3 「友だちですもの」
文字数 3,224文字
魔界と人間界を結ぶ異空間通路──『黒幻洞 』を通り、メリエルは王都の外れに降り立った。
「んっ……」
しばらく魔界にいたせいか、慣れない陽光が目にまぶしい。
時刻は昼ごろのようだ。
魔の世界には存在しない、太陽の光──。
その輝きに目を細めながら、王都に来てから親しくなった姉妹のことを思い出す。
温かな日差しを連想させる、二人の明るい笑顔を。
「元気ですかしら、アリスさんとリリスさん」
我知らず、口元に微笑みが浮かんだ。
メリエルは、その足で王都のギルド支部へ立ち寄った。
ちょうどよいことに、アリスとリリスを一階のロビーで発見する。
「お帰りなさい、メリエルさん~」
「あ、メリエルじゃない。久しぶりっ」
「……ただいま戻りました」
満面の笑みで出迎えてくれた姉妹に、思わず表情がこわばってしまった。
魔王の策を実行するためには、彼女たちを利用する必要がある。
そう、彼女たちを裏切って──。
「? どうしたの、メリエル。表情硬いよ?」
リリスが怪訝そうな顔をする。
「いえ、長旅で少し疲れが……」
嘘は言っていない。
旅といっても、魔界と人間界の往復だが。
「何かあったんですか?」
「な、ななななななななななな何もありませんことよっ。ほ、本当に何もっ、あ、ああああありませんからっ!」
声がうわずってしまった。
嘘をつくという行為がどうにも苦手なのだ。
「おほほほほほほ」
表情だけはなんとか平静を保ち、優雅に笑ってみせる。
「……絶対何かありますよね~?」
「……芸術的なレベルで嘘が下手よね」
「……笑い方もわざとらしいですし」
「……まあ、メリエルのキャラには合ってるかな」
アリスとリリスがひそひそとささやいている。
上手くごまかしたつもりだったが、案外彼女たちも鋭いようだ。
「それはそうと──久しぶりですし、一緒にごはん食べませんか」
アリスが提案した。
「あ、賛成」
にっこり笑ってうなずくリリス。
「承知しましたわ」
メリエルも同意した。
魔王の策を実行すれば、彼女たちは囮として──おそらくは死ぬことになるだろう。
知り合ったよしみに、最後に食事をするのも悪くない。
(そう、最後の──)
二人が殺される場面を想像し、胸の芯を突き刺されるような痛みが走った。
(なんですの、この感じは)
人間など、魔族にとって『負の感情』という食料を供給する餌でしかない。
その餌が二人死ぬくらいで、心を痛めるなど馬鹿げていた。
いや、そもそも魔将である自分に心など──。
「メリエルさん、やっぱり様子が変ですよ」
アリスがじっとメリエルを見ていた。
「心配ね。悩みがあるなら相談してよ」
リリスも真剣な顔だ。
「心配……?」
「だって友だちですもの」
「そうよ」
唱和する姉妹。
「とも……だち……?」
不思議な響きを持つ言葉だった。
概念は知っているが、自分がそんな言葉を向けられる機会があるなど、考えたこともなかった。
二人に『友だち』と言われると、心の中に不思議な温かみが広がっていく。
「……本当に、なんでもありませんの」
メリエルは首を左右に振った。
これは嘘ではない。
魔将である自分が、こんなことで思い悩むはずがないではないか。
と、
「ハルト……?」
リリスが前方から歩いてくる人影に視線を向けた。
「お帰りなさいっ」
リリスの声がうわずった。
嬉しそうに目を細め、頬が赤らんでいる。
「ちょうどあなたが帰ってきたときは、あたしたちが依頼で出かけていて──すれ違いだったね」
「寂しがってましたよね、リリスちゃん。早くハルトさんに会いたいって~」
「ち、ちょっと、姉さんっ。やめてよ、もうっ」
照れたようにはにかむリリス。
前々から感じていたことだが、彼女はハルトの前だといつもこういう表情をする。
人間の感情の機微に疎いメリエルには、今一つ理解しがたい感情。
喜びとも照れとも恥ずかしさとも違う──いや、それらが複雑に入り混じったような。
「ただいま……あれ、メリエルもいたのか。久しぶりだな」
「……お久しぶりですわ」
言いながら、メリエルはハルトをジッと見据える。
彼女の──いや、魔王の標的である神の力を持つ者。
「もう。ハルトさんを凝視しすぎですよ、メリエルさん」
アリスは笑った後で、ハッと何かに気づいたように、
「もしや、メリエルさんもハルトさんに恋しているのでは──」
「恋?」
メリエルは怪訝な思いで首をかしげた。
もちろん魔将である自分が、人間に恋をするなどあり得ない。
そもそも『恋愛感情』というものも、概念としては知っていても、自身が経験したことなどない。
「……むむ、またハルトに近づく女の子が増えるのね」
リリスがなぜか警戒したようにメリエルを見ていた。
──ひとしきり歓談し、ハルトは去っていった。
「ハルトさんはルカちゃんやサロメさんと一緒に隣国まで出向いていたんです。何日か前に帰ってきたんですけど、そのときには私たちが仕事で他の町に出かけていて……すれ違いで会えなかったんですよね~」
アリスが説明する。
「ハルト、二人と何日も一緒だったのよね……」
ぽつりとつぶやくリリス。
「……表情が険しいですわね」
メリエルが怪訝に思ってリリスを見つめる。
「ふふ、ヤキモチですか? リリスちゃん、可愛いですね~」
「なっ!? ち、ちが……違うからねっ」
たちまち真っ赤になるリリス。
「あたしは、別に、ハルトが他の女の子と話したり、一緒にいても、気になるならならなる……えっと」
「思いっきり噛んでますわね」
アリスが微笑ましげな顔をした。
「……恋愛という心理状態でしょうか。わたくしには分かりかねますわ」
「あら、メリエルさんも恋には奥手なんですか~」
「姉さんもでしょ。奥手なのは」
「じゃあ、私たち全員同じですね」
にっこりと笑うアリス。
「それはそうと、これから案内したいところがあるのですが」
ひとしきり会話が終わったところで、メリエルはそう切り出した。
この雰囲気で和やかに昼食の席についたら、ますます気持ちが揺らぎそうだ。
その前に──使命を果たしておいた方がいいだろう。
「ちょっと面白い場所なんです。昼食の前に、よろしければお二人と一緒に」
「案内? あたしたちを?」
「あら、どんなところへ連れていってくださるんですか?」
二人が微笑み混じりにメリエルを見つめる。
「べ、べべべべべべべ別に怪しい場所ではありませんわよっ。あなたたちをおびき寄せるとか、そういったことは断じて、決してっ」
「おびき寄せる? もう、変な冗談言って」
苦笑するリリス。
「意外とお茶目さんですよね、メリエルさんって」
アリスもにこやかな顔だ。
二人とも──メリエルを疑う様子などまったくない。
微塵も、ない。
信頼してくれているのだろう。
(友だち、だそうですからね)
小さく息をつき、
「……では、行きましょうか」
メリエルはゆっくりと歩き出した。
(わたくしが彼女たちを『あの場所』へ呼べば──アリスさんもリリスさんも死ぬ。殺される……)
二人を手にかけることを想像するが、喜びも興奮も得られない。
本来の彼女は、人間への殺意だけで甘美な幸福感や、性的興奮にも似た喜びを覚えるほどだというのに──。
今は、むしろ胸に不思議な疼きのような感覚がある。
あるいは、痛みのような感覚が。
「んっ……」
しばらく魔界にいたせいか、慣れない陽光が目にまぶしい。
時刻は昼ごろのようだ。
魔の世界には存在しない、太陽の光──。
その輝きに目を細めながら、王都に来てから親しくなった姉妹のことを思い出す。
温かな日差しを連想させる、二人の明るい笑顔を。
「元気ですかしら、アリスさんとリリスさん」
我知らず、口元に微笑みが浮かんだ。
メリエルは、その足で王都のギルド支部へ立ち寄った。
ちょうどよいことに、アリスとリリスを一階のロビーで発見する。
「お帰りなさい、メリエルさん~」
「あ、メリエルじゃない。久しぶりっ」
「……ただいま戻りました」
満面の笑みで出迎えてくれた姉妹に、思わず表情がこわばってしまった。
魔王の策を実行するためには、彼女たちを利用する必要がある。
そう、彼女たちを裏切って──。
「? どうしたの、メリエル。表情硬いよ?」
リリスが怪訝そうな顔をする。
「いえ、長旅で少し疲れが……」
嘘は言っていない。
旅といっても、魔界と人間界の往復だが。
「何かあったんですか?」
「な、ななななななななななな何もありませんことよっ。ほ、本当に何もっ、あ、ああああありませんからっ!」
声がうわずってしまった。
嘘をつくという行為がどうにも苦手なのだ。
「おほほほほほほ」
表情だけはなんとか平静を保ち、優雅に笑ってみせる。
「……絶対何かありますよね~?」
「……芸術的なレベルで嘘が下手よね」
「……笑い方もわざとらしいですし」
「……まあ、メリエルのキャラには合ってるかな」
アリスとリリスがひそひそとささやいている。
上手くごまかしたつもりだったが、案外彼女たちも鋭いようだ。
「それはそうと──久しぶりですし、一緒にごはん食べませんか」
アリスが提案した。
「あ、賛成」
にっこり笑ってうなずくリリス。
「承知しましたわ」
メリエルも同意した。
魔王の策を実行すれば、彼女たちは囮として──おそらくは死ぬことになるだろう。
知り合ったよしみに、最後に食事をするのも悪くない。
(そう、最後の──)
二人が殺される場面を想像し、胸の芯を突き刺されるような痛みが走った。
(なんですの、この感じは)
人間など、魔族にとって『負の感情』という食料を供給する餌でしかない。
その餌が二人死ぬくらいで、心を痛めるなど馬鹿げていた。
いや、そもそも魔将である自分に心など──。
「メリエルさん、やっぱり様子が変ですよ」
アリスがじっとメリエルを見ていた。
「心配ね。悩みがあるなら相談してよ」
リリスも真剣な顔だ。
「心配……?」
「だって友だちですもの」
「そうよ」
唱和する姉妹。
「とも……だち……?」
不思議な響きを持つ言葉だった。
概念は知っているが、自分がそんな言葉を向けられる機会があるなど、考えたこともなかった。
二人に『友だち』と言われると、心の中に不思議な温かみが広がっていく。
「……本当に、なんでもありませんの」
メリエルは首を左右に振った。
これは嘘ではない。
魔将である自分が、こんなことで思い悩むはずがないではないか。
と、
「ハルト……?」
リリスが前方から歩いてくる人影に視線を向けた。
「お帰りなさいっ」
リリスの声がうわずった。
嬉しそうに目を細め、頬が赤らんでいる。
「ちょうどあなたが帰ってきたときは、あたしたちが依頼で出かけていて──すれ違いだったね」
「寂しがってましたよね、リリスちゃん。早くハルトさんに会いたいって~」
「ち、ちょっと、姉さんっ。やめてよ、もうっ」
照れたようにはにかむリリス。
前々から感じていたことだが、彼女はハルトの前だといつもこういう表情をする。
人間の感情の機微に疎いメリエルには、今一つ理解しがたい感情。
喜びとも照れとも恥ずかしさとも違う──いや、それらが複雑に入り混じったような。
「ただいま……あれ、メリエルもいたのか。久しぶりだな」
「……お久しぶりですわ」
言いながら、メリエルはハルトをジッと見据える。
彼女の──いや、魔王の標的である神の力を持つ者。
「もう。ハルトさんを凝視しすぎですよ、メリエルさん」
アリスは笑った後で、ハッと何かに気づいたように、
「もしや、メリエルさんもハルトさんに恋しているのでは──」
「恋?」
メリエルは怪訝な思いで首をかしげた。
もちろん魔将である自分が、人間に恋をするなどあり得ない。
そもそも『恋愛感情』というものも、概念としては知っていても、自身が経験したことなどない。
「……むむ、またハルトに近づく女の子が増えるのね」
リリスがなぜか警戒したようにメリエルを見ていた。
──ひとしきり歓談し、ハルトは去っていった。
「ハルトさんはルカちゃんやサロメさんと一緒に隣国まで出向いていたんです。何日か前に帰ってきたんですけど、そのときには私たちが仕事で他の町に出かけていて……すれ違いで会えなかったんですよね~」
アリスが説明する。
「ハルト、二人と何日も一緒だったのよね……」
ぽつりとつぶやくリリス。
「……表情が険しいですわね」
メリエルが怪訝に思ってリリスを見つめる。
「ふふ、ヤキモチですか? リリスちゃん、可愛いですね~」
「なっ!? ち、ちが……違うからねっ」
たちまち真っ赤になるリリス。
「あたしは、別に、ハルトが他の女の子と話したり、一緒にいても、気になるならならなる……えっと」
「思いっきり噛んでますわね」
アリスが微笑ましげな顔をした。
「……恋愛という心理状態でしょうか。わたくしには分かりかねますわ」
「あら、メリエルさんも恋には奥手なんですか~」
「姉さんもでしょ。奥手なのは」
「じゃあ、私たち全員同じですね」
にっこりと笑うアリス。
「それはそうと、これから案内したいところがあるのですが」
ひとしきり会話が終わったところで、メリエルはそう切り出した。
この雰囲気で和やかに昼食の席についたら、ますます気持ちが揺らぎそうだ。
その前に──使命を果たしておいた方がいいだろう。
「ちょっと面白い場所なんです。昼食の前に、よろしければお二人と一緒に」
「案内? あたしたちを?」
「あら、どんなところへ連れていってくださるんですか?」
二人が微笑み混じりにメリエルを見つめる。
「べ、べべべべべべべ別に怪しい場所ではありませんわよっ。あなたたちをおびき寄せるとか、そういったことは断じて、決してっ」
「おびき寄せる? もう、変な冗談言って」
苦笑するリリス。
「意外とお茶目さんですよね、メリエルさんって」
アリスもにこやかな顔だ。
二人とも──メリエルを疑う様子などまったくない。
微塵も、ない。
信頼してくれているのだろう。
(友だち、だそうですからね)
小さく息をつき、
「……では、行きましょうか」
メリエルはゆっくりと歩き出した。
(わたくしが彼女たちを『あの場所』へ呼べば──アリスさんもリリスさんも死ぬ。殺される……)
二人を手にかけることを想像するが、喜びも興奮も得られない。
本来の彼女は、人間への殺意だけで甘美な幸福感や、性的興奮にも似た喜びを覚えるほどだというのに──。
今は、むしろ胸に不思議な疼きのような感覚がある。
あるいは、痛みのような感覚が。