Like a child-1

文字数 2,267文字

 勢いのまま壁に背中がぶつかって、一瞬、息を詰める。追い詰めることが大得意な蛇の舌を弾みで噛み切ってやれたら、どんなに胸が透くことだろう。
 フユトの淡い野心すら踏みにじる男は、己の口内に導いた舌を痺れる強さで吸い、柔く歯を立て、そのまま前後に扱き立てるから、思わず腰が震えてしまう。
 舌を噛み切られるのは蛇ではなく、蟒蛇に呑まれそうな獲物のほうだ。
 ぞくぞくして、ふわふわする。戦慄と酸欠の狭間、捕食者の獰猛な瞳を薄目で見返して、こんなはずじゃなかったのに、と思う。
 いつものバーで待ち合わせてモーテルの個室にしけ込む、何度目かの逢瀬。フユト自身は男娼との経験もあるけれど、抱かれる側に回る違和感は拭えない。目の前の捕食者が単なる強姦魔であったなら諦めも付くのに、フユトは毎回、理性がなくなるまで追い込まれるから割り切れない。
 強火で一気に加熱したかと思えば、弱火でジリジリと炙って脳髄を静かに溶かし、沸騰する欲情に理性が跡形もなくなると、ひたすらイイトコロだけを攻められて極まる。ルーティンのような繰り返し。最初は嫌悪も相俟って猛烈に拒みたくなるのに、この男は指で舌を引きずり出して言葉を塞いだ上で丁寧に愉悦を送り込むから、最終的には強請らされる。
 もっと、そこを、泣き叫ぶくらい、徹底的に虐めて欲しい、と。
 どうせ化け物の気紛れだ、火遊びだと、何度か付き合えば飽きるだろうと、軽い気持ちで乗ってしまったのが悪かった。言わされれば言わされるほど、強請れば強請るほど、戻れなくなる自分を思い知らされて、不意に絶望する。
 こんなはずじゃなかったのに。
 シギのキスは長い上に執拗い。始まってしまうと呼吸困難でギブアップするまで続く。舌や唇を濡らすのが、どちらの唾液かさえ判別できなくなるほど貪られ、舌の芯がジンと甘く痺れて、意識だけを高みに連れて行かれそうな感覚は、フユトの経験にはなかった。そこまでしなくとも、伝わるものは伝わると思っていたし、何より、挿入後の粘膜の感触に勝るものなどなかったからだ。
 熱く、吸い付くように包み込む、柔らかい粘膜のうねりと湿り。フユトの全てを容認してくれるような、相手を征服して所有することを許されたような、高揚と満足感。
 それだけあれば良かったのに、そんなものはつまらないしくだらない、気持ちいいことしかわからない頭で、指も舌も粘膜もふやけるまで愉悦に叩きのめされながら、絶頂付近を永遠に揺蕩うセックスを教え込まれたら、もう、駄目だ。
 ようやく離れた舌と唇の持ち主がくつくつと喉で嗤うのを、フユトは茫然と見つめている。
「焦らなくても、すぐに、もっと悦くしてやる」
 地獄の底の更に先の深淵、光の届かない深海のような暗澹とした瞳に、強気な目元に力をなくし、陶然とする自分の顔が映る。さっきから膝が笑うのは、獰猛な捕食者が割り込ませた足に自分自身で擦り付けているからなのだと、崩れ始まったゼリーのような脳味噌で思う。
 だって、これは駄目だ。
 思いながら、フユトは弱く首を振って、捕食者の瞳から逃げた。
 この間、散々高められたのに一回しか許されなかった放出で、身体の内側の熱は燻ったままだ。一回も出せば充分だろうと宣って、それきり手を出さなかった支配者に犯して欲しいのは、身体の中に潜む弱点であることなんて、言えない。前回は一度も触れてもらえなかった場所だなんて、口が裂けても言えない。
 僅かに冷たい指が顎を掬う。ひんやり感じるのは彼自身の体温のせいなのか、自分自身の火照りのせいなのかなんて、どうでもいい。押し付けられる唇を待たずに舌を伸ばすと、先程と同じように軽く歯を立てられ、火が灯る。恥も外聞もプライドも、一瞬だけ、一度だけ、遠くへ放ってしまいたくなる。
 与えられる極みはまだ先だ。ずっとずっと先だ。フユトがフユトでなくなった頃にようやく訪れる瞬間だけが欲しくて、それだけを期待して、長い旅路へ踏み出すのだ。
「……準備、してきた、から」
 そこを使う場合を想定し、昼に連絡をもらったときから疼かせていたのだと遠回しに暴露しながら、耳を食むシギにフユトは告げる。
「前戯、しなくていいから……」
 暴かれたい。泣いても叫んでも喚いても。
 肝心のものをまだ押し込まれたことはなかったけれど、そこはもう、指や玩具で攻められる悦さを知っていて、慣れ始まっている。
 部屋に入ってすぐに待ちきれなかったようなキスをされただけでグズグズなのに、更に浴室に移動して逆上せるまでキスや愛撫を施されると考えると、そんな過程は余計だと思えてしまう。
「今日はやけに素直だな」
 いつもなら悪態を付いて逃げ回り、稚拙な罵倒を繰り返すだけのフユトを知っているからこそ、シギはなかなか手を出してこない。演技を疑っているわけではなさそうだったけれど、素直すぎるフユトの肚は探っている。
 全部言わせる気かよ、と歯噛みしつつ、
「そういう気分のときだってあんだろ」
 仏頂面で答える。
 耳孔の入り口を擽った舌先に肩が竦んだ。
「掘られたい気分のときが?」
 鼓膜に吐息を吹き込める距離で、シギが囁く。言葉選びもさることながら、声の低さまで自在に変えて、弱くさせられた耳を追い込む手管に、鼻から声が抜けた。
「違ェ、けど」
「けど?」
 こいつは知っている。
 フユトは確信しながら、
「ムラムラ来るときあることくらい、お前だってわかんだろ」
 別の言葉で濁す。
 ()て、とシギが嗤いながら言った。
「しなくても生きていけるから、わからないな」
 死ねばいいのに、と呪った。
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