負け犬-4

文字数 1,724文字

 誰かに飼い慣らされることが屈服だと思っていた頃が遠い。
 キスのときに後ろ頭に添えられた手が背中から倒れ込む際の衝撃から守るためのものだと気づいた日も、あちらこちらと教え込まれる性感が挿入時の苦痛を散らすためのものだと気づいた日も、言葉遊びで嫌がる素振りを真に受けるのは体調を慮ってのことだと気づいた日も。それは単純に愛していると伝えるための行動なのだと気づいたら、差し出してみたいと思えるようになった頃が懐かしい。
「ぁ、もっと、」
 離れていく舌を追いかけて舌を差し出し、ついでに言葉でも強請る。
 こんな日が来るなんて、毛を逆立てながら威嚇していた頃は思いも寄らなかった。首輪を付けられてリードで繋がれるのなんか真っ平だと牙を剥いていた、あの頃は若かったなと思う。一人でも生きていけると肩肘を張っていたあの日が遠い。本当は、弱みに付け込まれて殺されることが怖かったのに。
「少しお預けだ」
 宥めるシギの声がした。
 離れた舌は胸元へ向かい、ピリピリと刺激を送り込むために使われる。不満げに声を漏らしながら、そこを舐られるのも好きだと伝えるように手を伸ばし、シギの頭を押さえるように添える。
「ン、」
 腹の奥がぎゅうっと縮むような心地がする。指だけじゃなく、シギの形を覚え込んだ粘膜が、喪失感にさざめいているようだ。埋め尽くされたいと欲している。二人を隔てるものなんか何もないように、溶け合いたい。
「……堪え性なしか」
「ぁ、うっせ、」
 フユトの動きに顔を上げたシギが苦笑した。
 始まったばかりの長い前戯に早くも焦れて、挿入に備えるように自ら解す指を窘められるから、蕩けた顔を晒しながら噛み付いてやる。
「気ィ遣うなっていつも言ってんのに……!」
「わかった、悪かったからお預けだ」
 焦れるフユトの悪態に苦笑しながら、シギの手に止められるまま、後ろを弄る指を抜く。半端に刺激したものだから、もう駄目だ。シギが寄り添う側の手を伸ばし、やっと熱と芯を帯び始めたそれに触れ、ゆるゆると扱く。
「フユト、」
「うっせェ、黙れ、溜まってんだよ」
 相変わらず、情事の雰囲気というものを度外視するフユトがギャンギャン吠えると、雰囲気重視のシギは仕方ないと言いたげに首を振る。催促する手も止めて引き剥がし、フユトの足の間に陣取ると、
「あとで四の五の言うなよ」
 柔らかくはあるけれど、完全に解れてはいないだろう粘膜に軽くジェル状のローションを塗って、先端から一息に押し込んだ。
 裂ける、と、脳裏で警告が明滅する。恋人らしい甘いだけのセックスとは真逆で、無理に犯される被虐に満たされる。余裕がなくて望んだとはいえ、その圧迫感は久しぶりで、胃の中のものが戻って来そうだ。ぶるぶると背筋を震わせながら耐え忍んでいるというのに、火がついたのだろうシギが腰をギリギリまで引き戻して奥を穿つから、少しだけ脂汗が滲む。
「ちょ、バカ、止まれって……!」
「五月蝿い、喚くな」
 フユトの制止を今更だと嘲笑うシギが、長さのあるそれを完全に根元まで押し込んで結腸を刺激する。そのまま掻き回されるだけで堪らない。何処で達しているかわからない状態にされる。
「や、ぁ……ッ」
 脊髄から脳幹へ駆け抜けるゾワゾワと共に背筋が撓った。力の限りシーツを握りしめて耐える。脳裏が真っ白に灼けて爛れていく。墜落を待つだけの高みで爆ぜそうになる。
 全身が突っ張って強ばり、力の抜き方がわからない。嫌々と首を振って逃がそうとするのに逃げていかない。浅く、速くなる呼吸に気づいたシギが律動を止めて抱き寄せるから、固まる関節でぎこちなく背中にしがみついて、
「いいこだな」
 力の抜き方を思い出すまで宥められる。
「……イき死ぬかと思った……」
 いつもの呼吸に戻り、フユトが思わず呟くと、
「ふ、」
 覆い被さって抱きしめるシギが肩を震わせて笑うから、正上位のために曲げた膝を無防備な脇腹に入れてやろうかと舌打ちする。
「笑うな」
 不機嫌に言えば、
「いや、悪い、無理させた」
 引かない失笑をどうにか噛み殺した風情のシギが甘く微笑むから。フユトだけにしか見せない顔で、彼なりの愛を囁くから。
 明け渡して良かったと、フユトは密かに満たされる。







【了】
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