6 「芽生えている」

文字数 2,189文字

「おとなしくしていればいいものを……」

 メリエルは唇を噛みしめた。
 飛び出してきたアリスとリリスを険しい表情で見つめる。

 二人の背後には黒い檻があった。
 アリスとリリスを閉じこめるために、メリエルが魔法で作り上げた防御結界である。

 その檻は格子の部分が根こそぎ吹き飛んでいた。
 二人が魔法で破壊したのだろう。

 ──ここまで計画は順調だった。

 アリスもリリスも、メリエルのことを微塵も疑っていなかった。
 隙を見て眠りの魔法で昏倒させ、この特殊空間まで連れてくるのは容易なことだった。

 目を覚ました二人は愕然とメリエルを見たものだ。

「どうして、こんなことをするんですか、メリエルさん……!?

「あなたが、魔族……嘘でしょ……!?

 姉妹そろっての悲痛な表情は忘れられない。
 胸をえぐられるような痛みだった。

 それでもメリエルは六魔将の一人である。
 魔王の命令を遂行するために、情に流されることなどあってはならない。

 ハルトとの戦いの巻き添えを受けないように防御結界を張り、その中に二人を幽閉した。
 そして彼の宿に書き置きを残し、この場におびき寄せた。

 そう、すべては順調だったのだ──。

「なのに……」

 メリエルはうめいた。

「なぜ、わざわざ飛び出してきたのですか。そこに隠れていれば、命だけは助かったものを──」

「黙って見ていられるわけないじゃない」

 リリスがメリエルをにらむ。

「まさか、この期に及んでまだわたくしのことを友だと? これだから人間は愚かだと──」

「それは、いけないことなのですか」

 アリスがまっすぐにメリエルを見据える。

 いつも穏やかで、柔和な笑みを絶やさない彼女が。
 滅多に見せない険しい表情で。

「甘さも、優しさも、なんの価値もないのでしょうか? ただの愚かしさの証なのでしょうか。魔族にとっては。私はそうは思いません」

 悲しげに告げるアリス。

「メリエルさんは、私たちと一緒に過ごしているときは──情を感じました。演技ではなく、気まぐれなどでもなく、あなたの中には──いえ、魔族にも人と同じような情が眠っているのでは? ただ、それを普段は表わさずに」

「人が、魔族を語らないでくださいませ……!」

 メリエルの声に怒気が混じった。

「それは侮辱です。そして屈辱でしかありません」

「メリエルさん……そんな……」

 悲しげに首を振るアリス。

「人と、魔族を同列に論じるなどと──忌々しい」

「あなたが怒っているのは、姉さんの言葉に対してなの?」

 今度はリリスが問いかける。

「それとも、姉さんの言葉が──心の底では正しいと感じてしまった自分に対して?」

「……人が、魔族を語るなと申し上げたはずですが」

 胸の奥がざわざわするような感覚だった。
 心の芯を焼かれるような怒り。

 だが──自分でも何に対して怒っているのか分からなくなってくる。

 そして、自分が本当は何をしたいのかも。

「わたくしに──魔族に、情などありません」

 答えたメリエルの声は、かすかに震えていた。

「私は、そうは思いません。メリエルさんに情がないなんて……」

 ふたたびアリスが口を開いた。
 悲しげな瞳でメリエルを見据える。

 その視線を受け止めると、胸全体に広がる痛みと疼きがますます強まった。

「私たちを殺さなかったのが、何よりの証では?」

「っ……!」

 とっさに言葉が出てこない。

「わたくし……は……」

 ぎりっと奥歯を噛みしめた。

 本当は、薄々気づいていたのかもしれない。
 心の底では分かっていたのかもしれない。

 彼女たちと出会って以来、自分の中に芽生え始めたものに。
 魔族には、決してあってはならないものに。

 だが──だからこそ否定した。

 必死に目を背けた。
 気づかないふりをした。

 しかし実際に二人を前にしていると、そんな心の防壁は情けないほど簡単に崩れ、溶け落ちてしまう。

 魔将である、この自分が──。

 周囲を激しい震動が襲ったのは、そのときだった。
 薄青いモヤに包まれた大気が、地面が、大きく揺れる。

「しまった、もう時間が──」

 メリエルは眉を寄せた。

 ここは異空間を操作する術式『黒幻操界(フィオレーガ)』を応用し、魔王が作り出した特殊空間だ。
 人間への殺意を全開にしても、消滅までの時間制限(タイムリミット)を大幅に緩和できる。

 とはいえ、不安定な空間ゆえに長くは持たない。

「この場が崩壊する前に、あなたを始末します。ハルト・リーヴァ」

「だめです!」

「やめて、メリエル!」

 アリスとリリスが駆け寄った。
 中空に浮かぶ千の黒杖をにらみつつ、メリエルとハルトの前に立ちはだかる。

 この状況を見てもなお、自分のことを敵だと断じていないのか。

「なぜ……」

 メリエルは全身を震わせた。

 胸の奥を突き上げるこの感覚は、怒りなのか。
 嘆きなのか。
 悲しみなのか。

 あるいは──。

 そもそも、なぜ二人を見ていると、これほどまでに気持ちが揺らいでしまうのか。

「わたくしの中に……人への想いが芽生えている……!?
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