骸-2

文字数 2,261文字

「意外と入って来ねェのな」
 フユトが依頼量について率直な感想を漏らすと、
「大人の臓器は飽和して値崩れしてるからな」
 シギが市場の状況を答える。
 ハイエナ単体の依頼の量は、ハウンド単体や、殺害と解体を含む依頼の五分の一にもならない。だから彼らは狩りをする。無抵抗で非力な女子どもを狙う。
 依頼がなかったからと言って、彼女が生きている保障はない。フユトのように、組織に属しながら個人的に依頼を受ける場合もあるし、どこにも属さずに活動している者もいる。
 きっと無事だと、何の根拠もなく信じていたほうが気楽だとわかっていても、どうしたって気にしてしまうのは、いつか誰かが言ったように、お人好しだからなのだろうか。
「……これ、」
 メーラーを閉じてトップ画面に戻る。縦三行にわたって羅列するアイコンの中、ふと気になった写真の絵柄を示すと、
「やめておけ」
 シギがフユトの言葉を遮るから、きっと血塗れの現場写真のデータなのだろうと勘づいて、それ以上を聞くのはやめた。
「──昨日の昼から食ってねェから、腹減った」
 革張りの背凭れの脇から負ぶさるようにして、シギの首に腕を回してみた。二人でいるときに別の誰かの話をされるのはフユトだっておもしろくない。だから、滅多にしない所作で甘えてみる。フユトから甘えることだって、天変地異の前触れくらい有り得ないことではあったけれど。
 お前のせいだと暗に伝えなくても、普段のシギは存分に、フユトに対しては甘いのだ。これが他の誰かだったら、シギは主張を黙殺するし、場合によっては凶行に及ぶ。
「何が食べたい」
 ほら。首に回る腕を振り払われることも、胡乱な眼差しを向けられることもなく、シギが当たり前のように聞くから。
「超高級店じゃなけりゃ何処でも」
 シギの首から離れて答えた。
 この国の首都である中央都市の南側に接する埠頭で、首と四肢のない遺体が浮かんだのは、それから五日後のことだった。若い女であること以外わからない、身元不明の遺体が彼女ではないかと気が気ではなくて、仕事を終えた足でシギの部屋に向かう。
 動脈を掻き切った際に被った返り血もそのままに、真っ直ぐリビングへ抜けて、
「見せろ」
 シギが反応する前に言い放つ。
 先日、見せてもらった電子端末の画像データのアイコン。鮮度の高い臓器に群がるハイエナ共の悍ましい現場写真だとばかり思っていたけれど、シギも元はハイエナだ。遺骸を記録する癖が残っているかも知れないと、不意に思ってしまったのだ。
 血塗れの状態に心配するどころか、穢れに眉を寄せることもなく、シギは淡白な視線でフユトを見つめ、
「後悔するなよ」
 こうなることは予測していたとばかりに、涼しい顔で革張りの椅子を空けた。
 フユトが椅子に落ち着くのを待って、シギが傍らでデータを開く。
 見なければ良かった、と、心から思った。
 ハウンドが殺害した遺骸を解体するところは、まだ見慣れている。フユトも何度となく、遺骸の処理を任せてきたし、現場にも立ち会っているからだ。多数の殺害現場での解体写真に混じって、ハイエナが単独で解体した現場写真が数枚、フユトの目に留まる。
 顔の皮を剥がされ、眼球をくり抜かれた眼窩。喉から下腹へ向かって真っ直ぐに切開された傷。移植可能な臓器を取り払われ、引きちぎらないよう丁寧に引き出された桃色の(はらわた)が蛇のようにのた打ち、蜷局を巻く。
 胃の底が冷える。
「俺が殺ったならアシは残さない」
 埠頭の遺体は自分じゃないと先に言えばいいのに、言葉だけではフユトの信用は買えないと、解剖の教本よりグロテスクなデータの羅列を見せつけて、あのフユトが蒼白になる瞬間さえ愉しむシギが言った。更に何枚かをスクロールして展開しながら、
「必要最低限を売り払ったら溶かして終わりだ」
 塵芥の分別へのこだわりを語るような口調で言う。
 そうだった。この男は基本的に、自分以外の全てを人だと思っていないのだった。有益か無益か、プラスかマイナスか。グレーゾーンのない極端な判断をするから、周囲は彼を畏れる。さすがに朝令暮改ではないけれども、例えるなら、貸した小銭を返さなかったから腕を切り落とすというような、情状酌量のない罰を下す点では残忍だし、彼が課すルールの逸脱は絶対に認められない。
 そんな男に例外的にあらゆるものを許されているフユトは、とても幸運なのだと知らしめられる。
 沸き上がる吐き気を生唾ごと飲み下して、フユトは電子端末を自ら畳んだ。これ以上は正気を保っていられない。
「……疑って悪かった」
 脂汗が滲みそうな気配に、フユトはそっと詫びる。忠告を疑わずに信じていれば、最も苦手なものを見なくて済んだのに、と後悔する。
「お前はすぐに気をやるからな」
 言いながら、シギの左手の指がフユトの右肩に食い込んで、爪を立てる。加減を知らない力に、骨がメリメリと軋む。本能が警告を発して、咄嗟に傍らのシギを振り向く。
「どれだけ教えてやっても、節操も分別もない」
 あ、死んだ。
 フユトは直感する。
 先日の怒りの比ではない、シギの絶対零度の瞳が間近にある。
「ち、が……」
 狭まる喉で言葉を紡ぐ。
「好きとかそんなん関係なく、クライアントの心配するだろって」
 関わりのある誰かの無事を気にする感覚は、シギには理解できないかも知れない。たった一度、シギが衝動的に動いたことはあったものの、それと同じだと説き伏せたところで、彼は絶対に認めない。
 何と言えば理解してもらえるのだろう。
 悲鳴を上げる肩の骨が痛む。これは確実に折れる。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み