10 「お礼、だから」

文字数 2,174文字

 俺はリリスの魔法で上階まで引き上げてもらった。

 グレゴリオは床に倒れたままだ。
 信じられない、という驚愕と、そして苦悶の表情を凍りつかせたまま──ぴくりとも動かない。

 完全に息絶えていた。

 見開かれたままの瞳が、俺のほうを向いている。
 まるで恨むように。

 そこに一瞬、炎のような紋様が浮かび上がり、すぐに砕け散った。

 俺は……声が出なかった。

 こいつは、俺が殺したも同然だ。
 新たに会得した防御スキル『宝珠の飛翔(ウイングスフィア)』でグレゴリオのスキルを反射させ──結果、こいつは死んだ。

 多くの人を無差別に殺した、快楽殺人者。
 正直、死んで当然のことをしていると思う。

 それでも、人を殺したという苦い気持ちは、胸の奥に暗く澱んでいた。

「ハルト──」

 ささやくような声とともに、俺はリリスに抱きしめられていた。

「リリス……?」

「守ってくれて、ありがとう」

 ささやくような声にハッとなる。

 そうだ、俺が守ったんだ。
 グレゴリオを殺して、リリスを守った──。

 今は、その事実だけを考えよう。

「もう何回目かな? あたしがあなたに命を救われたのって……」

 リリスが俺を見つめた。

「さあ、何回だったかな」

 最初は竜と戦ったときで、その次は魔族と──。
 なんて、思いだそうとしたそのとき、

「ん……」

 甘くて、蕩けそうなほど柔らかいものが、俺の唇に触れた。

 あまりにも一瞬の出来事で、何をされたのかを理解するのに数秒を要した。
 リリスに、キスをされたのだ──と。

「お礼、だから」

 すぐ目の前に顔を真っ赤にしたリリスがいる。

 もしかして、慰めてくれたんだろうか?

 俺の唇には、まだ彼女とのキスの感触が残っていた。
 甘く、熱く火照るような感触が……。



 ──その後、俺とリリスはアリスと合流し、自警団にグレゴリオを引き渡した。

 といっても、奴が神のスキルを持っていたことは俺にしか分からない。
 即死系の攻撃魔法を使って、通り魔事件を起こしていた……という説明はしたけど、立証するのは難しいかもしれない、ということだった。

 ただ、これでもうグレゴリオによる無差別殺人は起きない。
 それだけが救いだろうか。

 真相を知るのは、俺だけだ──。

    ※

「どうかしたんですか、リリスちゃん。さっきからボーッとして。それに顔が赤いですよ」

 怪訝そうなアリスに、リリスは慌てて両手を振った。

「な、なんでもないのっ」

 言いながら、ほとんど無意識の指先で自分の唇に触れてしまう。

 先ほどの戦いで、ハルトの防御魔法があの男の魔法を反射し──結果、あの男は死んだ。

 ハルトは少なからずショックを受けているように見えた。
 その苦しみを少しでも和らげたくて──半ば衝動的に、彼に口づけしてしまった。

「リリス……?」

 ハルトまで怪訝そうな顔で彼女を見てくる。

 その顔が赤いのは、もしかしたら彼も先ほどのキスを思い返しているのだろうか。

 あらためて考えると、大胆な行為だったと自分でも思う。
 異性と付き合った経験すらない自分が、いきなりあんなことを──。

(っていうか、ハルトからしたら、あたしに不意打ちで唇を奪われたって思ってるよね。気を悪くしてないかな……ああ、どうしよ)

 慰めどころか、かえって嫌な思いをさせてしまったかもしれない。
 悶々としてきた。

 どうしよ、どうしよ……と呪文のようにつぶやいてしまう。

「ふーん……?」

 アリスは意味ありげにリリスとハルトを等分に見つめた。

「私、先に行ってますね。リリスちゃんはハルトさんとごゆっくり」

「えっ、姉さん?」

「二人だけで話したそうですから~」

「あ、ちょっと……」

 止める間もなく、姉は小走りに去っていく。

 あとに残されたのは、リリスとハルトだけだ。

「その、さっきは……ありがとう。おかげで落ち着いた」

 ハルトがリリスに微笑んだ。

「俺のせいで人が死ぬって、初めてだったから……それは、あいつは死んで当然の殺人鬼かもしれないけど、やっぱり動揺しちゃって……」

「少しでも気が休まってくれたら、嬉しい」

 リリスが微笑みを返す。

「いきなり、キ、キスなんてして……怒ってない? ごめんね」

「怒るなんて、そんなこと──」

「あたし、その、初めてだったから……まだ、ドキドキしてる」

 言いながら、恥ずかしさがさらに込み上げてきた。

 まともに彼の顔が見れない。
 頬が燃えるように熱い。

「俺も……初めてだった」

「っ……! ご、ごめんなさい、あたし──」

「いや、その……リリスが相手で、嬉しい……かも」

 ハルトが照れくさそうに告げる。

 その言葉に安堵感を覚えつつ、それ以上に湧き上がったのは恥じらいの気持ちだった。

「あたしも……えへへ、ハルトが相手で嬉しい」

 恥ずかしさで顔から火が出そうだったが、勢いに任せて自分の気持ちを素直に語ってしまった。

 照れくささと、羞恥心と、甘酸っぱい喜びと──。
 それらが混じり合い、胸の中が多幸感で満たされていた。
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