3 「好機は逃さん」

文字数 2,760文字

「彼女たちはやらせません……」

 うめくメリエル。
 可憐な顔は青ざめていて、やっぱりダメージが大きいみたいだ。

「……ザレアの鎌に全身を切り裂かれ、なお立っているとは」

 ビクティムがつぶやいた。

「とっさに防御魔法を使い、威力を軽減したということか。さすがは『千の魔導』──だが『命そのものに損傷を与える』ザレアの斬撃の前に、無傷とはいくまい」

「苦しそうですねぇ。いっそのこと楽にしてあげましょうか? ふひひひ」

 楽しげに笑うザレアの周囲を、無数の鎌が旋回する。
 と、

「ふうっ」

 ふいに、ビクティムが大きく息を吐いた。
 岩石でできた顔は表情が読みづらいが、疲労を思わせる吐息だ。

「転移魔法は大きな魔力を消耗します。いくら魔将のあなたといえど、連発は難しいでしょう……」

 苦しげな息の下で、メリエルが言った。
 それから背後を振り返り、

「今のうちに……逃げてください、アリスさん、リリスさん……」

「どうしてですか、メリエルさん──」

「あたしたちを助けるつもり……?」

 アリスもリリスも戸惑っている様子だ。

「ハルト・リーヴァをおびき寄せるという目的を果たした以上、あなた方にはもう用はありません……ですから」

「そんなことを言ってるんじゃないでしょう!」

 アリスが叫んだ。

「どうして、私たちをかばったんですか! そんなに傷だらけになって……」

 今にも泣き出しそうな顔で。

「わたくしにも……分からないのです」

 メリエルは弱々しく首を振った。

「ただ、あなたたちが……殺されようとしているのを見たら……体が、勝手に動いて……」

 戸惑ったような、顔で。

 自分自身の行動に、感情に──戸惑ったような顔で。

「ええ~? ちょっと待ってくださいよ。本気で人間をかばう気ですか~?」

 ザレアはへらへらと笑いながらメリエルを見る。

「それとも、まさか──僕と戦う気?」

 切れ長の目がすうっと細まった。

 魔将の少女は答えない。
 ただ険しい顔で死神の少年を見据えるのみ。

「なんの冗談ですかぁ? あ、でも冗談でそんなボロボロになったりしないですよね、ふひひひ」

「二人を傷付ける必要など……ありません……」

「必要? 魔族だからですよ」

 ザレアが酷薄な笑みを浮かべる。

「人間が苦しむ顔。人間が傷つく顔。人間が死ぬときの顔。全部、僕らの糧じゃないですかぁ。こいつらなんてただの餌なんですから」

「……餌、ですか」

 ふっ、と自嘲的な笑みを浮かべるメリエル。

「わたくしには、もう……そんなふうには……」

「えっ、何? 声が小さくて、よく聞こえないですねぇ」

雷撃斬(ラ・グ・ディーレ)!」

 メリエルがいきなり魔法を放つ。
 魔族ならではの無詠唱高火力魔法。

「ふうん?」

 だが、その雷はザレアの周囲に浮かぶ無数の鎌によって切り裂かれ、霧散した。

水流破(リア・ヴィ・ゼス)! 風烈破(アシュ・グ・ゼス)!」

 さらに放った水流が、風の弾丸が──。

「無駄ですよ~」

 やはりザレアの鎌にあえなく吹き散らされた。

「本気でやりあうつもりみたいですねぇ。じゃあ、殺しちゃおっかなぁ」

 黒ずくめの死神少年はどこまでも楽しげに、微笑んでいる──。



 俺も二人を護りに行かなきゃ。

 それに──。
 必死な様子のメリエルが視界に入る。

 彼女は魔族だけれど。
 俺たち人間にとっては、敵だけれど。

 だけど──。
 胸の中が複雑な感情で渦を巻いた。
 と、

「行かさんぞ」

 ビクティムが巨大な足を踏み出した。
 そのまま俺を踏みつぶそうとする。



 ──形態変化(アルター)

 ──反響万華鏡(カレイドスコープシフト)



 俺はすかさずスキルを発動した。

 踏みつけられた力を数十数百に乱反射して弾き返す。

「……ちっ」

 その圧力に、さすがのビクティムもよろめいた。
 が、すぐに体勢を整えて、俺の前に立ちはだかる。

「心が乱れているな。それはすなわち、神の力が乱れるということ」

 ビクティムが静かに告げる。

「神の力といえど、それを扱うのは人間の『心の力』。感情の乱れはすなわち力の弱体化につながる。この好機は逃さん──天翼転移(フィオルート)

 呪文とともに、上空に黒い亀裂が走った。

「これは──」

 そこから無数の岩石が降り注ぎ、積み重なり──。
 あっという間に高さ数百メティルほどの壁になる。

 例の転移魔法か。

 リリスやアリス、メリエル、ザレアとは完全に分断された格好だった。

「ふうっ」

 ビクティムが大きく息を吐き出した。

 ……確か、さっきも魔法を使った後に疲労の様子を見せていたな。

「転移魔法というのは、大きな魔力を消耗する。しかも距離が長くなればなるほどその消耗は加速度的に増大する。本来は連発できるものではない」

 と、ビクティム。

「際限なく長い距離を飛ばせるなら、それこそ君を火山の中か地中深くにでも吹き飛ばすのだが──この世界で我らができることには、制約がある。口惜しいことだ」

 丁寧な解説は、俺たちに魔法の講義をしようという親切心──のはずはない。
 時間稼ぎの一環だろう。

 リリスやアリスの危機を煽り、俺を動揺させる。
 心を乱れさせ、俺のスキルを弱体化させる──そんなところか。

 頭の片隅で、奇妙なほど冷静に分析している自分がいた。

 もちろん、焦りはある。
 だけど──だからこそ、俺は集中を乱さない。

 今までの戦いの経験が、多少は俺を図太くしていたのかもしれない。

「儂の魔力をもってしても、これくらいが限度。だが十分だな」

 ビクティムが大きく拳を振り上げた。

 同時に、壁の向こうから衝撃音や金属音が聞こえる。
 たぶんザレアが攻撃を仕掛けてるんだろう。

「くそ、リリスとアリスが……」

 俺は乱れそうになる気持ちを整えた。

 奴が言った通り、気持ちの乱れはイコール神のスキルの乱れであり、弱体化につながるのだから。

 ──落ち着け。
 ──焦るな。
 ──迷うな。

 自分自身に言い聞かせる。

 やるべきことはシンプルだ。

 まずこいつを倒して、岩石の壁を取り除く。
 そして、リリスたちを助けに行く──。

 俺はジャックさんに目配せをした。
 そのアイコンタクトが通じたのか、うなずく獣騎士。

「君たちはここで始末する」

 静かに告げる岩石巨人に、

「お前はここで倒す」

 俺は闘志をむき出しに言い返した。
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