4 「護りの女神の紋章」

文字数 2,978文字

 アーチ状の門の前に、黒いローブ姿の魔族がたたずんでいた。

「感じるぞ……そこの建物に大量の人間がいる……」

 Dイーターが静かにつぶやく。

「俺の餌……これほど大量とは……」

 その声に明らかな喜悦の色が混じった。

「人間の持つ負の感情……恐怖、悲しみ、苦しみ、絶望……それらすべてが、我ら魔族の力の源……それらすべてを吸い上げ、我らはさらに力を増す……」

「……人間は、お前らの食いものじゃない」

 俺はぎりっと奥歯を噛みしめる。

「貴様は俺に対して恐怖ではなく、怒りと闘志を……感じているのか……それは魔族の糧にはならんな……」

 Dイーターがため息をついた。

 枯れ木を思わせる細い腕を突き出す。
 その手のひらに黒い何かがにじみ──、

 がおんっ!

 腹に響くような轟音とともに、巨大な鉄の門がひしゃげ、その一部が削り取られたように消失した。

「空間操作魔法による『圧縮』──ね」

 隣でリリスがつぶやく。
 すさまじい威力を目にして、その顔はわずかに青ざめていた。

「大丈夫だ、俺が防ぐから」

 俺はリリスをかばうように一歩前に出た。

「……我が力を見ても怯まんか。俺の食事を阻止しようということか……?」

「阻止? 違うな」

 俺は魔族をにらみつけた。

「倒すんだ。町の人たちに手出しできないように」

「ならば……貴様らを倒せば、俺はゆっくりと食事ができるわけだ……そこにいる人間どもを狩りつくして……な……」

 魔族がゆっくりと近づいてきた。
 無防備ともいえる歩調。

「攻撃できるものなら……してみるがいい、矮小なる人間よ……」

「舐めないでよね──」

 リリスが銀の杖をまっすぐに構えた。

 挑発的な魔族に対し、持ち前の勝気さに火がついたみたいだ。
 立ち上る魔力のオーラが、ツインテールにした黄金の髪をたなびかせる。

風王弾(エアロショット)!」

 渦を巻きながら進む風圧の弾丸は、しかし、

歪曲空間(ディストーション)

 魔族が右手を軽くかざすと、あさっての方向に弾かれていった。

「なら、これで──雷襲弾(サンダーバレット)!」

「無駄だ」

 続けてリリスが放った雷撃も、同じように弾かれた。
 上空高く跳ね上がった光球はそこで弾け、爆光の花を咲かせる。

「……普通に撃っても駄目みたいね。前方の空間を曲げて、魔法ごと弾かれてしまう」

 分析するリリス。

「竜を倒したあの魔法は使えないんだよな?」

「ええ、あれはマジックミサイルがないと、あたし単独の力では無理よ。マジックミサイルは貴重品だから、この間使ったとっておきの一発しか持ってないし……仮に撃てたとしても、空間ごと曲げられたら当たらないでしょうね」

 念のために確認した俺に、リリスが説明した。

「ただ、Dイーターは竜みたいな非常識な耐久力を備えているわけじゃない。当てることさえできれば、十分に倒せるはずよ」

「当てることさえできれば……か」

 俺はつぶやきながら、もう一歩前に出た。

「魔族の注意を俺が引きつける。リリスは隙を見て攻撃を頼む」

「ハルト……気を付けて」

「平気平気。俺は竜の攻撃を受けても傷一つ受けない男だからな」

 軽口めいた口調で言ったのは、心配そうなリリスを安心させるためだ。

 もちろん彼女だって、俺の防御能力の高さは理解しているだろう。
 それでも、いざとなると不安を抑えられないのかもしれない。

「あいつの攻撃は──全部、俺が止める!」

 威勢よく叫んで、俺は地を蹴った。
 まっすぐに突進する。

 基本的に魔法っていうのは、同時に二つは使えない。
 俺は事前のレクチャーでそう聞いていた。

 だから俺に対して攻撃している間は、さっきみたいに空間をねじ曲げる防御術は使えない。

「ひしゃげて潰れろ……人間……」

 Dイーターが俺に向かって手をかざす。
 細くねじくれた五本の指を鉤爪のように曲げ、グッと握るような仕草。

歪曲圧搾弾(プレッシャーボム)……」

 次の瞬間、視界がまるで蜃気楼のように歪んだ。

 ──いや、違う。
 歪んでいるのは俺の周囲の空間だ。

 さっきも見た、鋼鉄さえも圧潰させる『圧縮』の攻撃魔法。
 どれほど頑強な防具でも、強靭な肉体でも、空間ごと潰されたらどうにもならない。

 肉も骨も壊れ、ひしゃげ、ねじ曲がり──。
 無残な死を、迎えることだろう。

 だけど俺は避けない。
 まっすぐに走り続ける。

「ハルト!」

 悲痛に叫ぶリリス。

「自ら死ぬつもりか……?」

 訝る魔族を見据え、さらに加速する。

 スキル発動──。
 念じるのと同時に、眼前で極彩色の光があふれた。

 天使を思わせる紋様が浮かび上がる。
 空間が歪曲していることを示す蜃気楼のような揺らぎは、その輝きに触れた途端、あっさりと霧散した。

 もちろん、俺はノーダメージだ。

「……何!?

 魔族がますます訝る。

「偶然、避けたか……? ならばもう一度──」

 さっきと同じ呪文が俺を襲った。

 空間が歪み、俺を押し潰そうと圧力をかけ──、

 スキル発動、二回目。
 弾けた極彩色の輝きが、圧縮を完全に無効化する。

「馬鹿な……!?

 魔族がうろたえたように後ずさった。

「魔法ではない……なんだ、貴様のその力は──」

 俺は最高速まで加速する。

「お、おのれ……っ!」

 なおも圧縮を連発する魔族。
 どうやら攻撃のバリエーションはこれしかないらしい。

 そもそも、本来なら防御不可能の魔法だ。
 これ一つあれば、他の小技は不要ってことだろう。

 だけど、俺には通じない。
 傷一つ与えることはできない。

 断続的に放たれる圧縮を、その都度スキルを発動して無効化する。
 俺はトップスピードのまま駆け続け、三メティルほどの距離まで迫った。

 あと一歩、二歩。
 それで手を伸ばせば届きそうなくらいに──。

「な、ならば──全開魔力の圧縮でぇぇぇぇっ!」

 魔族が絶叫とともに両手を突き出した。
 もはやパニック状態に近いんだろう。

 前方が蜃気楼のように揺らぐ──だけじゃなく、薄紫色の何かが広がり始める。

 今までとは違う現象だ。
 言葉通り、魔力を全開にした圧縮攻撃を放とうというのか。

 おそらくその威力も、今まで以上──。

「消えろ!」

 俺は叫ぶ。

 半ば無意識に。
 半ば本能的に。

 言葉にすることで、俺の意志はより明確になり、スキルの効力がより強く顕現する──俺はそれを悟っていたのかもしれない。

 前方に浮かび上がった極彩色の輝きは、今までよりもはるかにまばゆく、強烈な光量で周囲を照らし出した。

「なんだ……!?

 俺は驚きに目を見開いた。

 紋様の形がいつもと違う。
 翼を広げた天使を思わせるデザインは同じだけど、翼の数がいつもの二枚じゃなく四枚になっていた。

「まさか、それは──」

 魔族が驚愕の声を上げる。

護りの女神の紋章(イルファリア・クレスト)!? なぜ人間ごときが神の力を……!?
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