8 「我が剣はすべてを打ち砕く」

文字数 3,614文字

 サロメは戦慄とともに、ギルドの中庭にたたずむ黒騎士を見据えていた。

(六魔将って、まさか伝説にある魔王の腹心……!?

 まさか、と反射的に心中で否定する。

 魔の者を統べる存在──魔王。
 そしてその側近にして、魔界最強を誇る六人の魔族。
 それが六魔将だ。

 だが、それは伝説やおとぎ話の類で語られる存在である。
 目の前の魔族は、その名を騙っているに過ぎないのか、あるいは──。

「伝説の魔将かどうかはともかく、並じゃないのは確かだね……」

 雰囲気だけで分かる。
 あの魔族──ガイラスヴリムから、おそろしく強大なプレッシャーが吹きつけてくるのを。

 あるいは、最強のクラスS相当の力を持っているかもしれない。
 だとすれば、彼女一人では手に負えない相手である。

(ギルドの他の冒険者と連携して、なんとか倒すしかないか)

 腰に下げた大ぶりのナイフを抜き、油断なく身構えた。

「……人間の世界か……久方ぶり、だ……」

 鉄が軋むような声とともに、黒騎士が周囲を見回す。

 仮面付きの兜はその表情を完全に覆い隠していた。
 唯一露出した赤い瞳が異様にぎらついている。

「神の力を持つ者……どこだ……いぶり出すか……」

 黒騎士は巨大な剣を右手一本で掲げた。

「同胞を殺していけば、いずれ現れるのだろう……? 人間どもは、仲間とやらを大切にする……」

 沈み始めた陽光を浴びて、鉄板のように幅広の赤刃が血の色にきらめく。

「貴様らは……全員、死ね……」

 吹きつける殺意に、サロメは全身をこわばらせた。
 と、そのとき、

「魔族か!」

「レーダーに反応はなかったが……よりによって冒険者ギルドにやって来るとはな!」

「何が六魔将だ! そんなハッタリでビビる俺たちだと思うなよ!」

「全員で囲め!」

 中庭に十数人の冒険者たちが駆けつけてきた。
 見知った顔も入れば、知らない者もいる。
 中にはサロメと同じランクAの冒険者もいた。

「こういう相手は俺の得意分野だ」

 その冒険者が進み出る。

 年齢は二十代半ばくらいか。
 巨躯を覆う鉄の甲冑に、両手持ちの巨大な戦槌(ウォーハンマー)
 典型的なパワーファイター型の戦士だった。

「この俺に正面から挑むか……いいだろう」

 ガイラスヴリムが戦士を見据える。

「……いざ尋常に勝負」

「言われなくてもっ」

 叫んで、戦士が突進する。
 重装甲の割にかなりのスピードだ。

 十分に速度が乗ったところで、戦槌を叩きつける。
 単純な──それゆえに強力な一撃。

「砕け散れぇっ!」

「……ふむ、なかなかのパワーとスピードだ」

 対する魔族の黒騎士は微動だにしない。
 掲げたままの右手の剣を振るうことさえせず、ただ無造作に左手を突き出し──、

「なっ!?

 指一本で巨大な戦槌を止めてみせた。

「人間にしては、な」

 黒騎士が巨剣を一閃する。

 悲鳴を上げる暇さえなく──戦士の体は両断されて吹き飛んだ。

「あ……ああ……」

 一瞬で殺された戦士の死体を前に、他の冒険者たちがいっせいに後ずさる。

「そいつに接近戦を挑んじゃ駄目! 飛び道具で攻撃して」

 サロメが叫んだ。
 凛としたその声に、パニック状態に陥っていた冒険者たちが我に返る。

「よ、よし、俺たちでやるぞ」

「戦士系の連中は後ろに下がれ!」

 魔法使いたちがいっせいに攻撃呪文を放った。

 赤、青、緑、黄色──色とりどりの魔力の光とともに、無数の魔力弾がガイラスヴリムに叩きつけられる。
 すさまじい閃光が弾け、衝撃波が荒れ狂う。

「……くだらぬ」

 爆炎の向こうから現れた黒騎士は、まったくの無傷だった。
 あれだけの魔力爆撃を、意に介した様子さえない。

(何、こいつ……!? 普通の魔族とは次元が違う……!?

 サロメは戦慄した。
 まさか、本当に伝説の魔将だというのか──。

「我が剣はすべてを打ち砕く……消えよ……砕けよ……滅せよ」

 ガイラスヴリムは巨大な剣を片手で軽々と掲げた。
 血のように赤い刃が沈みかけた陽光を浴びて、鈍くきらめく。

「まずい──」

 サロメは血の気が引くのを感じた。

「みんな、逃げて!」

 叫びつつ、彼女自身も全速でその場を離脱する。

 直後、魔族の剣が一閃した。

 巨剣が描く真紅の軌跡が、周囲のすべてを薙ぎ払う──。



 ──一瞬、意識を失っていたらしい。

 気が付くと、サロメは瓦礫の中に倒れ伏していた。

「随分と派手に……やってくれるね……」

 弱々しく立ち上がる。
 目の前がかすみ、よく見えなかった。

「ごほっ、ごほっ……」

 内臓のどこかを痛めたらしく、口から血の塊がこぼれる。

(あの一瞬じゃ因子の力を使えなかったからね……よく生きてたよ、ボク)

 心の中で苦笑した。

 脚力や感知能力を増大させる『隠密(おんみつ)』の『因子』を持つサロメだが、あの一瞬で力を引き出すことなど不可能である。
 因子を活性化させるためには、そのためのイメージの鮮明化という作業が不可欠だからだ。

 それでも優れた身体能力を持つサロメだからこそ、かろうじて建物の陰までたどり着くことができた。

 まさに間一髪──。
 直後にガイラスヴリムが斬撃を放ったらしく、すさまじい衝撃波が吹き荒れた。

 そして、気が付けばこの有様というわけだ。

 ギルドの建物が盾代わりとなり、かろうじて致命傷は避けられたらしい。

 他の者たちは無事だろうか。
 かすむ視界が徐々に回復し、サロメは周囲の状況を知る。

「あ……ああ……」

 そして、呆然とうめいた。



 アギーレシティは──壊滅していた。



 見渡すかぎりの瓦礫の山が町の端まで続いている。

 信じられなかった。

 魔族の、たった一振りの斬撃で──。
 建物という建物が倒壊し、道という道が切り裂かれ、破壊され、陥没していた。

 まともな建造物は一つも残っていない。
 あちこちから無数の怨嗟と苦鳴が聞こえてくる。
 今の攻撃に巻きこまれ、生き残った者が果たして何人いるか……。

 文字通りの地獄絵図だ。

 脳裏に、ここ数日で仲良くなった食堂の女主人の顔が浮かぶ。

「おばちゃん……」

 サロメは全身が崩れ落ちそうな絶望と虚無感を覚えた。

 町を破壊した魔族は、数百メティル前方で悠然とたたずんでいる。

 サロメの存在には気づいていないのだろう。
 いや、そもそも人間など眼中にもないのかもしれない。

「ガイラス……ヴリム……!」

 許せない。
 殺す。
 相手が魔将だろうと関係ない。
 存在そのものを抹消してやる──。

 陽気な少女の顔は姿を隠し、ドス黒い殺意に染まった暗殺者としての彼女が代わって現れる。

(あいつは強い──本当に魔将なのかもしれない。だけど、ボクには『アレ』がある)

 切り札たるあの技を使えば、万に一つの勝機があるかもしれない。
 傷だらけの体で弱々しく立ち上がる。

「ぐっ……ぅぅ……」

 右足に激痛が走った。

 怒りやショックで痛みすら忘れていたが、先ほどの一撃で折れていたらしい。
 さすがに、これでは『切り札』を使うことができない。

(……おばちゃん、ごめん。仇を討つのはもう少し待って)

 強烈な怒気と殺意が心の中で荒れ狂っていても、現状を理解し、冷静に判断する力がサロメにはある。

(いずれ必ず。あいつはボクが……)

 サロメは心の中でうめく。

()が、必ず殺す)

 強く噛みしめた唇の端から、赤い血の雫がしたたり落ちた。

    ※

護りの女神(イルファリア)の力の気配……どこだ……」

 六魔将ガイラスヴリムは何かを探すように辺りを見回していた。

 ──と、そのときだった。

 突然、前方の空に極彩色の光の柱が立ち上る。
 天空まで伸びた光は、翼を広げた天使を思わせる紋様を描き出した。

 護りを司る女神イルファリア。
 その姿を象徴するかのような、紋様を。

「見つけたぞ……そこか、神の力を持つ者……!」

 黒い魔族の武人が歩き出した。
 光の柱が立ち上る方角に向かって。

 体にまとった甲冑からパリッと小さな火花が散る。

 ……与えられた時間は、それほど多くはない。

 とはいえ、数日は持つだろう。
 焦るほどではない。

「待っていろ……このガイラスヴリムが貴様を打ち砕く……魔王陛下の命によって……」

  ※ ※ ※

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