4 「打ち破ってみせましょう」
文字数 2,587文字
魔界の深奥、漆黒の城内。
魔王の玉座の前に、銀髪の美しい少女が傅いていた。
「魔将メリエル、ただ今戻りました」
彼女──メリエルは恭しく頭を下げる。
「無事で何よりだ。どうやら、『人への害意』がなければ、人の世界に留まれるという汝の仮説は実証されたようだな」
魔王が満足げにうなった。
「よくやってくれた、メリエル。貴重なデータだ。並の魔族や魔獣ではこうはいかん。己の糧とするために人間どもを襲い、恐怖を食らうことにばかり夢中だからな」
「魔族や魔獣を好きに暴れさせているのも、魔王様の寛大なお心に寄るものでしょう」
「かつての神魔大戦で苦杯を舐めた我らだ。その不満の解消になれば、という思いはある。だが、下級の者はともかく、高位魔族ともなれば大局を見る必要がある。地上を制覇し、神々を弱体化し、いずれは──」
メリエルの言葉にうなずいた魔王は、そこで言葉を切った。
「……いや、これ以上はよそう。『奴』が聞いていないとも限らぬ」
「奴……とは?」
「神の力を持つ者を一人見つけたとか」
メリエルの問いには答えず、魔王が話題を変えた。
「はい、人間どもがアドニスと呼ぶ国の都にいます。名はハルト・リーヴァ」
(魔王様は何かを隠している──?)
訝りつつも、メリエルはそれを表情に出さず、報告した。
「護りの女神 の力を持つ者です。ガイラスヴリムを撃ち破ったのも、おそらくは」
「ご苦労であった。残りの者も見つけ次第、報告せよ」
「はっ」
魔王の命にメリエルはもう一度頭を下げた。
「一月ほど前、我は護りの女神 の力を感知したが、今や至高神 、戦神 、殺戮の紅蓮神 、運命の女神 ──神の力が次々と出現しているのを感じる」
「古代神は全部で七柱──ハルト以外にも神の力を持つ者が出現している、ということでしょうか」
「あるいは、もっと以前より存在していたのかもしれぬ。彼らの力が魔界まで届くほど増大したのが、この一月ほどの間──と考える方が自然か」
メリエルの問いに、魔王がうなった。
「ただ殺戮の紅蓮神 の力は先日、突然消えてしまった。魔の者を相手に不覚を取ったか、もしかすれば人同士の争いで命を落としたのかもしれん」
確かに、人の世界はメリエルが思う以上に争いに満ちていた。
人と人との間にある欲望、怒り、憎しみ、嫉妬──それら負の感情が、人同士の争いを招いている。
「せっかくの神の力をみずから消してしまったとすれば、愚か極まりないことだ」
「ですが、逆に──神の力を持つ者同士が手を組むこともあり得ます」
メリエルが進言した。
人と人の間にあるのは、負の感情だけではない。
優しさや慈しみ、友情に愛情──魔族であるメリエルには理解できないし、共感もできないそれらの感情を持つ者がいる。
彼女が、アリスとリリスの双子から教わったことだ。
「そうなれば、ワタシたちにとって厄介なことであるな」
「──いつからいたのですか、ディアルヴァ」
突然響いた声に、メリエルは眉をひそめた。
音もなく、気配もなく。
存在感の欠片すらなく──。
すうっと空間からにじみ出すようにして、一つの影が現れた。
影は、メリエルのすぐ側に降り立つ。
「最初からである」
赤紫色をしたローブとフードは歴戦の死闘を物語るようにボロボロで返り血だらけだ。
胸元には五つの宝玉がはまったペンダントを下げている。
六魔将の中で、もっとも呪術に長けた魔導師──ディアルヴァ。
フードの奥の顔は黒いモヤがたゆたっていて、その素顔は同じ魔将であるメリエルも知らない。
「ワタシが行きましょう、魔王陛下」
モヤの中央で光る双眸が、魔王をまっすぐに見据えた。
「神の力を持つ者など消去してみせます。彼らが手を組む前に。手始めに──居所の分かっている、そのハルト・リーヴァとやらを」
「六魔将最強の攻撃力を持つガイラスヴリムですら打ち破れなかった防御ですわよ。甘く見ないほうがよろしいかと」
「ガイラスヴリムのように直接攻撃にこだわる必要はないのである」
ディアルヴァが無機質な声でメリエルに告げた。
「じわじわと追い詰め、殺せばいいだけ。周囲の人間も含めて、皆殺しである」
「周囲の人間も……」
反射的に、あの双子のことを思い浮かべる。
ハルトと近しい二人のことだ。
彼が魔将に襲われれば、アリスやリリスも巻き添えを食う可能性は大きい。
「皆殺し──そんな害意むき出しの行動を取れば、人間界に留まる時間は極端に減りますわよ。ガイラスヴリムがなぜ消滅したのか、お忘れではありませんよね?」
「ん? ワタシが人間どもを殺すのが気に入らないのであるか?」
「っ……!」
メリエルは一瞬、言葉に詰まった。
自分でも思いもよらぬ指摘だった。
(まさか、わたくしが──アリスやリリスたちのことを気にかけている?)
馬鹿な。
あり得ない。
魔将である自分が、人間ごときの生死を気にするなど。
「わ、わたくしはっ……これ以上、魔将が戦死するリスクを抑えたいと思っただけですわ」
「お優しいことであるな。かつては大量殺戮魔法でいくつもの国を滅ぼしたアナタが」
ディアルヴァの不気味な眼光がメリエルを見据える。
まるで何かを疑うように。
「人に害意をもてば、人の世界にいられる時間が急速に短くなる──アナタが実証したその忌まわしい現象をかいくぐる術は用意してあるのである。ハルト・リーヴァとやらも、周囲の人間も等しく滅ぶであろう」
告げて、ディアルヴァは魔王に向き直った。
「自信があるようだな、ディアルヴァ。ならば命じよう。護りの女神 の力を持つ者──ハルト・リーヴァを抹殺せよ」
「お任せを、魔王陛下」
恭しくうなずいたディアルヴァの姿が虚空へと消える。
「護りの女神の力など、ワタシが打ち破ってみせましょう。我が呪術の粋──『竜牙結界 』にて」
不気味な声だけが、謁見の間に響いた。
魔王の玉座の前に、銀髪の美しい少女が傅いていた。
「魔将メリエル、ただ今戻りました」
彼女──メリエルは恭しく頭を下げる。
「無事で何よりだ。どうやら、『人への害意』がなければ、人の世界に留まれるという汝の仮説は実証されたようだな」
魔王が満足げにうなった。
「よくやってくれた、メリエル。貴重なデータだ。並の魔族や魔獣ではこうはいかん。己の糧とするために人間どもを襲い、恐怖を食らうことにばかり夢中だからな」
「魔族や魔獣を好きに暴れさせているのも、魔王様の寛大なお心に寄るものでしょう」
「かつての神魔大戦で苦杯を舐めた我らだ。その不満の解消になれば、という思いはある。だが、下級の者はともかく、高位魔族ともなれば大局を見る必要がある。地上を制覇し、神々を弱体化し、いずれは──」
メリエルの言葉にうなずいた魔王は、そこで言葉を切った。
「……いや、これ以上はよそう。『奴』が聞いていないとも限らぬ」
「奴……とは?」
「神の力を持つ者を一人見つけたとか」
メリエルの問いには答えず、魔王が話題を変えた。
「はい、人間どもがアドニスと呼ぶ国の都にいます。名はハルト・リーヴァ」
(魔王様は何かを隠している──?)
訝りつつも、メリエルはそれを表情に出さず、報告した。
「
「ご苦労であった。残りの者も見つけ次第、報告せよ」
「はっ」
魔王の命にメリエルはもう一度頭を下げた。
「一月ほど前、我は
「古代神は全部で七柱──ハルト以外にも神の力を持つ者が出現している、ということでしょうか」
「あるいは、もっと以前より存在していたのかもしれぬ。彼らの力が魔界まで届くほど増大したのが、この一月ほどの間──と考える方が自然か」
メリエルの問いに、魔王がうなった。
「ただ
確かに、人の世界はメリエルが思う以上に争いに満ちていた。
人と人との間にある欲望、怒り、憎しみ、嫉妬──それら負の感情が、人同士の争いを招いている。
「せっかくの神の力をみずから消してしまったとすれば、愚か極まりないことだ」
「ですが、逆に──神の力を持つ者同士が手を組むこともあり得ます」
メリエルが進言した。
人と人の間にあるのは、負の感情だけではない。
優しさや慈しみ、友情に愛情──魔族であるメリエルには理解できないし、共感もできないそれらの感情を持つ者がいる。
彼女が、アリスとリリスの双子から教わったことだ。
「そうなれば、ワタシたちにとって厄介なことであるな」
「──いつからいたのですか、ディアルヴァ」
突然響いた声に、メリエルは眉をひそめた。
音もなく、気配もなく。
存在感の欠片すらなく──。
すうっと空間からにじみ出すようにして、一つの影が現れた。
影は、メリエルのすぐ側に降り立つ。
「最初からである」
赤紫色をしたローブとフードは歴戦の死闘を物語るようにボロボロで返り血だらけだ。
胸元には五つの宝玉がはまったペンダントを下げている。
六魔将の中で、もっとも呪術に長けた魔導師──ディアルヴァ。
フードの奥の顔は黒いモヤがたゆたっていて、その素顔は同じ魔将であるメリエルも知らない。
「ワタシが行きましょう、魔王陛下」
モヤの中央で光る双眸が、魔王をまっすぐに見据えた。
「神の力を持つ者など消去してみせます。彼らが手を組む前に。手始めに──居所の分かっている、そのハルト・リーヴァとやらを」
「六魔将最強の攻撃力を持つガイラスヴリムですら打ち破れなかった防御ですわよ。甘く見ないほうがよろしいかと」
「ガイラスヴリムのように直接攻撃にこだわる必要はないのである」
ディアルヴァが無機質な声でメリエルに告げた。
「じわじわと追い詰め、殺せばいいだけ。周囲の人間も含めて、皆殺しである」
「周囲の人間も……」
反射的に、あの双子のことを思い浮かべる。
ハルトと近しい二人のことだ。
彼が魔将に襲われれば、アリスやリリスも巻き添えを食う可能性は大きい。
「皆殺し──そんな害意むき出しの行動を取れば、人間界に留まる時間は極端に減りますわよ。ガイラスヴリムがなぜ消滅したのか、お忘れではありませんよね?」
「ん? ワタシが人間どもを殺すのが気に入らないのであるか?」
「っ……!」
メリエルは一瞬、言葉に詰まった。
自分でも思いもよらぬ指摘だった。
(まさか、わたくしが──アリスやリリスたちのことを気にかけている?)
馬鹿な。
あり得ない。
魔将である自分が、人間ごときの生死を気にするなど。
「わ、わたくしはっ……これ以上、魔将が戦死するリスクを抑えたいと思っただけですわ」
「お優しいことであるな。かつては大量殺戮魔法でいくつもの国を滅ぼしたアナタが」
ディアルヴァの不気味な眼光がメリエルを見据える。
まるで何かを疑うように。
「人に害意をもてば、人の世界にいられる時間が急速に短くなる──アナタが実証したその忌まわしい現象をかいくぐる術は用意してあるのである。ハルト・リーヴァとやらも、周囲の人間も等しく滅ぶであろう」
告げて、ディアルヴァは魔王に向き直った。
「自信があるようだな、ディアルヴァ。ならば命じよう。
「お任せを、魔王陛下」
恭しくうなずいたディアルヴァの姿が虚空へと消える。
「護りの女神の力など、ワタシが打ち破ってみせましょう。我が呪術の粋──『
不気味な声だけが、謁見の間に響いた。