5 「絶対の覇者へと続く道を」
文字数 3,017文字
アドニス王国内にあるミレット公爵領──。
壮麗な屋敷の庭に、薔薇色のドレスをまとった美女がたたずんでいた。
緩いウェーブのかかった金色のロングヘアが風にたなびき、揺れる。
彼女──バネッサは一人で空を見上げていた。
『強化』の力を持つジャック・ジャーセを目的地まで『移送』した後、自宅であるこの屋敷まで戻ってきたのだ。
「そろそろ始まるわね」
ルーディロウムの上空には、すでにいくつもの黒点──亜空間通路『黒幻洞 』が出現し始めているはずだ。
「セフィリアもがんばったんだよー」
駆け寄ってきたのは、黒髪を三つ編みにした僧侶姿の少女だ。
天真爛漫な笑顔は、無邪気そのものだった。
「ほめてほめて」
と、バネッサに抱きついてくる。
「ふふ。上々よ、セフィリアさん」
言われた通り、彼女の頭を優しく撫でてやる。
セフィリアはうっとりとした表情で目を細めた。
「そういえば、前から聞こうと思ってたんだけどー。バネッサって貴族の奥さんだよね。どうしてこんなことをするの?」
にっこりとした笑顔でセフィリアがたずねる。
だがその瞳にはどこか剣呑な光が宿っていることを、バネッサは見逃さなかった。
天真爛漫な笑顔のまま、こちらに探りを入れるような鋭い視線──。
「もう十分に満たされた生活じゃないの? お金も地位も十分あるし、別に野心なんて持つ必要ないよねー?」
言いながら、なんの脈絡もなくバネッサの胸元に手を伸ばしてきた。
「おいたはいけないわよ、セフィリアさん」
豊満な胸に触れそうなところで、彼女はやんわりとその手を払いのける。
(腹の探り合いかと思えば、突然のスキンシップ……読めない子ね)
と、内心でつぶやく。
「むー、ケチ。バネッサのおっぱい、柔らかそうだから触らせてよ」
拗ねたようなセフィリア。
「エレクトラのおっぱいは揉み心地いいんだよー。バネッサと揉み比べしたいなー」
「野心を持つ必要がない……か」
わきわきと両手を動かすセフィリアに、バネッサは艶然とした笑みを返し、
「ふふ、あたしは自分が満たされているとは思わないわ、セフィリアさん」
告げて、過去の自分を振り返る──。
年齢の離れた夫とは、親同士が決めた結婚で結ばれた。
家で行うパーティの仕切りや慈善事業への参加など、貴族の妻としての責務をそつなくこなす──。
バネッサにはそんな毎日が味気なく、退屈だった。
夫であるミレット公爵はアドニスでも有数の貴族である。
富も権力も──望めば多くのものを得られる立場でありながら、夫は清廉だった。
清廉に過ぎた。
「あたしは、そんな夫が不満だった」
「いい旦那さんみたいだけどねー」
「それが不満なのよ」
バネッサには大きな野心がある。
この国でもっと強大な力を持ち、アドニスを牛耳る。
そして、さらに他の列強をも。
やがては世界のすべてを自分の足元に跪かせてみせる──。
権勢への飽くなき欲望と渇望が、彼女の胸にずっと燃えていた。
ミレット公爵に嫁いだことで、その想いはさらに燃え盛った。
夫を一度ならずけしかけたこともある。
もっと大きな力を持ちたくないか、と。
アドニスで頭角を現すラフィール伯爵のように──と。
だが、そのたびに夫は首を横に振った。
悲しげな顔で。
自分たちは権力ではなく、人に尽くすために生きるのだ、と。
そういう貴族でありたい、と。
夫はどこまでも優しく、闘争を何よりも忌避する男だった。
「だから、あたしは夫を見限った。自分の足で歩みたいと思った。あたし自身の力で進んでいきたいと思った」
バネッサは過去を振り返り、つぶやく。
傍にいるセフィリアを見つめ、自身に言い聞かせるように──つぶやく。
「すべてを支配する存在──絶対の覇者へと続く道を」
──バネッサが殺されたのは、一年以上前のことだ。
夫の留守中、彼女にひそかな想いを抱いていた下僕が迫ってきたのだ。
それを拒絶したところ、逆上した下僕にナイフで刺され──そこでバネッサの一生は幕を閉じた。
そして、気が付けば見知らぬ空間にいた。
白一色のその世界で、バネッサは女神に出会い、二度目の生と神のスキルを授かった。
「『移送』の力──それ単体で、世界の覇者となることは難しい。だけど、他のスキル保持者 と協力すれば、話は別」
バネッサは述懐する。
言葉に出しているのは、自身の想いを心に強く刻むためだ。
その想いが強ければ強いほど──イメージを鮮明に象れば象るほど、神のスキルはその効力を高める。
「だから、あたしに会いに来たの?」
たずねるセフィリアに、彼女は微笑みを返した。
──復活したバネッサは、まずミレット公爵が所蔵していた大量の古文書を読み漁った。
彼女は知る必要があった。
神の力で何ができるのか。
そして神や魔、竜といった超常の存在についても。
彼らの力を利用すれば、自分の願いに近づけるかもしれない。
世界に覇を唱える、唯一絶対の存在へと──。
やがて、ひと筋の道を見つけた。
まるで蜘蛛の糸のように細い、だが確かな可能性を持った道だ。
そして──彼女の計画は動き始めた。
まず最初に接触したのは、『予知』の能力を持つエレクトラ・ラバーナだった。
彼女のスキルを利用し、もう一人の能力者であるセフィリア・リゼとも出会うことができた。
あとはセフィリアと連携し、計画を進めるだけだ。
ただし盤石の計画ではない。
不確定要素も多い。
自分の保身にのみ執着するエレクトラも。
今一つ考えが読めないセフィリアも。
さらには己の野心のために、こちらを利用しようと腹の探り合いを常に仕掛けてくるギルド長のテオドラやラフィール伯爵も。
いずれも味方でありながら、もっとも警戒しなければならない相手でもあった。
敵も、また多い。
犠牲になる者も多く出るだろう。
だが、それらを乗り越えた先に──バネッサの輝かしい未来は待っている。
歴史上、誰も成し遂げたことのない全世界を統べる覇者への道。
神や魔、竜をも凌ぐ絶対の支配者として君臨する道だ。
危険な道だった。
一歩間違えば、人類が滅びかねない。
だがエレクトラの予知を活用し、セフィリアの能力を利用し、最善の道を探れば──決して不可能ではないと踏んだ。
それは、賭けだった。
バネッサにとって、賭けるに値する計画だった。
そして今日──ついに、ここまで来た。
先日ギルド本部の地下で行った実験に続き、いよいよ第二段階だ。
魔の者たちの同時複数召喚。
及びギルドの戦力の把握。
神や聖天使たちの動向にも注視する必要があるだろう。
「さあ、存分に戦いなさい」
バネッサは微笑む。
「どの程度やれるのか──見せてもらうわよ、冒険者たち」
豊かな胸を両手で抱えるようにして深い息をつく。
成功すれば人類史上例のない戦果を挙げることができる。
神も魔も出し抜き、封じられた竜を抑え──バネッサこそが、究極の覇者になるのだ。
壮麗な屋敷の庭に、薔薇色のドレスをまとった美女がたたずんでいた。
緩いウェーブのかかった金色のロングヘアが風にたなびき、揺れる。
彼女──バネッサは一人で空を見上げていた。
『強化』の力を持つジャック・ジャーセを目的地まで『移送』した後、自宅であるこの屋敷まで戻ってきたのだ。
「そろそろ始まるわね」
ルーディロウムの上空には、すでにいくつもの黒点──亜空間通路『
「セフィリアもがんばったんだよー」
駆け寄ってきたのは、黒髪を三つ編みにした僧侶姿の少女だ。
天真爛漫な笑顔は、無邪気そのものだった。
「ほめてほめて」
と、バネッサに抱きついてくる。
「ふふ。上々よ、セフィリアさん」
言われた通り、彼女の頭を優しく撫でてやる。
セフィリアはうっとりとした表情で目を細めた。
「そういえば、前から聞こうと思ってたんだけどー。バネッサって貴族の奥さんだよね。どうしてこんなことをするの?」
にっこりとした笑顔でセフィリアがたずねる。
だがその瞳にはどこか剣呑な光が宿っていることを、バネッサは見逃さなかった。
天真爛漫な笑顔のまま、こちらに探りを入れるような鋭い視線──。
「もう十分に満たされた生活じゃないの? お金も地位も十分あるし、別に野心なんて持つ必要ないよねー?」
言いながら、なんの脈絡もなくバネッサの胸元に手を伸ばしてきた。
「おいたはいけないわよ、セフィリアさん」
豊満な胸に触れそうなところで、彼女はやんわりとその手を払いのける。
(腹の探り合いかと思えば、突然のスキンシップ……読めない子ね)
と、内心でつぶやく。
「むー、ケチ。バネッサのおっぱい、柔らかそうだから触らせてよ」
拗ねたようなセフィリア。
「エレクトラのおっぱいは揉み心地いいんだよー。バネッサと揉み比べしたいなー」
「野心を持つ必要がない……か」
わきわきと両手を動かすセフィリアに、バネッサは艶然とした笑みを返し、
「ふふ、あたしは自分が満たされているとは思わないわ、セフィリアさん」
告げて、過去の自分を振り返る──。
年齢の離れた夫とは、親同士が決めた結婚で結ばれた。
家で行うパーティの仕切りや慈善事業への参加など、貴族の妻としての責務をそつなくこなす──。
バネッサにはそんな毎日が味気なく、退屈だった。
夫であるミレット公爵はアドニスでも有数の貴族である。
富も権力も──望めば多くのものを得られる立場でありながら、夫は清廉だった。
清廉に過ぎた。
「あたしは、そんな夫が不満だった」
「いい旦那さんみたいだけどねー」
「それが不満なのよ」
バネッサには大きな野心がある。
この国でもっと強大な力を持ち、アドニスを牛耳る。
そして、さらに他の列強をも。
やがては世界のすべてを自分の足元に跪かせてみせる──。
権勢への飽くなき欲望と渇望が、彼女の胸にずっと燃えていた。
ミレット公爵に嫁いだことで、その想いはさらに燃え盛った。
夫を一度ならずけしかけたこともある。
もっと大きな力を持ちたくないか、と。
アドニスで頭角を現すラフィール伯爵のように──と。
だが、そのたびに夫は首を横に振った。
悲しげな顔で。
自分たちは権力ではなく、人に尽くすために生きるのだ、と。
そういう貴族でありたい、と。
夫はどこまでも優しく、闘争を何よりも忌避する男だった。
「だから、あたしは夫を見限った。自分の足で歩みたいと思った。あたし自身の力で進んでいきたいと思った」
バネッサは過去を振り返り、つぶやく。
傍にいるセフィリアを見つめ、自身に言い聞かせるように──つぶやく。
「すべてを支配する存在──絶対の覇者へと続く道を」
──バネッサが殺されたのは、一年以上前のことだ。
夫の留守中、彼女にひそかな想いを抱いていた下僕が迫ってきたのだ。
それを拒絶したところ、逆上した下僕にナイフで刺され──そこでバネッサの一生は幕を閉じた。
そして、気が付けば見知らぬ空間にいた。
白一色のその世界で、バネッサは女神に出会い、二度目の生と神のスキルを授かった。
「『移送』の力──それ単体で、世界の覇者となることは難しい。だけど、他のスキル
バネッサは述懐する。
言葉に出しているのは、自身の想いを心に強く刻むためだ。
その想いが強ければ強いほど──イメージを鮮明に象れば象るほど、神のスキルはその効力を高める。
「だから、あたしに会いに来たの?」
たずねるセフィリアに、彼女は微笑みを返した。
──復活したバネッサは、まずミレット公爵が所蔵していた大量の古文書を読み漁った。
彼女は知る必要があった。
神の力で何ができるのか。
そして神や魔、竜といった超常の存在についても。
彼らの力を利用すれば、自分の願いに近づけるかもしれない。
世界に覇を唱える、唯一絶対の存在へと──。
やがて、ひと筋の道を見つけた。
まるで蜘蛛の糸のように細い、だが確かな可能性を持った道だ。
そして──彼女の計画は動き始めた。
まず最初に接触したのは、『予知』の能力を持つエレクトラ・ラバーナだった。
彼女のスキルを利用し、もう一人の能力者であるセフィリア・リゼとも出会うことができた。
あとはセフィリアと連携し、計画を進めるだけだ。
ただし盤石の計画ではない。
不確定要素も多い。
自分の保身にのみ執着するエレクトラも。
今一つ考えが読めないセフィリアも。
さらには己の野心のために、こちらを利用しようと腹の探り合いを常に仕掛けてくるギルド長のテオドラやラフィール伯爵も。
いずれも味方でありながら、もっとも警戒しなければならない相手でもあった。
敵も、また多い。
犠牲になる者も多く出るだろう。
だが、それらを乗り越えた先に──バネッサの輝かしい未来は待っている。
歴史上、誰も成し遂げたことのない全世界を統べる覇者への道。
神や魔、竜をも凌ぐ絶対の支配者として君臨する道だ。
危険な道だった。
一歩間違えば、人類が滅びかねない。
だがエレクトラの予知を活用し、セフィリアの能力を利用し、最善の道を探れば──決して不可能ではないと踏んだ。
それは、賭けだった。
バネッサにとって、賭けるに値する計画だった。
そして今日──ついに、ここまで来た。
先日ギルド本部の地下で行った実験に続き、いよいよ第二段階だ。
魔の者たちの同時複数召喚。
及びギルドの戦力の把握。
神や聖天使たちの動向にも注視する必要があるだろう。
「さあ、存分に戦いなさい」
バネッサは微笑む。
「どの程度やれるのか──見せてもらうわよ、冒険者たち」
豊かな胸を両手で抱えるようにして深い息をつく。
成功すれば人類史上例のない戦果を挙げることができる。
神も魔も出し抜き、封じられた竜を抑え──バネッサこそが、究極の覇者になるのだ。