ナイトメアをあげる。-2

文字数 2,321文字

「着手金が三百に、成功報酬が三百、それをキャッシュで払う用意があるのがな」
 シギとは背中合わせのまま、フユトは言って、
「仮出所まで貯め込んでたんだろうけど、何か腑に落ちねェんだよなぁ」
 テーブルに頬杖をつく。
 個人的に受ける依頼を制限するようになって以降、フユトはときどき、総帥の代理として依頼者と対面することがある。
 組織への依頼は基本的に電信で済んでしまうことが多いが、対面して事情を話し、感情に訴えたい人間は一定数いるのだ。表情や感情の見えない電信は信用ならない、思いを伝えるには足りないと考えているのだろう。
 対面で表情や感情が見えたからと言って安請け合いしないのは、組織的に在籍ハウンドの身柄の安全を保障する目的と、組織自体の安全を確立する必要があるからだ。他者を害する依頼をすることも、依頼を受けることも違法行為であるため、依頼者側から脅迫される可能性を徹底的に排除するべく、彼らの弱みを握っておく必要がどうしても出てくる。脛に傷を持たない人間などいない。そうして、組織は存在意義と在籍する荒くれ者たちを守っている。
「判断はお前に任せる」
 シギの声に後ろを振り向いて、フユトはあからさまに渋面になった。
「俺かよ」
「この手の話はお前の得意分野だろう、俺にしてみれば、だからどうした程度の感想しか浮かばない」
 言って、シギは振り向かないまま、手元で操作していたタブレットをフユトに渡す。事件を伝える記事データが画面に表示されている。
 少年は当時、十五歳。気分屋の父親と抑圧的な母親の下で育ち、初等教育の後半から引きこもりがちだったと報道は伝える。彼には二歳差の妹がおり、そちらは明るく社交的な性格だというから、少年の衝動性について、家庭環境が本当に影響をもたらしたかは疑わしい。
 情緒に欠けるシギが今までどうやって報復目的の依頼を判断していたのか、少し気になりつつ、敢えて問うことはしなかった。徹頭徹尾、依頼の中身が合理的かどうかが基準なのだろうと予想できるからだ。
 合理的、ねぇ。タブレットから視線を上げて、フユトは遠くを見る。
 人間は二律背反のように綺麗ではない。感情というものは大いに自己矛盾を孕んでいるし、簡単に割り切れないから人を蝕みもする。大脳新皮質に由来する理性だけでは決して生きていけない。だからこそ、シギの見ている世界を知りたいと思うし、フユトが見る世界を教えたいと思う。
 人らしさというのはそういうものではないのかとフユトは考えながら、タブレットの画面に視線を戻した。
 人殺しを生業にしている時点で、語る資格もないか。内心で自嘲しながら記事をフリックし、ふと、
「受けても受けなくても、あの男の身辺調査はしたほうがいいんだよな」
 上場企業の重役か、やり手のコンサル風に見えるシギに確認する。これが犯罪斡旋組織を牛耳る総帥だなんて、露ほども見えない。
「しておいたほうが、こちらに都合がいい」
 フユトに背を向けたままのシギは、恐らく右側の口角だけで嗤いながら、
「本当に身綺麗な人間は数えるほどしかいないからな」
 愉しげに言った。
 さて、とフユトが取り直すように言う傍らで、急な呼び出しを受けて駆けつけてきたセイタは捨てられた犬のような面持ちをしている。
 何年か前にシギとフユトの前で殴り合いの喧嘩を始めそうになって以来、顔を覚えられてしまった彼の不運はフユトに異様に気に入られた点だろう。フユト自身は根っからの悪人ではないけれど、重ねてきた悪事のせいか、殊に同業者には凶相が滲み出ているように見えるらしく、同業のセイタも例外ではない。甘く垂れた目尻を更に下げるから、フユトの前ではいつも情けない顔をしている。
「お前、夜の店には顔、広いよな?」
 ハウンドになる前のセイタは、十代で家出してから場末のキャバクラの黒服をしていたというから、呼び込みやスカウト連中、夜の蝶にもある程度の顔見知りがいる。情報収集には打って付けの人材なのだ。又の名を使いっ走りともいうけれど。
「それはそうですけど、またですか?」
 勘弁して下さいよ、と言外に訴えるセイタの泣き出しそうな顔を正面から見据えて、フユトは意地悪く口角を持ち上げて見せた。ひっ、とセイタが喉を引き攣らせて怖気付くくらいには、悪い顔になるらしい。
「お前が俺の役に立てるのはそれくらいだろうがよ」
 宣うフユトに肩を落として、セイタは静かに頷いた。
 夜が迫る時間帯。歓楽街の入り口だ。
 甘い顔立ちの青年が望むかどうかに関わらず、フユトは彼を引き連れて、

の縄張りや

の賭場を回ることがあった。その界隈でそれなりに名前の通るハウンドともなれば、存在だけで大きなトラブルを防ぐ役割も持つので、大昔の反社会組織のシノギのような真似だけでも充分すぎる小遣いになるのだ。
 セイタを連れ回して顔馴染みにさせておいたのは正解だった。シギの逆鱗に触れて以来、個人的な仕事の分量を減らさざるを得なくなったので、貸与の形で縄張りの一部をセイタに任せ、一定額を上納させるのにちょうどいい。危機管理というやつだ。
 夜の世界には、誰が発信元かわからない噂がごまんとある。高級店のホステスたちは軒並み口が堅いことで有名なので、情報収集には向かないけれど、中級から大衆店ともなれば、小金を握らせたり高いボトルを入れてやったりすると、気持ちよく話してくれる人間がそこそこいる。
 ハウンドとしてより、ヒモとして生きていったほうが稼げるのではないかというくらい、セイタは女の知り合いに事欠かないのだ。身体だけの関係を持った相手や、短期間の交際をしていたという相手に、歓楽街を五分ほど歩くだけで何回も出会す。
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