5 「試してやろう」
文字数 3,847文字
「ここを人間が訪れるのは何十年ぶりか……歓迎するぞ」
水槽の中から竜の声が聞こえた。
猛々しい覇気を感じさせる、声。
同時にその声には、数千年か数万年──あるいは、それ以上の年月を生きてきた者が持つ重々しい響きが感じられた。
「あなたが──古竜なんですか?」
俺はごくりと息を飲んだ。
「俺のことはグリードと呼べばいい。堅苦しい言葉づかいも無用だ」
竜が告げる。
水槽の大きさから考えると、おそらく体長は七~八メティルってところだろう。
竜としては小柄なサイズだ。
だけど圧倒的な存在感は、さっき戦った野生の竜なんかとは比べものにもならない。
「……ほう。お前にはイルファリアの力が宿っているな。そちらの娘は神魔大戦の《遺産》使いか」
水槽の中で、七つの首がたゆたう。
──こいつ、俺が神のスキルを持っていることを一目で見抜いたのか。
「面白そうな人間たちだ。力を求めてきたのか? 太古よりここを訪れる人間たちは皆、同じ目的だからな。この部屋の扉は強き力を持つ者に反応して開くように作ってある」
「──ああ。俺たちは自分の力を磨く術を知るために来た」
グリードの問いにうなずく俺。
「ならば、一人ずつ来るがいい」
竜が楽しげに吠えた。
「長い間、俺はここに封印されている。その退屈を──お前たちなら少しはまぎらわせてくれそうだ」
「来る……とは?」
たずねたのはルカだ。
「俺が作った異空間に、な。竜帝と戦神の剣を持つ娘よ」
水槽の内部が揺れ、無数の気泡が生まれる。
竜が笑ったようだった。
「そして教えてやろう──お前たちの力の使い方を」
言うなり、俺たちの前方が陽炎のように揺らめいた。
空間に黒い穴が開く。
その向こうには、赤い炎のような光が見えた。
「竜魔法 で生み出した異空間だ。穴を通って来るがいい」
と、グリード。
「最初は私が行っていいかしら?」
ルカが真っ先に名乗り出た。
突然の展開にも、臆した様子はまったくない。
「ああ」
「ちがーう!」
うなずいた俺に、なぜかサロメが駄目出しした。
「な、なんだよ、サロメ?」
「『ああ』じゃないでしょ、『ああ』じゃ」
「じゃあ、なんて言えばいいんだ?」
俺がたずねると、サロメは満面の笑みを浮かべ、
「どうせなら、行ってらっしゃいのちゅーでもしてあげなよ」
「するか!」
思わず叫んでしまった。
「えっ、ハルトが、私に……?」
ルカが頬を赤らめて俺を見つめた。
「え、えっと……」
「ほら、期待してるみたいだよ?」
サロメがニヤニヤと笑う。
期待って──。
俺はルカを思わす見つめてしまった。
彼女も同じように俺を見つめている。
淡い桜色をした唇が目に入った。
どくん、と心臓が強烈に波を打つ。
「っ……! あ、ご、ごめんなさい。私、その……」
ルカは慌てた様に両手を振った。
恥ずかしそうに顔を赤らめ、
「──行ってくる、から……っ」
逃げるように駆けだすルカ。
「あー、もう。せっかくのいいところだったのに」
その背中を見ながら、サロメが拗ねたように口を尖らせた。
※
ルカが黒い穴の中に入ると、不思議な場所に出た。
炎を思わせる真紅に彩られた空間だ。
「これが異空間……?」
ルカは周囲を見回す。
人工物は何もなく、赤い空間が地平線まで広がっていた。
緩やかに吹く風が、ショートヘアにした青い髪をなびかせる。
「ああ、俺が作り出した、戦うためだけの場所だ」
目の前が揺らめき、巨大なシルエットが姿を現す。
七つの頭を持つ、竜。
「神魔大戦の折に俺は『奴』に封印されてしまったからな。現世に直接影響を及ぼすことはできん。だがここでなら──疑似的に、本来の力を出せる」
竜──グリードが吠えた。
その体長は七、八メティルといったところか。
全身を覆う鱗は美しい黄金色をしている。
「面白い剣を持っているな。どうやって人間の手に渡ったかは知らんが、神魔大戦の《遺産》か」
グリードがルカの剣に視線を向けた。
「その神魔大戦というのは何?」
「かつて──そう、気が遠くなるほど昔、神と魔が争った大戦争だ。途中からはその戦いに竜も加わった。もちろん、この俺もな」
語り出すグリード。
「中でも歯ごたえがあったのは戦神 だ。奴と俺との戦いは千日に及び、それでもなお決着はつかなかった」
七つの首がいっせいに息を吐き出した。
昔を懐かしむように。
「俺たちの力がぶつかり合い、俺の牙や爪、奴の剣は無数の欠片となって世界に飛び散った。それを元に製造された武具が、お前の剣だ。銘を見ると、おそらく神や竜の素材を元に、ドワーフが仕立てたのだろう」
「戦神竜覇剣 が……?」
ルカは己の剣を抜いた。
ゆるやかなカーブを描く銀の刀身は、周囲の色を映し出して赤く輝いている。
「神と竜の力を宿す剣──だが、お前は竜の力しか解放していないようだな。戦神の力も使えるようにしてやろう」
グリードは七つの首を揺らし、吠えた。
「さあ、向かってくるがいい。稽古をつけてやる」
「……実戦訓練、というわけね」
ルカは剣を構えた。
望むところだった。
この剣に秘められた力の使い方を知るために。
そしてさらなる力を得るために──。
ルカはこの地まで来たのだから。
「『氷 刃 』のルカ・アバスタ、行くわよ」
「古竜 グリード、相手をしよう」
大きく翼を広げた竜帝の視線がルカを捉える。
「──!」
全身がゾクリと粟立った。
強い──。
気配だけで、分かる。
今まで戦ったどんな魔族や魔物よりも圧倒的に。
以前戦った魔将ガイラスヴリム以上に、圧倒的に。
この竜は、すさまじく強い。
「なら、最初から全開で──」
ルカの剣が二本に分かれ、双剣の状態へと変形する。
戦神竜覇剣 、光双瞬滅形態 。
この形態は、ルカのスピードを7.7431倍にまで引き上げる特殊効果を付与してくれる。
真の強敵相手にのみ使う、最終殲滅形態だ。
──『白兵』の『因子』を起動。
同時に、自身のうちに眠る『因子』を目覚めさせるべく、精神集中に入る。
因子──神や魔、竜などの『人ならざる者』の血を引く人間に、稀に発現する超常の力。
人を超えた力を発揮できる『因子持ち』にもさまざまなタイプが存在し、ルカのそれは速さに特化した能力である。
戦神竜覇剣 との相乗効果で、彼女は残像分身を生み出すほどのスピードで駆けることができる。
「絶技、双竜咢 」
静かにつぶやき、ルカは駆け出す。
複雑なステップを刻み、無数のフェイントを織り交ぜて。
その速度は床を蹴るたびに増大し、やがて十六の残像を生み出した。
「これが私の最大戦速。『氷皇輪舞 』」
本体と分身、合わせて十七人のルカが四方から竜を取り囲んだ。
「ほう、亜光速の動きか!」
グリードが楽しげに叫んだ。
「人の身でこれほどの高速を実現するとは。まさしくお前は天才だ」
「終わらせる──」
ルカは冷静に、確実に、グリードの背後に回り、剣を突き出す。
それに連動するように、十六の分身が四方八方から竜の巨躯に剣を突き立て──。
あっさりと跳ね返された。
「くっ……!?」
剣を持つ両手が、痺れる。
思わず取り落としそうになった戦神竜覇剣 を、慌てて握り直した。
「軽いのだ、お前の剣は。並の竜はともかく俺の鱗を斬ることはできん」
グリードがもらした吐息には、落胆と失望の色が混じっていた。
「実に惜しい」
「……!」
かつて魔将ガイラスヴリムにまったく同じことを指摘された。
そして彼女は敗れた。
以来、斬撃の威力や重さを増すために、自分なりに訓練してきた。
だが、未だ届かず──といったところか。
「かつて、剣で俺の鱗を切り裂いた者はただ一人。戦神──ヴィム・フォルスだけだ」
グリードが遠い目をして語る。
「奴は俺との戦いで、戦技の究極ともいえる境地を発揮した」
竜の口調は楽しげだった。
同時に、強敵に対する敬意に満ちていた。
その気持ちは、ルカにも分かる。
自身の強さを引き出し、目覚めさせてくれるような強敵との戦い──。
それは戦士にとって至上の幸福であり喜びだ。
「竜戦士形態 。竜の姿をまといし神へと」
「竜の、姿……」
古竜の言葉を繰り返すルカ。
「すべてはイメージだ。神も、魔も、竜も──あらゆる力はイメージによって顕現し、発揮される。お前の──お前だけが持つ強い心を、その形をイメージしろ」
「私の、心……形……」
強くなりたい。
その象徴。
その姿。
そう、眼前にたたずむ古き竜のように──。
水槽の中から竜の声が聞こえた。
猛々しい覇気を感じさせる、声。
同時にその声には、数千年か数万年──あるいは、それ以上の年月を生きてきた者が持つ重々しい響きが感じられた。
「あなたが──古竜なんですか?」
俺はごくりと息を飲んだ。
「俺のことはグリードと呼べばいい。堅苦しい言葉づかいも無用だ」
竜が告げる。
水槽の大きさから考えると、おそらく体長は七~八メティルってところだろう。
竜としては小柄なサイズだ。
だけど圧倒的な存在感は、さっき戦った野生の竜なんかとは比べものにもならない。
「……ほう。お前にはイルファリアの力が宿っているな。そちらの娘は神魔大戦の《遺産》使いか」
水槽の中で、七つの首がたゆたう。
──こいつ、俺が神のスキルを持っていることを一目で見抜いたのか。
「面白そうな人間たちだ。力を求めてきたのか? 太古よりここを訪れる人間たちは皆、同じ目的だからな。この部屋の扉は強き力を持つ者に反応して開くように作ってある」
「──ああ。俺たちは自分の力を磨く術を知るために来た」
グリードの問いにうなずく俺。
「ならば、一人ずつ来るがいい」
竜が楽しげに吠えた。
「長い間、俺はここに封印されている。その退屈を──お前たちなら少しはまぎらわせてくれそうだ」
「来る……とは?」
たずねたのはルカだ。
「俺が作った異空間に、な。竜帝と戦神の剣を持つ娘よ」
水槽の内部が揺れ、無数の気泡が生まれる。
竜が笑ったようだった。
「そして教えてやろう──お前たちの力の使い方を」
言うなり、俺たちの前方が陽炎のように揺らめいた。
空間に黒い穴が開く。
その向こうには、赤い炎のような光が見えた。
「
と、グリード。
「最初は私が行っていいかしら?」
ルカが真っ先に名乗り出た。
突然の展開にも、臆した様子はまったくない。
「ああ」
「ちがーう!」
うなずいた俺に、なぜかサロメが駄目出しした。
「な、なんだよ、サロメ?」
「『ああ』じゃないでしょ、『ああ』じゃ」
「じゃあ、なんて言えばいいんだ?」
俺がたずねると、サロメは満面の笑みを浮かべ、
「どうせなら、行ってらっしゃいのちゅーでもしてあげなよ」
「するか!」
思わず叫んでしまった。
「えっ、ハルトが、私に……?」
ルカが頬を赤らめて俺を見つめた。
「え、えっと……」
「ほら、期待してるみたいだよ?」
サロメがニヤニヤと笑う。
期待って──。
俺はルカを思わす見つめてしまった。
彼女も同じように俺を見つめている。
淡い桜色をした唇が目に入った。
どくん、と心臓が強烈に波を打つ。
「っ……! あ、ご、ごめんなさい。私、その……」
ルカは慌てた様に両手を振った。
恥ずかしそうに顔を赤らめ、
「──行ってくる、から……っ」
逃げるように駆けだすルカ。
「あー、もう。せっかくのいいところだったのに」
その背中を見ながら、サロメが拗ねたように口を尖らせた。
※
ルカが黒い穴の中に入ると、不思議な場所に出た。
炎を思わせる真紅に彩られた空間だ。
「これが異空間……?」
ルカは周囲を見回す。
人工物は何もなく、赤い空間が地平線まで広がっていた。
緩やかに吹く風が、ショートヘアにした青い髪をなびかせる。
「ああ、俺が作り出した、戦うためだけの場所だ」
目の前が揺らめき、巨大なシルエットが姿を現す。
七つの頭を持つ、竜。
「神魔大戦の折に俺は『奴』に封印されてしまったからな。現世に直接影響を及ぼすことはできん。だがここでなら──疑似的に、本来の力を出せる」
竜──グリードが吠えた。
その体長は七、八メティルといったところか。
全身を覆う鱗は美しい黄金色をしている。
「面白い剣を持っているな。どうやって人間の手に渡ったかは知らんが、神魔大戦の《遺産》か」
グリードがルカの剣に視線を向けた。
「その神魔大戦というのは何?」
「かつて──そう、気が遠くなるほど昔、神と魔が争った大戦争だ。途中からはその戦いに竜も加わった。もちろん、この俺もな」
語り出すグリード。
「中でも歯ごたえがあったのは
七つの首がいっせいに息を吐き出した。
昔を懐かしむように。
「俺たちの力がぶつかり合い、俺の牙や爪、奴の剣は無数の欠片となって世界に飛び散った。それを元に製造された武具が、お前の剣だ。銘を見ると、おそらく神や竜の素材を元に、ドワーフが仕立てたのだろう」
「
ルカは己の剣を抜いた。
ゆるやかなカーブを描く銀の刀身は、周囲の色を映し出して赤く輝いている。
「神と竜の力を宿す剣──だが、お前は竜の力しか解放していないようだな。戦神の力も使えるようにしてやろう」
グリードは七つの首を揺らし、吠えた。
「さあ、向かってくるがいい。稽古をつけてやる」
「……実戦訓練、というわけね」
ルカは剣を構えた。
望むところだった。
この剣に秘められた力の使い方を知るために。
そしてさらなる力を得るために──。
ルカはこの地まで来たのだから。
「『
「
大きく翼を広げた竜帝の視線がルカを捉える。
「──!」
全身がゾクリと粟立った。
強い──。
気配だけで、分かる。
今まで戦ったどんな魔族や魔物よりも圧倒的に。
以前戦った魔将ガイラスヴリム以上に、圧倒的に。
この竜は、すさまじく強い。
「なら、最初から全開で──」
ルカの剣が二本に分かれ、双剣の状態へと変形する。
この形態は、ルカのスピードを7.7431倍にまで引き上げる特殊効果を付与してくれる。
真の強敵相手にのみ使う、最終殲滅形態だ。
──『白兵』の『因子』を起動。
同時に、自身のうちに眠る『因子』を目覚めさせるべく、精神集中に入る。
因子──神や魔、竜などの『人ならざる者』の血を引く人間に、稀に発現する超常の力。
人を超えた力を発揮できる『因子持ち』にもさまざまなタイプが存在し、ルカのそれは速さに特化した能力である。
「絶技、
静かにつぶやき、ルカは駆け出す。
複雑なステップを刻み、無数のフェイントを織り交ぜて。
その速度は床を蹴るたびに増大し、やがて十六の残像を生み出した。
「これが私の最大戦速。『
本体と分身、合わせて十七人のルカが四方から竜を取り囲んだ。
「ほう、亜光速の動きか!」
グリードが楽しげに叫んだ。
「人の身でこれほどの高速を実現するとは。まさしくお前は天才だ」
「終わらせる──」
ルカは冷静に、確実に、グリードの背後に回り、剣を突き出す。
それに連動するように、十六の分身が四方八方から竜の巨躯に剣を突き立て──。
あっさりと跳ね返された。
「くっ……!?」
剣を持つ両手が、痺れる。
思わず取り落としそうになった
「軽いのだ、お前の剣は。並の竜はともかく俺の鱗を斬ることはできん」
グリードがもらした吐息には、落胆と失望の色が混じっていた。
「実に惜しい」
「……!」
かつて魔将ガイラスヴリムにまったく同じことを指摘された。
そして彼女は敗れた。
以来、斬撃の威力や重さを増すために、自分なりに訓練してきた。
だが、未だ届かず──といったところか。
「かつて、剣で俺の鱗を切り裂いた者はただ一人。戦神──ヴィム・フォルスだけだ」
グリードが遠い目をして語る。
「奴は俺との戦いで、戦技の究極ともいえる境地を発揮した」
竜の口調は楽しげだった。
同時に、強敵に対する敬意に満ちていた。
その気持ちは、ルカにも分かる。
自身の強さを引き出し、目覚めさせてくれるような強敵との戦い──。
それは戦士にとって至上の幸福であり喜びだ。
「
「竜の、姿……」
古竜の言葉を繰り返すルカ。
「すべてはイメージだ。神も、魔も、竜も──あらゆる力はイメージによって顕現し、発揮される。お前の──お前だけが持つ強い心を、その形をイメージしろ」
「私の、心……形……」
強くなりたい。
その象徴。
その姿。
そう、眼前にたたずむ古き竜のように──。