雨季-4

文字数 2,321文字

「……知ってる」
 フユトの素直な告白を喜ぶどころか、シギはいなすように告げた。不貞腐れる余裕も気力もなくて、そのままにしていると、
「愛してる」
 躊躇や恥じらいもなく告げたシギに体を引き剥がされると同時、寂しく疼いていた唇を啄まれて、たったそれだけで甘イキした。
 自分の体の輪郭は、まだしっかり残っているだろうか。
 浴室と浴槽で逆上せるまで攻め抜かれ、寝室に移っても、溶け出した理性が戻ってくることはなかった。もういい、と顔を背けてもキスされて、唇と舌が逃げる間なんてなかった。呼吸困難で涙目になりながら唇に手を押し当てて隠すと、力の入らない防御を容易く引き剥がすシギの手の指が歯列を割って、上顎のざらつく粘膜を無遠慮になぞっただけで、腰が砕けるほど悦くなったことには愕然としたけれど。
 墜ちるまで存分に攻められて、意識を手放すように眠った。水底に沈むような安穏とした眠りの中で、ほんのり冷たいシギの唇が耳殼に触れた気がしたものの、強烈な睡魔で目を開けることもできなかった。
 倦怠感なんて言葉では済まない疲労が、寝起きの体に蟠る。独り寝のベッドに横になったまま、しばらくぼんやりしていると、枕元に置いておいた端末が着信を告げる。表示された名前に嘆息したのは、勘が鋭いと自称する女だったからだ。
 どうせまた、デートに付き合えとでも言うんだろう。うんざりしながら体を起こす。痛む腰は無視した。
 しかし、彼女の声は怯えていた。世の男どもの視線を一身に集めていると自覚する、不思議な自信に満ちた、いつもの調子ではない。
 すぐに行く、そこから動くなと答えて通話を切ったあとで、少しばかり後悔する。昨夜、脱がされた服があるだろうリビングに、きっとシギもいることを思うと、途端に気が重くなった。
 懸念も虚しく、シギの姿はどこにもなかった。ほっとしながら服を着て、簡単に身支度を整えて部屋を出る。
 伝えられた場所までは、ホテル最寄りのターミナル駅を使えば、十五分とかからない。
 果たして、彼女は駅構内のカフェの前にいた。人目につくところから動くなと指示していたから、こちらも探す手間が省けた。
「……遅いよ」
 拗ねたように言って、彼女は泣きそうな顔で俯く。
 駅の人混みの中に付きまとう客の姿を見かけて不安だったのはわかるけれど、常に傍で警戒するなんて、貰っている額からしても現実的じゃない。それこそ、シギにハメ殺しにされる。
 ここで悪かったと言えたら、男としても護衛としても合格なのだろうが、人混みをざっと見渡したフユトは、
「変なのに好かれてる自覚しろよ」
 助けを求める割には軽率な彼女の行動を責める。
「……仕事が終わったあと、仲のいい()と遊びに行ったんだもん」
 唇を尖らせる癖で言い訳しながら、彼女がきゅっとフユトの服の裾を摘む。そうして上目遣いに伺ってくるから、そうすれば大体の男は彼女を許してきたのだろうと思って、深い溜息をつく。
「殺されても文句言うなよ」
 愛らしい顔立ちをした若い女が瞳を潤ませれば、大概は靡くものなのだろうと思いながら、フユトはぞんざいに彼女の手を払う。ミコトの大きな瞳が傷ついたように揺れるのを無視して、人混みに不審者がいないことを再確認すると、
「送ってく」
 払ったばかりのミコトの手首を掴んで、少し乱暴な力加減で引っ張った。
 彼女が住むのは、郊外にほど近い、築浅の集合住宅だった。オートロックのエントランスで別れようとすると、玄関まで来て欲しいとごねるので、仕方なくついて行く。
「ついでに寄ってってよ」
 一人暮らしの部屋に男を誘い込む意味をわかっていながら、ミコトはけれど、楽しげな笑みを崩さない。
「こう見えても、ちゃんと綺麗にしてるんだから」
 日の位置はまだ高い、昼前だ。今日も夜から出勤だろう彼女は、夜遊びを終えて休む時間帯だろうに、フユトの袖を掴んで離さない。
「……お前さ、」
 呆れながら言葉を紡ぐ。
「俺がお前と関わるのは、仕事だからだってわかってるか」
 普段だったら相手にもしない、と言外に匂わせても、彼女は傷ついた様子もなく頷く。
「怖い思いしたんだから、眠るまで傍にいてくれてもいいでしょ?」
 当て擦るように言われると、何も言えなくなる立場なのを計算した言葉選びに、
「そいつはお前の家の合鍵でも持ってんのか」
 打算を嗅ぎ取ったフユトが吐き捨てると、彼女は今度こそ本当に、狼狽えたように瞳を揺らした。
「俺も勘はいいんだよ」
 いつかの彼女の言葉を返してやる。
「プライベートな痴話喧嘩に店巻き込んでんじゃねェだろうな」
 男と違って非力な女相手には、脅迫だと聞こえるだろう低音の声で凄む。
 リップサービスを真に受けた客から、付き合って欲しいと付き纏われていると言う割に、彼女の行動は恐れを知らなかった。粘着質な相手を煽るなんて愚策があるだろうか。フユトがシギの目を気にしたように、誰かに嫉妬させる意図が見え透いている。
 押し黙る彼女を見下ろして、くだらない、と嘆息した。
「俺が受けたのは荒事だけだ、それ以外で関わるな」
 袖を掴む手を振り払う。彼女がよろけようと気にすることなく、エントランスへと踵を返す。歩き進めるフユトの腰に、か細い腕が巻きついた。一捻りで折れてしまいそうな腕はけれども、逃がすまいと抱きついてくる。
 あのな、とフユトが口を開く前に、
「……鈍感だって言われるでしょ」
 ミコトがぽそりと呟いた。
「これだけアピールしてるのに、気づかないのもどうかと思うよ」
 苦笑するような口調に、フユトは答えない。
「勘がいいんでしょ、殺し屋さん」
 揶揄う声にも、フユトは黙ったままだった。
「あたしが誰を好きかくらい、当ててみせてよ」
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