8 「『同種』なのか」
文字数 3,588文字
ジャック・ジャーセ。
四十三歳、無職。
ついでに童貞。
二か月前まではとある商会で働いていたのだが、人員整理の際に解雇されてしまった。
文字通り、路頭に迷った状態だ。
両親はすでになく、特定の恋人もいない。
……そもそも、今までの人生で異性と交際した経験自体がないのだが。
仕事を失った彼は、急激に無気力状態へと陥った。
守るべき家族もなく、他に生計を立てる方法もなく──ある日、彼は半ば衝動的に自殺を選んだ。
そして、出会った。
不思議な異空間で、神と呼ばれる存在と──。
「俺の名はヴィム・フォルス。貴様らが戦神と呼ぶ存在だ」
ジャックの目の前に、黄金の甲冑をまとった騎士がたたずんでいた。
「戦神……?」
兵士としての経験などないが、その名前は当然知っている。
戦を生業とする傭兵や騎士、兵士たちに広く信仰されている戦の神ヴィム・フォルス。
「俺は長話が嫌いだ。用件を手短に言うぞ」
黄金の騎士はぶっきらぼうな口調で告げた。
「まず状況説明。お前は一度死んだ。今はこの『狭間の時空』に漂っている状態だ」
やはり自分は死んだのか、とジャックは心の中でつぶやく。
「だがお前の魂は特別製でな。今回の『死』をキャンセルし、生き返ることができる。さらに神のスキル──特別な能力が授けられる」
「えっ……!?」
ジャックは驚いて戦神を見つめた。
「生き返る? それにスキルって……ど、どういうことですか」
「スキルの種類は『強化』。詳細は──生き返ってから確かめろ」
ヴィム・フォルスの説明はどこまでも無愛想だ。
「さあ、受け取れ。戦神の紋章 を」
その手からあふれた輝きが、ジャックの中に吸いこまれる。
「力を使って何を為すかは貴様の自由。戦場にいれば、貴様に敵う戦士はまずおるまい。戦場を駆ける英雄となるのもよかろう」
「俺が英雄……」
ピンとこない話だった。
そもそも武術の素養などないに等しい。
「そろそろ時間だ。貴様を現世に戻すぞ」
黄金騎士の姿がゆっくりと薄れていく。
「あ、あの、俺には何がなんだか、さっぱり──」
「これで貴様を入れて六人のスキル保持者 が誕生した。後は護りの女神 だけだな……」
ジャックの質問にはロクに答えず、ヴィム・フォルスの声は次第に遠ざかり、そして──。
ジャックは神のスキルを持つ者としてよみがえった。
以来、彼の生活は一変する。
戦神から授かった強化のスキルによって、彼は超人になったのだ。
その名の通り、あらゆるものを強化する能力。
スキルの対象になるのは、自分自身はもちろん他のものにも及ぶ。
たとえば、自身の運動能力を強化すれば、数百人の兵士を拳一つで撃退できるほどの戦闘能力を得ることができた。
紙を強化すれば鉄よりも硬くなるし、石つぶてを投げてその速度を強化すれば、音よりも速く飛んでいく。
ジャックは日々の生活の糧を得るため、肉体労働者になった。
強化スキルを活かせば、傭兵や冒険者といった職業に就くこともできそうだが、彼は元来、戦いが苦手なのだ。
平均的な作業員の数十倍、ときには数百倍の仕事量を楽々とこなし、たちまち彼は職場で重宝される存在となった。
解雇された商会での扱いとは、天と地ほどの待遇の違いである。
最近は、事務員をしている二十代半ばの女と仲良くなり、いい雰囲気になりつつある。
彼の人生はささやかで平穏ながら、幸福に満たされていた。
だが、その日──。
一人の少年に出会ったことで、ジャックの人生は激動へと変転する。
「な、なんだ、ありゃ……!?」
木立の向こうから立ち上る、光の柱。
そして天空に浮かぶ不思議な紋様を見上げ、ジャックは呆然とつぶやいた。
翼を広げた、竜のような形。
ジャックがスキルを使う際に現れる紋様と、どこか似ている。
もっとも、彼のそれは重甲冑をまとった騎士のようなデザインだが。
光の柱は一瞬で消え、ジャックはその場に立ち尽くした。
既に今日の仕事──隣町までの運搬業務は強化スキルを駆使してあっという間に終わらせたし、時間は十分にある。
半ば好奇心で、半ば自分でもよく分からない衝動で──。
ジャックは先ほど光の柱が立ち上った方角へ足を踏み出した。
草むらをかき分けて進むと、
「兵隊……?」
茂みの向こうに二人組の兵士が見えた。
甲冑の胸元にある紋章を見ると、アドニス王国の正規兵らしい。
なぜ、わざわざこんな場所にいるのだろうか。
アドニスが他国と戦争をしているなどという話は、もちろんない。
「……他にもいるな」
ジャックは視力や聴力など五感を強化し、周囲の状況を探った。
前方にいる二人組の他に、およそ二百メティルごとに兵士たちが配置されている。
まるで、見張りのようだった。
彼らの向こうに、何かがある──?
ますます好奇心を駆られた。
(ちょっと見に行ってみるか)
もちろん、ジャックが戦闘能力を強化すれば、二人組の兵士など敵ではない。
だが王国の正規兵と事を構えるつもりはないし、そもそも彼は戦闘自体が好きではなかった。
(少し見物して、すぐに帰ろう)
ジャックは強化能力を両足に注ぎこんだ。
左右のふくらはぎに、騎士を意匠化したような紋様が浮かび上がる。
ジャックの強化スキルは基本的に二つの種類がある。
一点を強化する『全振り』と、各所を強化する『分散』。
仮に強化できる数値を100とすれば、脚力に『全振り』した場合は100の力が上乗せされ、脚力と腕力に半分ずつ『分散』した場合は、それぞれに50の力が上乗せされる。
今回は前者を使い、脚力だけをフル強化した。
「せーの……っ」
小さな掛け声とともに、地面を蹴る。
次の瞬間、ジャックの体は矢のように跳び上がり、数百メティル上空にまで達した。
強化の対象を脚力から視力へと切り替え、眼下の景色を見やる。
「あれは……」
森の木々で囲われた内部が、ちょうど広場のようになっており、そこに数十人の兵士がいた。
どうやら訓練中らしく、全員がいっせいに槍を構え、突き出す。
ただ、その連携の精度が異常だった。
まるで機械のように正確で、タイミングがまったく同じ動き方。
文字通り一糸乱れぬ統率である。
指揮をしているのは、一人の少年だった。
服装を見ると学生のようだ。
そんな少年が、兵士たちの指揮をしているという光景も、また奇妙だった。
怪訝に思いつつ、ジャックは着地した。
とたんに、どすん、とすさまじい振動が地面を襲う。
「あ……しまった」
着地の際の衝撃音のことまで頭が回らなかった。
たちまち大勢の兵が駆けつけてくる。
「なんだ、今の音は──侵入者か?」
さらに兵たちの向こうから、一人の少年が現れた。
流麗な黒髪に、凍りつきそうな美貌。
切れ長の目は紅玉の色をしている。
しなやかな体つきにまとっているのは、軍服を連想させる黒い学生服だった。
「ちっ、さっきの紋様の光を見て、近隣の住民でも紛れこんだか。まだスキルのコントロールが完全じゃないからな……力があふれてしまった」
忌々しげに舌打ちした少年が、ジャックを見据える。
「ともあれ、今はまだ知られるわけにはいかない──捕えろ」
冷然と命令する少年。
「承知しました、我が主 」
兵士たちは感情がないかのような平板な声でうなずき、ジャックを取り囲んだ。
「穏やかじゃないな」
ジャックは苦笑交じりに肩をすくめる。
数十人の兵士に囲まれた状況でも平然としていた。
以前の自分ならそれだけで腰を抜かしていたかもしれない。
だが、今は違う。
「降りかかる火の粉は払うけど、手荒な真似はしたくないんだよな」
頭をかきながら、ジャックは両手と両足、さらに動体視力や反射神経を『分散』して強化する。
左右の二の腕と両太ももに、ポウッ、と輝く紋様が浮かんだ。
自分では見えないが瞳にも、そしておそらくは体内の神経にも──『強化』された部分すべてに、同じ紋様が浮かんでいるはずだ。
「まさか、神の紋章……!?」
ふいに、少年が動揺の声を上げた。
「えっ?」
「君は──僕の『同種』なのか」
つぶやく少年の額に、ジャックと似たデザインの紋様が浮かんだ。
翼を広げた、竜のような紋様が。
四十三歳、無職。
ついでに童貞。
二か月前まではとある商会で働いていたのだが、人員整理の際に解雇されてしまった。
文字通り、路頭に迷った状態だ。
両親はすでになく、特定の恋人もいない。
……そもそも、今までの人生で異性と交際した経験自体がないのだが。
仕事を失った彼は、急激に無気力状態へと陥った。
守るべき家族もなく、他に生計を立てる方法もなく──ある日、彼は半ば衝動的に自殺を選んだ。
そして、出会った。
不思議な異空間で、神と呼ばれる存在と──。
「俺の名はヴィム・フォルス。貴様らが戦神と呼ぶ存在だ」
ジャックの目の前に、黄金の甲冑をまとった騎士がたたずんでいた。
「戦神……?」
兵士としての経験などないが、その名前は当然知っている。
戦を生業とする傭兵や騎士、兵士たちに広く信仰されている戦の神ヴィム・フォルス。
「俺は長話が嫌いだ。用件を手短に言うぞ」
黄金の騎士はぶっきらぼうな口調で告げた。
「まず状況説明。お前は一度死んだ。今はこの『狭間の時空』に漂っている状態だ」
やはり自分は死んだのか、とジャックは心の中でつぶやく。
「だがお前の魂は特別製でな。今回の『死』をキャンセルし、生き返ることができる。さらに神のスキル──特別な能力が授けられる」
「えっ……!?」
ジャックは驚いて戦神を見つめた。
「生き返る? それにスキルって……ど、どういうことですか」
「スキルの種類は『強化』。詳細は──生き返ってから確かめろ」
ヴィム・フォルスの説明はどこまでも無愛想だ。
「さあ、受け取れ。
その手からあふれた輝きが、ジャックの中に吸いこまれる。
「力を使って何を為すかは貴様の自由。戦場にいれば、貴様に敵う戦士はまずおるまい。戦場を駆ける英雄となるのもよかろう」
「俺が英雄……」
ピンとこない話だった。
そもそも武術の素養などないに等しい。
「そろそろ時間だ。貴様を現世に戻すぞ」
黄金騎士の姿がゆっくりと薄れていく。
「あ、あの、俺には何がなんだか、さっぱり──」
「これで貴様を入れて六人のスキル
ジャックの質問にはロクに答えず、ヴィム・フォルスの声は次第に遠ざかり、そして──。
ジャックは神のスキルを持つ者としてよみがえった。
以来、彼の生活は一変する。
戦神から授かった強化のスキルによって、彼は超人になったのだ。
その名の通り、あらゆるものを強化する能力。
スキルの対象になるのは、自分自身はもちろん他のものにも及ぶ。
たとえば、自身の運動能力を強化すれば、数百人の兵士を拳一つで撃退できるほどの戦闘能力を得ることができた。
紙を強化すれば鉄よりも硬くなるし、石つぶてを投げてその速度を強化すれば、音よりも速く飛んでいく。
ジャックは日々の生活の糧を得るため、肉体労働者になった。
強化スキルを活かせば、傭兵や冒険者といった職業に就くこともできそうだが、彼は元来、戦いが苦手なのだ。
平均的な作業員の数十倍、ときには数百倍の仕事量を楽々とこなし、たちまち彼は職場で重宝される存在となった。
解雇された商会での扱いとは、天と地ほどの待遇の違いである。
最近は、事務員をしている二十代半ばの女と仲良くなり、いい雰囲気になりつつある。
彼の人生はささやかで平穏ながら、幸福に満たされていた。
だが、その日──。
一人の少年に出会ったことで、ジャックの人生は激動へと変転する。
「な、なんだ、ありゃ……!?」
木立の向こうから立ち上る、光の柱。
そして天空に浮かぶ不思議な紋様を見上げ、ジャックは呆然とつぶやいた。
翼を広げた、竜のような形。
ジャックがスキルを使う際に現れる紋様と、どこか似ている。
もっとも、彼のそれは重甲冑をまとった騎士のようなデザインだが。
光の柱は一瞬で消え、ジャックはその場に立ち尽くした。
既に今日の仕事──隣町までの運搬業務は強化スキルを駆使してあっという間に終わらせたし、時間は十分にある。
半ば好奇心で、半ば自分でもよく分からない衝動で──。
ジャックは先ほど光の柱が立ち上った方角へ足を踏み出した。
草むらをかき分けて進むと、
「兵隊……?」
茂みの向こうに二人組の兵士が見えた。
甲冑の胸元にある紋章を見ると、アドニス王国の正規兵らしい。
なぜ、わざわざこんな場所にいるのだろうか。
アドニスが他国と戦争をしているなどという話は、もちろんない。
「……他にもいるな」
ジャックは視力や聴力など五感を強化し、周囲の状況を探った。
前方にいる二人組の他に、およそ二百メティルごとに兵士たちが配置されている。
まるで、見張りのようだった。
彼らの向こうに、何かがある──?
ますます好奇心を駆られた。
(ちょっと見に行ってみるか)
もちろん、ジャックが戦闘能力を強化すれば、二人組の兵士など敵ではない。
だが王国の正規兵と事を構えるつもりはないし、そもそも彼は戦闘自体が好きではなかった。
(少し見物して、すぐに帰ろう)
ジャックは強化能力を両足に注ぎこんだ。
左右のふくらはぎに、騎士を意匠化したような紋様が浮かび上がる。
ジャックの強化スキルは基本的に二つの種類がある。
一点を強化する『全振り』と、各所を強化する『分散』。
仮に強化できる数値を100とすれば、脚力に『全振り』した場合は100の力が上乗せされ、脚力と腕力に半分ずつ『分散』した場合は、それぞれに50の力が上乗せされる。
今回は前者を使い、脚力だけをフル強化した。
「せーの……っ」
小さな掛け声とともに、地面を蹴る。
次の瞬間、ジャックの体は矢のように跳び上がり、数百メティル上空にまで達した。
強化の対象を脚力から視力へと切り替え、眼下の景色を見やる。
「あれは……」
森の木々で囲われた内部が、ちょうど広場のようになっており、そこに数十人の兵士がいた。
どうやら訓練中らしく、全員がいっせいに槍を構え、突き出す。
ただ、その連携の精度が異常だった。
まるで機械のように正確で、タイミングがまったく同じ動き方。
文字通り一糸乱れぬ統率である。
指揮をしているのは、一人の少年だった。
服装を見ると学生のようだ。
そんな少年が、兵士たちの指揮をしているという光景も、また奇妙だった。
怪訝に思いつつ、ジャックは着地した。
とたんに、どすん、とすさまじい振動が地面を襲う。
「あ……しまった」
着地の際の衝撃音のことまで頭が回らなかった。
たちまち大勢の兵が駆けつけてくる。
「なんだ、今の音は──侵入者か?」
さらに兵たちの向こうから、一人の少年が現れた。
流麗な黒髪に、凍りつきそうな美貌。
切れ長の目は紅玉の色をしている。
しなやかな体つきにまとっているのは、軍服を連想させる黒い学生服だった。
「ちっ、さっきの紋様の光を見て、近隣の住民でも紛れこんだか。まだスキルのコントロールが完全じゃないからな……力があふれてしまった」
忌々しげに舌打ちした少年が、ジャックを見据える。
「ともあれ、今はまだ知られるわけにはいかない──捕えろ」
冷然と命令する少年。
「
兵士たちは感情がないかのような平板な声でうなずき、ジャックを取り囲んだ。
「穏やかじゃないな」
ジャックは苦笑交じりに肩をすくめる。
数十人の兵士に囲まれた状況でも平然としていた。
以前の自分ならそれだけで腰を抜かしていたかもしれない。
だが、今は違う。
「降りかかる火の粉は払うけど、手荒な真似はしたくないんだよな」
頭をかきながら、ジャックは両手と両足、さらに動体視力や反射神経を『分散』して強化する。
左右の二の腕と両太ももに、ポウッ、と輝く紋様が浮かんだ。
自分では見えないが瞳にも、そしておそらくは体内の神経にも──『強化』された部分すべてに、同じ紋様が浮かんでいるはずだ。
「まさか、神の紋章……!?」
ふいに、少年が動揺の声を上げた。
「えっ?」
「君は──僕の『同種』なのか」
つぶやく少年の額に、ジャックと似たデザインの紋様が浮かんだ。
翼を広げた、竜のような紋様が。