ナイトメアをあげる。-3

文字数 2,356文字

 驚くべきことに、セイタは彼女らの似たようなメイクや髪色、服装を全て見極め、名前を呼び間違うことがなかった。職業選択を誤ったのではないかと、フユトがますます確信を深める傍らで、セイタは顔馴染みの蝶々と少し語らい、やがて後腐れなく別れた。
「ホストかヒモでもやれば一生困らねェだろ」
 セイタがふと足を止め、夜の世界に生きる彼女らと雑談すること五回目にして、フユトはうんざりしたように言った。
「興味ないっス」
 と、セイタは爽やかに答える。
 彼が彼女らに好かれ、泡沫の恋を同時進行しても恨みを買わないのはこういうところなのだろう。フユトがほんの少し素っ気ない態度を取るだけで、嫉妬に目をギラつかせる誰かさんとは大違いだと溜息をつく。
 まァ、そこも誰かさんの好きなところではあるのだけれど。
「何年か前の妊婦殺し、覚えてるか?」
 急に話題を変えたフユトの問いに、セイタはぱちくりと瞬いて、うーん、と声を漏らしながら考え込む。
「俺、時事ネタ苦手なんスよね」
 と言いつつ、
「……十五の子どもが子ども殺して、母親を死姦(ネクロ)したやつっスか?」
 ちゃんと覚えているのだから、何かしら印象的だったのだろう。
 ハウンドになる輩の中には、初めての殺人が十代になるかならないかくらいだったというタイプもいるので、フユトも年齢の部分では衝撃を受けない。精神病質的な人間が周囲に多い環境にいると、善悪の基準や判断が曖昧になってしまうのも否めない。が、子連れの妊婦にのみ性的興奮を覚える特殊性癖のゴシップ報道は、同性として理解しがたかった。そこはセイタも同意見のようで、子どもの目の前で母親を殺して犯すか、母親の目の前で子どもを殺してから嬲るかで迷っているうちに、幼児のほうが酷い有り様になってしまったという供述にショックを受けたのだという。
 どちらもゴシップ誌に小さく書かれた記事なので、ハウンドのような生き方をする人間が好んで噂をする程度の、下世話な与太である。真偽は別だ。
「そう、アレ、あの遺族側の身辺調査」
 フユトのあっけらかんとした言葉に、
「……相変わらず、うちのボスは慎重なんスね」
 全てを話さずとも察したセイタが苦笑した。
 法の外で生きている以上、慎重であるのは寿命を延ばす秘訣でもある。特に、失うものがない人間に於いては捨て身で来るので、万が一のことを考慮しておくに越したことはない。ハウンドに依頼をするのは、金に物を言わせて自らの地位を守らんとする人間か、自分がどうなったとしても相手を殺したいと願う覚悟を決めた人間が九割だ。前者にしろ後者にしろ、弱みを知って手綱を握ることで初めて、組織と依頼者の立場が対等になる。
 情報屋の貌も持つシギにとって、それくらいの手間は何でもないことだったのだろう。夜の世界と言わず顔が広く、敵も多ければ味方も多い。探るつもりがなくても、人の後ろ暗い一面や暴かれたくない秘密は耳に入ってくるはずだ。他人と関わる以上、謂れなき誹謗中傷も含めて、噂や陰口が立たない人間は少ない。例え事前の情報が間違っていて、相手を見誤ったとしても、シギを始めとした幹部連中は手加減を知らない殺戮マシン揃いなので、あまり痛手にはならないだろうけど。
 耳障りな音を立てながら飛び回る蚊を叩き潰すより、最初から虫除けしておいたほうが不快な思いをしなくて済むという点で、シギは確かに慎重だし、合理主義者なのだ。
「だからお前らものさばれるんだよ、感謝しろ」
 フユトが総帥の飼い犬だと知っているセイタだからこそ、隠さずに上から物を言うと、
「フユトさんがドヤることじゃないスけどね」
 ストレートに返されたので、この使いっ走りはあとでシメることにした。
 妻が一番だと言いながら、二番手、三番手を囲う男は一定数いる。或いは、家庭は壊したくないけれど、子どもがいるし妻は異性として見られないからと外に刺激を求める男も、それなりにいる。
 が、被害者の夫は正真正銘の子煩悩で愛妻家だったらしい。叩けども叩けども、埃らしい埃が出てこない。
「……つまんねー」
 ソファの背凭れにべったりと背中を預け、リビングの天井を仰ぐフユトの声は完全に退屈している。愛する妻と子どもを殺された悲劇の夫を演じているのではと思っていただけに、情報収集の興も削がれてしまっている。
「真面目に生きて何が楽しいんだよ、せっかく男に産まれたんだから摘み食い感覚でいいだろうがよ」
 そう呟いた瞬間、室温が体感で二度は下がった気がした。ぎこちなく視線をやると、執務机で電子端末の画面を見つめるシギの横顔が、それとなく殺気立っているように見える。慌てて身体を起こし、今のは種を蒔くほうの話であって、種を植え付けられるほうじゃないと弁解しようとしたところで、
「舌ごと引っこ抜いてやろうか」
 獰猛な光を宿す胡乱な視線が、意味深な言葉を伴って向けられる。
「今のは挿れる側の話で、掘られるほうじゃ……」
「俺以外で勃たないモノなんかいらないだろう」
 言い訳を遮ったシギの発言に、フユトはぎくりと固まった。
 バレてる。
「いや、だから、誤解だって」
「何が誤解だ、ボロが出るような真似しやがって」
 仕事を終えた様子でもないのに、シギが椅子から立ち上がるから、フユトも慌ててソファから立ち上がり、防御線を張るべく後退る。
「情報集めるのに小金払っただけだろうが!」
「店舗型だからバレないとでも思ったのか」
 飽くまで仕事の一環だったと主張したものの、夜の蝶が集う歓楽街のほとんどがシギの縄張りのようなものだから、フユトが何処で何をしたかなんて筒抜けだ。奴らは権力を嫌うが、金を持つ人間なら歓迎する。自身の売上を確固たるものにしてくれる太客で、しかも枕営業やプレイをしなくて済むとなれば、簡単に掌を返すだろう。
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