶けていくように思う。
「何か欲しいものはある?」
聞かれて、ミコトはきょとんと瞬いた。
「欲しいもの……?」
「ほら、もうすぐ半年が経つじゃない、それに年末が近くなると、プレゼントを渡す風習があったと聞いたのよ」
トーカが言わんとしていることを理解して、ミコトは頬を赤らめた。
その風習は、今やショーウィンドウや店頭のディスプレイでしか見ることがない、クリスマスというものだ。この国では恋人や大事な人と過ごす日で、プレゼントを送り合う風習だったとミコトも聞いたことがある。その時期になると、赤と白のセクシーなコスプレをすることが風俗店での決まりだったから、ミコトのイメージは多分に破廉恥なのだけれど。
トーカねえさまは好きかな、なんて、いつぞやのミニスカートのコスプレを思い出して、ちらりと向けた視線を伏せた。
「欲しいものは特に、ないの」
胸の奥に空いたままの穴を埋めるように、風俗店で稼いだお金で、ミコトは服も靴も買い込んだことがあったけれど、それはミコトの虚しさを加速させるだけだった。物理的に埋まることのない穴は今でもぽっかり口を開けているけれど、ミコトの物欲は枯れてしまっている。欲しいのはそれじゃない、とわかってしまったからだ。
考え込むミコトの反応に、トーカは静かに待っている。ミコトが自分なりの言葉を選び、自分の気持ちを余すことなく伝えられるようにする、二人の間の儀式だ。
「欲しいものは特にないけど、ねえさま、泊まりに来てもいい?」
物理ではなく精神的に満たされたい。ミコトの結論に、トーカはうっとりと微笑んで、勿論よ、と頷いた。
昼を食べ終えると、トーカと過ごせる時間も僅かになってしまう。トーカは夜から仕事だし、ミコトも明日の昼から仕事だ。夕方には出なければならない事実が寂しくて、子どものように愚図ってしまいたくもなる。トーカはきっと、破顔しながら、聞き分けのないミコトの頭を撫でて、抱きしめてくれるはずだから。
「ねえさま」
夜に向けてシャワーを浴び、鏡台に向かって綺麗な顔に薄づきのメイクをする背中に、ミコトはそれとなく声を掛ける。
メッセージの受信を告げる端末の震えに気づいて、ミコトは通知を開いた。能動的にはやり取りしたがらない人物の名前に驚きつつ、綴られた内容を丁寧に読み込む。
曰く、送り主は急な腰痛で仕事を休み、更には監視も兼ねる恋人が不在で暇を持て余し、連絡してきたようだった。
相変わらず幸せそうだとミコトは思う。メッセージに綴られた内容は不満や愚痴のようなものだったけれど、そこから滲み出る想いは隠しきれていない。
「あら、浮気?」
しっとりしたハスキーボイスが冗談半分に尋ねるので、ミコトはトーカに画面を覗き込ませながら、微笑んで否定した。
「惚気話を聞かされてたの」
画面に表示された文字列を流し読んで、トーカがふふ、と笑う。
「本当ね」
疑り深いパートナーのためを思って、というより、ミコトの行動はもっと純粋だ。楽しいことやおもしろいことは、好きな人と共有したい。ただそれだけの原理なのだ。
愛し子のこめかみに軽く口付けて、トーカがキッチンに立つ。その背中を、ミコトはダイニングテーブルの椅子に座ったままで見つめる。モデルのような等身の彼女が、長い黒髪を一つに束ねて、手際よく昼食を作ってくれるのが、ミコトが泊まりに来た日のお決まりになっている。
一度だけ、今日はあたしが作る、と張り切ってキッチンを借りたことがあったけれど、手際は悪いし味もイマイチだしで、それ以来、ミコトはトーカに甘えることにしている。張り切ったところでレシピを見ても分量の計算ができないからチンプンカンプンだし、そもそも大さじも小さじも理解できていない。
お母さんみたい、とミコトは思う。トーカには決して言わない。トーカの年齢を思って言わないのではなく、ミコト自身が秘めておきたいからだった。それはもう報われない思いだから、永遠に満たされることはない。他のもので埋め合わせようとも思わない。料理中のトーカの背中や、他の誰かの優しさに触れたとき、ほんの少し寂しくなっても、ミコトはそれでいいのだと割り切っている。その痛みがあればきっと、母がいたことを忘れないから。
「今日は何?」
トーカの元からいい匂いがし始めて、ミコトは椅子から立ち上がると、パートナーの手元を覗きに近づいた。
「寒くなってきたからポトフにしたけれど、どう?」
ミコトがやって来るのを予期していたように、小皿にスープを一掬いしたトーカが、味見用に渡してくれる。それをチロリと舐めて、野菜の甘さと控えめなコンソメの味に、ミコトは幸せそうに微笑んだ。
「美味しい」
そろそろ、冬になろうとしていた。薄曇りの外は乾いた風が吹いていて、マンション前に等間隔で並ぶ広葉樹は軒並み裸だ。それが一層、目に寒い。
ミコトがトーカと付き合うことにして、もうじき半年が経とうとしている。トーカの部屋に化粧品や部屋着、日用品をちまちまと置き始めたのが秋の入り口で、今は不自由なく過ごせるのだから、それだけの時間が経ったのだろう。今更ながら実感して、しみじみとしてしまう。
「ねぇ、コトちゃん」
少し遅めの昼をダイニングテーブルで向かい合って食べていると、不意にトーカに名前を呼ばれて、感慨に浸っていたミコトは顔を上げた。
ミコトの顔をまじまじと見るとき、トーカの顔はいつもうっとりしている。最初はそれがとても恥ずかしくて、特に情事の最中なんかは部屋を真っ暗にして手でも隠していたけれど、最近は胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じたくて、隠すのも逸らすのもやめた。
この人は、あたしのことが本当に好きなんだ。実感するたび、ミコトの中に蟠る寂寞の氷河が少しずつ溶けていくように思う。
「何か欲しいものはある?」
聞かれて、ミコトはきょとんと瞬いた。
「欲しいもの……?」
「ほら、もうすぐ半年が経つじゃない、それに年末が近くなると、プレゼントを渡す風習があったと聞いたのよ」
トーカが言わんとしていることを理解して、ミコトは頬を赤らめた。
その風習は、今やショーウィンドウや店頭のディスプレイでしか見ることがない、クリスマスというものだ。この国では恋人や大事な人と過ごす日で、プレゼントを送り合う風習だったとミコトも聞いたことがある。その時期になると、赤と白のセクシーなコスプレをすることが風俗店での決まりだったから、ミコトのイメージは多分に破廉恥なのだけれど。
トーカねえさまは好きかな、なんて、いつぞやのミニスカートのコスプレを思い出して、ちらりと向けた視線を伏せた。
「欲しいものは特に、ないの」
胸の奥に空いたままの穴を埋めるように、風俗店で稼いだお金で、ミコトは服も靴も買い込んだことがあったけれど、それはミコトの虚しさを加速させるだけだった。物理的に埋まることのない穴は今でもぽっかり口を開けているけれど、ミコトの物欲は枯れてしまっている。欲しいのはそれじゃない、とわかってしまったからだ。
考え込むミコトの反応に、トーカは静かに待っている。ミコトが自分なりの言葉を選び、自分の気持ちを余すことなく伝えられるようにする、二人の間の儀式だ。
「欲しいものは特にないけど、ねえさま、泊まりに来てもいい?」
物理ではなく精神的に満たされたい。ミコトの結論に、トーカはうっとりと微笑んで、勿論よ、と頷いた。
昼を食べ終えると、トーカと過ごせる時間も僅かになってしまう。トーカは夜から仕事だし、ミコトも明日の昼から仕事だ。夕方には出なければならない事実が寂しくて、子どものように愚図ってしまいたくもなる。トーカはきっと、破顔しながら、聞き分けのないミコトの頭を撫でて、抱きしめてくれるはずだから。
「ねえさま」
夜に向けてシャワーを浴び、鏡台に向かって綺麗な顔に薄づきのメイクをする背中に、ミコトはそれとなく声を掛ける。
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