6 「心配ない」
文字数 3,486文字
ジャックが繰り出した拳が、巨大な柱を一撃で砕いた。
「毒の噴出が止まったな。けど……」
周囲を覆う毒霧は、『強化』した息で吹き飛ばしても、なぜか王都の外へは出て行かなかった。
まるで見えない壁で王都全体が覆われているかのように、周辺に漂ったままだ。
試しに手近に落ちている石を投げてみると、がつん、と空中で壁に当たったように跳ね返った。
「何かあるのか……!?」
今度は自身で跳び上がって、中空を殴りつける。
だが、『強化』した拳打ですら、見えない壁は破れなかった。
「……駄目か」
ジャックはいったん社長やハンナたちの元まで戻った。
「お、おい、ジャック。さっきのは一体、なんだ……!?」
獣騎士に変身した場面を見ていたらしく、社長が呆然とした顔でたずねる。
「ジャックさん……」
ハンナの方も青ざめた顔だ。
「詳しいことを説明している暇はありません。とりあえず社長はみんなを連れて、第四層か、もっと王都の中心に近い場所まで逃げてください」
と、ジャック。
「ジャックさんはどうするんですか」
「俺は──」
ハンナの問いに、ジャックはしばらく思案し、地面を蹴った。
脚力を強化して上空高く跳び上がる。
王都の最外層辺りに、高さ三十メティルほどの尖塔が四本建っていた。
その周辺に緑色の霧が漂っているところを見ると、あれらも毒霧を噴出していると見て間違いないだろう。
「ジャックさん……?」
「どうやら見えない壁みたいなもので王都が閉じこめられてるみたいだ。しかも毒の霧が広がってる。俺は毒を吹き出して柱を全部壊してこようと思う」
着地したジャックは、ハンナや社長たちにそう説明した。
「けど、そういうのは王国の騎士団とか魔法戦団とか冒険者とか──専門の奴らがいるじゃねーか」
「いえ、俺にできることがある以上、やろうと思います。このままだと社長たちも逃げ場がなくなりますから」
社長の言葉にジャックは首を振った。
「さっきの魔獣は普通の冒険者が戦うには手ごわそうだし……」
だからこそ『普通』ではない、自分のような存在が必要なのだ、とジャックは感じていた。
戦いが嫌いだとか苦手だとか言っている場合ではない、ということも。
「……約束してもらえますか」
ハンナが青ざめた顔のまま、
「危ないことはしない、って。無事に帰ってくるって──」
「あ、ああ……」
ジャックは多少口ごもりながらも、強くうなずいた。
──まったく危なくないとは言えないが。
「土曜日を楽しみにしてますからね」
「すまねえな。絶対戻ってこいよ、ジャック」
と、社長。
「お前が抜けられるとハイマット運送は大弱りだからな」
ニヤリと笑っているが、その瞳にはジャックを案じる優しい光が宿っていた。
「はいっ」
ジャックは力強くうなずき、走り出した。
今、自分にできることを為すために。
そして、自分にしかできないことを遂げるために──。
強化した脚力で疾走したジャックは、またたく間に二つ目の柱へ到着した。
柱を守っていた魔獣ともども、あっさりと柱を破壊する。
その後、今度は三つ目の柱の元までたどり着いた。
そこにも魔獣が待ち構えていて、冒険者の一団と交戦していた。
「なんだお前? なんで一般人がまぎれてんだよ」
「逃げ遅れたのか、オッサン?」
若い冒険者の二人組がジャックの方を振り返り、顔をしかめた。
いずれも戦士らしく筋骨隆々とした体に鉄の鎧を身に付けていた。
ちなみにジャックは、魔獣と戦うとき以外は人間の姿である。
「任務の邪魔だ。さっさと消えろ」
「ったく、いい年して避難警報にも従えないのかよ」
冒険者の一部には、こうやって市民に偉そうにしている者もいる。
ジャックも不快な目にあったことは一度ならずあった。
彼らはそういう類の輩らしい。
だが、今は言い争いをしている場合ではない。
「下がっててくれ。あいつは俺が倒す」
ジャックは前に出た。
「ハア? 素人が何言ってんだよ!」
「馬鹿なこと言ってるんじゃねえ! お前こそ引っこんでろ!」
言うなり、冒険者の二人組が突進した。
「ランクAの冒険者の力を見せてやるっ!」
繰り出された尾を、鉄の甲冑を着ているとは思えないほど敏捷な動きで避ける二人組。
さすがにランクAというだけあって、常人離れした身のこなしだ。
──だが、竜の攻撃は彼らの体術をも上回っていた。
耳元まで避けた口から、白い何かが飛ぶ。
「牙が──」
まるで矢のように飛び、降り注ぐ牙の群れ。
数十はあるそれらを避けきれずに、二人は体勢を崩した。
すかさず骨竜は体をひねり、長大な尾をふたたび繰り出す。
「がはっ……!」
吹っ飛ばされた二人を見て、ジャックは即座に地を蹴った。
十メティルほど跳び上がると、中空の二人を左右の脇に抱える。
着地して彼らを下ろしてやった。
「お、お前は一体──」
「全員、下がっててくれ」
驚く二人や他の冒険者たちに、ジャックはあらためて宣言した。
「一人で戦う気か!? 無茶だ!」
「心配ない」
素っ気なく告げて、精神を集中する。
「があぁっ」
短く吠えた。
全身に騎士のような紋章が浮かび、皮膚が硬質化していく。
瞬時にして、ジャックは青黒い甲冑をまとった騎士のような姿へと変わった。
その頭部は狼に似ており、腰からは長大な尾が伸びている。
獣騎士形態 ──。
戦いも三度目のため、かなりスムーズにこの形態へ移行できるようになっていた。
「なかなか素養があるな、宿主よ」
心の中で、戦神 の声が響く。
「……どうせなら、神様がこいつらやっつけてくれれば手っ取り早いんだが」
「魔族と違い、神はこの世界に直接降臨することができん。狭間の世界を介するか、こうして意識の断片を残して会話をする程度が精一杯だ」
戦神の答えは素っ気なかった。
「結局、ああいうのは人間がなんとかするしかないってことか」
苦笑交じりのため息をもらしつつ、ジャックはさらに加速した。
青黒い閃光と化して、骨竜に肉薄する。
迎撃の尾を、爪を、牙を、さらにはブレスを──。
拳一つで跳ね除け、撃ち返す。
そして地を蹴って跳んだ。
「──沈め」
静かなつぶやきとともに、頭部に渾身の拳打を打ちこむ。
轟音が響き、衝撃が走る。
超音速の一撃が竜の頭を粉々に吹き飛ばした。
その一撃で──勝負はついた。
頭部を失った骨竜はよろよろと二、三歩たたらを踏み、ゆっくりと倒れ伏した。
「竜を、たった一人で……」
「しかも、あんなにあっさりと……」
背後から冒険者たちの呆然とした声が聞こえる。
次の瞬間、歓声が沸き上がった。
冒険者たちがいっせいにジャックの元へ駆け寄る。
「すごいな、あんた! 一体、何者なんだ」
「その技……魔法でもないし、何かのアイテムか?」
「まさか、竜をこんなに簡単に倒しちまうなんてな」
口々にジャックを称賛する彼ら。
社長やハンナたちは彼の獣騎士の姿に畏怖していたようだが、さすがに冒険者たちはこういった現象を見慣れているようだ。
そんな中、先ほどの二人組が進み出た。
そろってジャックに深々と頭を下げる。
「ば、馬鹿にして悪かった……許してほしい」
「助けてくれてありがとう、オッサン……いや、えっと」
「ジャックだ。ジャック・ジャーセ」
「もしかしてあんた……高名な冒険者か……!?」
「冒険者? まさか」
ジャックは獣の顔でニヤリと笑った。
「ただの、運送会社勤務だよ」
と、
「おい、別の班が来たぞ」
冒険者の一人が呼びかけた。
彼らと同じくらいの人数の一団が、後方からやって来る。
「ん、また来たのか?」
獣騎士の姿のまま振り返るジャック。
──どくんっ!
彼らの中の一人を見た瞬間、胸の鼓動が強烈に高まった。
「あいつは──」
全身がひとりでに震える。
体中の紋章が明滅している。
同じだった。
以前、レヴィン・エクトールに出会ったときの感覚と。
「まさか、あいつも……俺と同じ力を」
「毒の噴出が止まったな。けど……」
周囲を覆う毒霧は、『強化』した息で吹き飛ばしても、なぜか王都の外へは出て行かなかった。
まるで見えない壁で王都全体が覆われているかのように、周辺に漂ったままだ。
試しに手近に落ちている石を投げてみると、がつん、と空中で壁に当たったように跳ね返った。
「何かあるのか……!?」
今度は自身で跳び上がって、中空を殴りつける。
だが、『強化』した拳打ですら、見えない壁は破れなかった。
「……駄目か」
ジャックはいったん社長やハンナたちの元まで戻った。
「お、おい、ジャック。さっきのは一体、なんだ……!?」
獣騎士に変身した場面を見ていたらしく、社長が呆然とした顔でたずねる。
「ジャックさん……」
ハンナの方も青ざめた顔だ。
「詳しいことを説明している暇はありません。とりあえず社長はみんなを連れて、第四層か、もっと王都の中心に近い場所まで逃げてください」
と、ジャック。
「ジャックさんはどうするんですか」
「俺は──」
ハンナの問いに、ジャックはしばらく思案し、地面を蹴った。
脚力を強化して上空高く跳び上がる。
王都の最外層辺りに、高さ三十メティルほどの尖塔が四本建っていた。
その周辺に緑色の霧が漂っているところを見ると、あれらも毒霧を噴出していると見て間違いないだろう。
「ジャックさん……?」
「どうやら見えない壁みたいなもので王都が閉じこめられてるみたいだ。しかも毒の霧が広がってる。俺は毒を吹き出して柱を全部壊してこようと思う」
着地したジャックは、ハンナや社長たちにそう説明した。
「けど、そういうのは王国の騎士団とか魔法戦団とか冒険者とか──専門の奴らがいるじゃねーか」
「いえ、俺にできることがある以上、やろうと思います。このままだと社長たちも逃げ場がなくなりますから」
社長の言葉にジャックは首を振った。
「さっきの魔獣は普通の冒険者が戦うには手ごわそうだし……」
だからこそ『普通』ではない、自分のような存在が必要なのだ、とジャックは感じていた。
戦いが嫌いだとか苦手だとか言っている場合ではない、ということも。
「……約束してもらえますか」
ハンナが青ざめた顔のまま、
「危ないことはしない、って。無事に帰ってくるって──」
「あ、ああ……」
ジャックは多少口ごもりながらも、強くうなずいた。
──まったく危なくないとは言えないが。
「土曜日を楽しみにしてますからね」
「すまねえな。絶対戻ってこいよ、ジャック」
と、社長。
「お前が抜けられるとハイマット運送は大弱りだからな」
ニヤリと笑っているが、その瞳にはジャックを案じる優しい光が宿っていた。
「はいっ」
ジャックは力強くうなずき、走り出した。
今、自分にできることを為すために。
そして、自分にしかできないことを遂げるために──。
強化した脚力で疾走したジャックは、またたく間に二つ目の柱へ到着した。
柱を守っていた魔獣ともども、あっさりと柱を破壊する。
その後、今度は三つ目の柱の元までたどり着いた。
そこにも魔獣が待ち構えていて、冒険者の一団と交戦していた。
「なんだお前? なんで一般人がまぎれてんだよ」
「逃げ遅れたのか、オッサン?」
若い冒険者の二人組がジャックの方を振り返り、顔をしかめた。
いずれも戦士らしく筋骨隆々とした体に鉄の鎧を身に付けていた。
ちなみにジャックは、魔獣と戦うとき以外は人間の姿である。
「任務の邪魔だ。さっさと消えろ」
「ったく、いい年して避難警報にも従えないのかよ」
冒険者の一部には、こうやって市民に偉そうにしている者もいる。
ジャックも不快な目にあったことは一度ならずあった。
彼らはそういう類の輩らしい。
だが、今は言い争いをしている場合ではない。
「下がっててくれ。あいつは俺が倒す」
ジャックは前に出た。
「ハア? 素人が何言ってんだよ!」
「馬鹿なこと言ってるんじゃねえ! お前こそ引っこんでろ!」
言うなり、冒険者の二人組が突進した。
「ランクAの冒険者の力を見せてやるっ!」
繰り出された尾を、鉄の甲冑を着ているとは思えないほど敏捷な動きで避ける二人組。
さすがにランクAというだけあって、常人離れした身のこなしだ。
──だが、竜の攻撃は彼らの体術をも上回っていた。
耳元まで避けた口から、白い何かが飛ぶ。
「牙が──」
まるで矢のように飛び、降り注ぐ牙の群れ。
数十はあるそれらを避けきれずに、二人は体勢を崩した。
すかさず骨竜は体をひねり、長大な尾をふたたび繰り出す。
「がはっ……!」
吹っ飛ばされた二人を見て、ジャックは即座に地を蹴った。
十メティルほど跳び上がると、中空の二人を左右の脇に抱える。
着地して彼らを下ろしてやった。
「お、お前は一体──」
「全員、下がっててくれ」
驚く二人や他の冒険者たちに、ジャックはあらためて宣言した。
「一人で戦う気か!? 無茶だ!」
「心配ない」
素っ気なく告げて、精神を集中する。
「があぁっ」
短く吠えた。
全身に騎士のような紋章が浮かび、皮膚が硬質化していく。
瞬時にして、ジャックは青黒い甲冑をまとった騎士のような姿へと変わった。
その頭部は狼に似ており、腰からは長大な尾が伸びている。
戦いも三度目のため、かなりスムーズにこの形態へ移行できるようになっていた。
「なかなか素養があるな、宿主よ」
心の中で、
「……どうせなら、神様がこいつらやっつけてくれれば手っ取り早いんだが」
「魔族と違い、神はこの世界に直接降臨することができん。狭間の世界を介するか、こうして意識の断片を残して会話をする程度が精一杯だ」
戦神の答えは素っ気なかった。
「結局、ああいうのは人間がなんとかするしかないってことか」
苦笑交じりのため息をもらしつつ、ジャックはさらに加速した。
青黒い閃光と化して、骨竜に肉薄する。
迎撃の尾を、爪を、牙を、さらにはブレスを──。
拳一つで跳ね除け、撃ち返す。
そして地を蹴って跳んだ。
「──沈め」
静かなつぶやきとともに、頭部に渾身の拳打を打ちこむ。
轟音が響き、衝撃が走る。
超音速の一撃が竜の頭を粉々に吹き飛ばした。
その一撃で──勝負はついた。
頭部を失った骨竜はよろよろと二、三歩たたらを踏み、ゆっくりと倒れ伏した。
「竜を、たった一人で……」
「しかも、あんなにあっさりと……」
背後から冒険者たちの呆然とした声が聞こえる。
次の瞬間、歓声が沸き上がった。
冒険者たちがいっせいにジャックの元へ駆け寄る。
「すごいな、あんた! 一体、何者なんだ」
「その技……魔法でもないし、何かのアイテムか?」
「まさか、竜をこんなに簡単に倒しちまうなんてな」
口々にジャックを称賛する彼ら。
社長やハンナたちは彼の獣騎士の姿に畏怖していたようだが、さすがに冒険者たちはこういった現象を見慣れているようだ。
そんな中、先ほどの二人組が進み出た。
そろってジャックに深々と頭を下げる。
「ば、馬鹿にして悪かった……許してほしい」
「助けてくれてありがとう、オッサン……いや、えっと」
「ジャックだ。ジャック・ジャーセ」
「もしかしてあんた……高名な冒険者か……!?」
「冒険者? まさか」
ジャックは獣の顔でニヤリと笑った。
「ただの、運送会社勤務だよ」
と、
「おい、別の班が来たぞ」
冒険者の一人が呼びかけた。
彼らと同じくらいの人数の一団が、後方からやって来る。
「ん、また来たのか?」
獣騎士の姿のまま振り返るジャック。
──どくんっ!
彼らの中の一人を見た瞬間、胸の鼓動が強烈に高まった。
「あいつは──」
全身がひとりでに震える。
体中の紋章が明滅している。
同じだった。
以前、レヴィン・エクトールに出会ったときの感覚と。
「まさか、あいつも……俺と同じ力を」