4 「魔王様の命令です」
文字数 3,095文字
俺は王都の外れに広がる荒野を進んでいた。
じゃりじゃりとした地面を踏みしめながら、さっきの出来事を思い出す。
暗い気分が、込み上げる。
──俺はリリスたちと別れた後、ギルドで新たな依頼を受けてきた。
で、支度のためにいったん宿に戻ったところで、部屋の中に書き置きを見つけたのだ。
『アリスさんとリリスさんを預かっています。指定された場所に一人で来てください。来ない場合はお二人の命は保証しかねます』
卑劣な、誘拐の文言だった。
「一体、誰なんだ……!」
半ば無意識に怒りの言葉がもれた。
悪戯なのか。
それとも本当にリリスとアリスはさらわれたのか。
心配で胸が張り裂けそうだ。
絶対に、許さない──。
沸騰しそうな怒りに任せて、地面を強く踏む。
「なんだ……!?」
ふいに、足元の感触が変わった。
じゃりじゃりとした砂地から、まるで石造りのような硬い床に。
戸惑う俺の前で、周囲の景色が一変する。
さっきまで荒野地帯を歩いていたはずなのに──。
いつのまにか、薄青いモヤに包まれた平野に変わっていた。
「ようこそ、ハルト・リーヴァさん」
前方の空間が蜃気楼のように歪む。
「……!?」
反射的に身構える俺。
歪んだ空間からにじみ出るようにして、人型のシルエットが現れた。
腰まで届く白銀色の髪。
真紅の瞳。
黒いゴシックロリータのドレスを着た美しい少女だ。
「お前は──」
俺は顔をこわばらせた。
「やはり来たのですね。罠だとは思わなかったのですか? 本当にお人よしですこと」
彼女──メリエルが微笑む。
「もっとも、あなたたちにはそういう甘さがありますわね。それを見越しての作戦でしたが……手紙は読みましたね?」
「……二人はどこだ」
俺はメリエルをにらんだ。
「なんでさらったりなんて──」
「魔王様の命令です」
「っ……!?」
彼女の言葉に、頭の中が真っ白になった。
一瞬、思考が停止する。
相手の言葉の意味が分からない。
「魔王……って」
まさか。
全身から汗がにじむ。
心臓が締めつけられるようなプレッシャー。
目の前の女の子から、異常なまでの威圧感が吹きつけてくる。
まさか、彼女の正体は──。
「『千の魔導』──六魔将メリエル。それが魔界でのわたくしの呼び名ですわ」
ばさり、と音がした。
メリエルの背から、黒い皮膜状の翼が生えたのだ。
「六魔将……だって……!?」
うめく俺。
「少しお話しましょうか」
背中の翼を広げ、ふわり、とメリエルの体が浮き上がった。
「なぜ魔族は人を襲うのだと思いますか?」
中空から俺を見下ろし、たずねる魔将の少女。
「えっ」
突然の問いかけに俺は戸惑う。
「食糧だから、です」
メリエルが静かに告げた。
「そして──同時に、神に対抗するためでもあります」
なんだ、こいつ……?
すぐに襲ってくるのかと思ったけど、なぜか彼女は会話を望んでいるみたいだった。
どういうつもりだ──。
「神の力の源泉は人の信仰です。人の世界が愛や希望に満ちていれば──健やかな世界であればあるほど、神はその力を増します」
「人の、信仰が……?」
「負の感情は魔族の糧に、正しき感情は神の力に。形こそ違えど、人間とは神や魔の餌でありエネルギー源に過ぎない、とも言えますね」
皮肉げに笑うメリエル。
「だからこそ、魔族はこの世界を恐怖に染めるのです。人の世界が負の感情に覆われれば、信仰は弱まり、神の力もまた弱まる──」
「……人の存在が、神や魔のパワーバランスを左右する、ってことか」
戸惑いつつも、俺はつい会話に乗ってしまう。
見知った相手だからなのか。
目の前の少女は魔族なんだ、っていうふうに頭が切り替わらない。
「ご名答です」
メリエルは生徒を褒める教師のような笑顔になった。
「わたくしは人を知ろうと考えました。彼らの恐怖がどこから生まれるのか、どのようにして生じるのか。より効率よく『負の感情』を摂取するために」
なおも話を続ける魔将の少女。
「その中で、魔族がこの世界で生きていくための方策を知り、会得しました。人に対する害意を──負の感情をコントロールするすべを」
メリエルの話はそれなりに興味深い。
だけど、今この場でそんな話をする意味が分からなかった。
戦いの駆け引きなのか。
なんらかの理由で時間を稼いでいるのか。
それとも──。
人間に、興味でもあるのか。
「害意のコントロールは重要です。なぜなら魔族は、この世界に長く留まることができないからです」
そういえば、グリードもそんなことを言っていたな。
「かつての神魔大戦以降、我ら魔族に課せられた忌まわしき『制約』──人間に対する害意を強く持てば持つほど、魔族がこの世界に留まることのできる時間は減り、やがて限界を超えたときにその魔族は消滅します」
と、メリエル。
「ですから、強大な魔族がこの地に降り立ったとしても、多くの人間を滅ぼし、世界中を恐怖に染める──ということは難しいのです。だからこそ、下位や中位の魔族、魔獣が尖兵として散発的にこの地に降り立ち、断続的に人を襲い、殺し、食らい──少しずつ恐怖を浸透させているのです」
言って、メリエルは俺を見据えた。
「魔王様はあなたを──いえ、神の力を持つ者たちを危険視しています。ゆえに、時間制限による消滅のリスクを負ってでも、あなたを始末するよう、わたくしに命じました」
「……俺を殺そうとすれば、お前は消えてしまうんじゃないのか?」
そう、以前に戦った魔将ガイラスヴリムのように。
「普通に戦えば、そうなるでしょうね。あなたたちに害意を抱けば、わたくしたちが人間界に留まることのできるタイムリミットは大幅に減り、最後には己の存在そのものが消滅する──」
メリエルが小さなため息をついた。
「それを回避するために、魔王様は特殊な『場』を用意してくださいました。あなたをここに招いたのはそのためです」
「特殊な……場?」
「消滅のリスクがなくなるわけではありませんが、この場では大幅に緩和されます。ここでなら思う存分に戦うことが可能でしょう──」
ばさり、と翼をはためかせ、メリエルがさらに上昇する。
俺の頭上──十メティルほどの場所まで飛び、静止した。
「わざわざここまで準備したなら本気ってことだよな」
俺は奥歯を噛みしめる。
「リリスもアリスも、お前のことを友だちだと思っていたはずだ」
高位魔族に対して、そんなことを言っても仕方がないのは分かっている。
甘すぎる考えだってことも。
だけど、言わずにはいられない。
裏切られたリリスやアリスの悲しみを想像したら、言わずにはいられない!
「なのに、お前は裏切るのか。踏みにじるのか──」
「魔族が人の情に流されるとでも思いましたか?」
メリエルの瞳は冷たい。
冷たすぎる。
「知ってるぞ。お前は嘘が極端に下手だ、って」
俺はもう一度メリエルを見据えた。
「その態度──リリスたちを裏切った罪悪感も、何もないってことだな」
「……くどいですわよ」
メリエルの頬がぴくりと動く。
だけど、それだけだった。
やるしか、ないのか──。
じゃりじゃりとした地面を踏みしめながら、さっきの出来事を思い出す。
暗い気分が、込み上げる。
──俺はリリスたちと別れた後、ギルドで新たな依頼を受けてきた。
で、支度のためにいったん宿に戻ったところで、部屋の中に書き置きを見つけたのだ。
『アリスさんとリリスさんを預かっています。指定された場所に一人で来てください。来ない場合はお二人の命は保証しかねます』
卑劣な、誘拐の文言だった。
「一体、誰なんだ……!」
半ば無意識に怒りの言葉がもれた。
悪戯なのか。
それとも本当にリリスとアリスはさらわれたのか。
心配で胸が張り裂けそうだ。
絶対に、許さない──。
沸騰しそうな怒りに任せて、地面を強く踏む。
「なんだ……!?」
ふいに、足元の感触が変わった。
じゃりじゃりとした砂地から、まるで石造りのような硬い床に。
戸惑う俺の前で、周囲の景色が一変する。
さっきまで荒野地帯を歩いていたはずなのに──。
いつのまにか、薄青いモヤに包まれた平野に変わっていた。
「ようこそ、ハルト・リーヴァさん」
前方の空間が蜃気楼のように歪む。
「……!?」
反射的に身構える俺。
歪んだ空間からにじみ出るようにして、人型のシルエットが現れた。
腰まで届く白銀色の髪。
真紅の瞳。
黒いゴシックロリータのドレスを着た美しい少女だ。
「お前は──」
俺は顔をこわばらせた。
「やはり来たのですね。罠だとは思わなかったのですか? 本当にお人よしですこと」
彼女──メリエルが微笑む。
「もっとも、あなたたちにはそういう甘さがありますわね。それを見越しての作戦でしたが……手紙は読みましたね?」
「……二人はどこだ」
俺はメリエルをにらんだ。
「なんでさらったりなんて──」
「魔王様の命令です」
「っ……!?」
彼女の言葉に、頭の中が真っ白になった。
一瞬、思考が停止する。
相手の言葉の意味が分からない。
「魔王……って」
まさか。
全身から汗がにじむ。
心臓が締めつけられるようなプレッシャー。
目の前の女の子から、異常なまでの威圧感が吹きつけてくる。
まさか、彼女の正体は──。
「『千の魔導』──六魔将メリエル。それが魔界でのわたくしの呼び名ですわ」
ばさり、と音がした。
メリエルの背から、黒い皮膜状の翼が生えたのだ。
「六魔将……だって……!?」
うめく俺。
「少しお話しましょうか」
背中の翼を広げ、ふわり、とメリエルの体が浮き上がった。
「なぜ魔族は人を襲うのだと思いますか?」
中空から俺を見下ろし、たずねる魔将の少女。
「えっ」
突然の問いかけに俺は戸惑う。
「食糧だから、です」
メリエルが静かに告げた。
「そして──同時に、神に対抗するためでもあります」
なんだ、こいつ……?
すぐに襲ってくるのかと思ったけど、なぜか彼女は会話を望んでいるみたいだった。
どういうつもりだ──。
「神の力の源泉は人の信仰です。人の世界が愛や希望に満ちていれば──健やかな世界であればあるほど、神はその力を増します」
「人の、信仰が……?」
「負の感情は魔族の糧に、正しき感情は神の力に。形こそ違えど、人間とは神や魔の餌でありエネルギー源に過ぎない、とも言えますね」
皮肉げに笑うメリエル。
「だからこそ、魔族はこの世界を恐怖に染めるのです。人の世界が負の感情に覆われれば、信仰は弱まり、神の力もまた弱まる──」
「……人の存在が、神や魔のパワーバランスを左右する、ってことか」
戸惑いつつも、俺はつい会話に乗ってしまう。
見知った相手だからなのか。
目の前の少女は魔族なんだ、っていうふうに頭が切り替わらない。
「ご名答です」
メリエルは生徒を褒める教師のような笑顔になった。
「わたくしは人を知ろうと考えました。彼らの恐怖がどこから生まれるのか、どのようにして生じるのか。より効率よく『負の感情』を摂取するために」
なおも話を続ける魔将の少女。
「その中で、魔族がこの世界で生きていくための方策を知り、会得しました。人に対する害意を──負の感情をコントロールするすべを」
メリエルの話はそれなりに興味深い。
だけど、今この場でそんな話をする意味が分からなかった。
戦いの駆け引きなのか。
なんらかの理由で時間を稼いでいるのか。
それとも──。
人間に、興味でもあるのか。
「害意のコントロールは重要です。なぜなら魔族は、この世界に長く留まることができないからです」
そういえば、グリードもそんなことを言っていたな。
「かつての神魔大戦以降、我ら魔族に課せられた忌まわしき『制約』──人間に対する害意を強く持てば持つほど、魔族がこの世界に留まることのできる時間は減り、やがて限界を超えたときにその魔族は消滅します」
と、メリエル。
「ですから、強大な魔族がこの地に降り立ったとしても、多くの人間を滅ぼし、世界中を恐怖に染める──ということは難しいのです。だからこそ、下位や中位の魔族、魔獣が尖兵として散発的にこの地に降り立ち、断続的に人を襲い、殺し、食らい──少しずつ恐怖を浸透させているのです」
言って、メリエルは俺を見据えた。
「魔王様はあなたを──いえ、神の力を持つ者たちを危険視しています。ゆえに、時間制限による消滅のリスクを負ってでも、あなたを始末するよう、わたくしに命じました」
「……俺を殺そうとすれば、お前は消えてしまうんじゃないのか?」
そう、以前に戦った魔将ガイラスヴリムのように。
「普通に戦えば、そうなるでしょうね。あなたたちに害意を抱けば、わたくしたちが人間界に留まることのできるタイムリミットは大幅に減り、最後には己の存在そのものが消滅する──」
メリエルが小さなため息をついた。
「それを回避するために、魔王様は特殊な『場』を用意してくださいました。あなたをここに招いたのはそのためです」
「特殊な……場?」
「消滅のリスクがなくなるわけではありませんが、この場では大幅に緩和されます。ここでなら思う存分に戦うことが可能でしょう──」
ばさり、と翼をはためかせ、メリエルがさらに上昇する。
俺の頭上──十メティルほどの場所まで飛び、静止した。
「わざわざここまで準備したなら本気ってことだよな」
俺は奥歯を噛みしめる。
「リリスもアリスも、お前のことを友だちだと思っていたはずだ」
高位魔族に対して、そんなことを言っても仕方がないのは分かっている。
甘すぎる考えだってことも。
だけど、言わずにはいられない。
裏切られたリリスやアリスの悲しみを想像したら、言わずにはいられない!
「なのに、お前は裏切るのか。踏みにじるのか──」
「魔族が人の情に流されるとでも思いましたか?」
メリエルの瞳は冷たい。
冷たすぎる。
「知ってるぞ。お前は嘘が極端に下手だ、って」
俺はもう一度メリエルを見据えた。
「その態度──リリスたちを裏切った罪悪感も、何もないってことだな」
「……くどいですわよ」
メリエルの頬がぴくりと動く。
だけど、それだけだった。
やるしか、ないのか──。