6 「なぜ神はお前たちに」

文字数 3,304文字

 そして、しばらくの時が経ち──。

 真紅の異空間に、荒い息が響く。

「……見事だ」

 グリードがつぶやいた。
 その胴体部の鱗が深々と裂けている。

「はあ、はあ、はあ……」

 対するルカは、乱れた呼吸を整えている最中だ。

 先ほどの戦い──竜にとっては訓練試合程度のことなのだろうが──で、文字通り全身全霊の攻撃を見舞ったのである。

 今までとは違い、その一撃は跳ね返されることなくグリードに通じた。

「剣が……熱い……!」

 ルカは自身の剣を見つめ、つぶやく。

 いや、剣だけではない。

 体中の血が熱い。
 沸騰するかのようだ。

 新たな、力。

 まだ自在に引き出せるわけではない。
 だが、今までとはまったく異なる力を──その片鱗を、ルカは得た。

「きっかけはつかんだようだな。後はお前自身の手で昇華し、磨き上げるがいい」

 グリードが満足げにうなる。

「戦神の力を使いこなせば、お前はさらなる強さを得るだろう。人の身で──あるいは天使や魔将とすら渡り合えるようになるかもしれんな」

 グリードの瞳は、優しかった。
 まるで弟子の成長を見守る師匠のように。

「先ほどの感じを、忘れるな。ルカ・アバスタ──強き者よ」

「感謝するわ、古き竜」

 ルカは最大限の敬意を込めて、グリードに一礼した。

    ※

 ルカが黒い穴の向こうに行ってから、すでに一時間以上が経っていた。

 水槽の中のグリードは沈黙したまま。
 何度か声をかけたんだけど、反応はなかった。

 まるで意識が別の場所へ飛んでいるかのように……。

「大丈夫かな、ルカ……」

 だんだん心配になってくる。

「あの子は強いから。へーきへーき」

 あっけらかんと笑うサロメ。

「ほら、帰ってきたよ」

 と、黒い穴の向こうから、ルカがふたたび姿を現した。

「待たせたわね。グリードに鍛えてもらったわ」

 告げるルカの声はいつも通りのクールさの中に、熱さや充実感みたいなものがにじんでいた。

 きっと何かをつかんだんだろう。
 彼女が満足できるだけの、何かを。

 とりあえずは一安心だ。
 と、

「はいはーい、次はボクだねっ」

 サロメがひょこっと手を上げる。

「あれ、サロメも行くのか?」

 てっきり彼女は遺跡探索の手伝いのために来てくれたのかと思っていたのだ。

 ルカは神や竜の力に関係のある剣を持っているらしいし、俺は神のスキルを持ってるけど……サロメはそういうの、ないよな?

「……何、ボクだけ仲間外れにするの?」

 ジト目で俺をにらむサロメ。

「そういうわけじゃないけど……意外だったから」

「ふん、因子持ちか」

 水槽の中からグリードの声が響いた。

「だが神魔大戦の《遺産》を持つでもなく、神に選ばれし者でもなく──」

「ボクにはボクの求めるものがあるんだ。退屈はさせないよ?」

「ほう? いいだろう、入れ」

 古竜は興味を引かれたのか、楽しげに笑った。



 ──で、しばらくして。

「ありがとう。知りたいことはだいたい分かったわ」

 戻ってきたサロメは、どこか雰囲気が違っていた。

 いつもより大人びて、妖艶で──そして氷のように冷然とした雰囲気。
 これは──前にも一度見たことがある。

「おかげで自覚できた。()の根源を。ありがとう、グリード」

「ふん、俺は俺の楽しみや好奇心を満たしただけだ。礼などいらん」

 笑うグリード。

「では、最後はお前だな。入るがいい」

 促され、俺は黒い穴に飛びこんだ。



「ここは──」

 穴を通り抜けると、一面真っ赤な世界が姿を現した。

 まるで炎を発しているような色の大気。
 色合いは違うけど、どことなく俺の意識の中の世界(インナースペース)に似た雰囲気である。

 目の前には、七つの首を持った竜がたたずんでいた。

「案ずるな。ここは肉と魂の狭間の世界──簡単に言えば、異空間だ」

 古竜が説明する。

 ──ここはグリードが魔法で作り出した特殊な空間だそうだ。
 俺の前にいるのも、グリード本体ではなく分身みたいなものだとか。

「お前がその力を使いこなすためには、より深く知らなければならん。神や魔、竜──超越存在たちのことを。根源を」

 グリードが語り出す。

「我らはかつて戦い、その結末は痛み分けに終わった。勝者もなく敗者もない。神も魔も竜もそれぞれに制約を負い、弱体化した……」

「制約……?」

「我らが戦い続ければ、やがて世界のすべては灰燼と化すだろう。そうさせないための禁則事項──忌々しい縛鎖だ」

 と、グリード。

「たとえば、神は人の世界に直接姿を現すことはできん。人に何かを与えることも著しく制限されている。お前たち七人のスキル保持者(ホルダー)はかなり例外的な存在といっていいだろう」

「たとえば、魔族は人の世界に現れることも、そして留まることも大きな制限を受ける。その制限を超えれば、最悪の場合は消滅する」

 以前に戦ったガイラスヴリムのことを思い出す。
 俺たちとの死闘の末に、消滅していった魔将。

 あれは──そういうことだったのか。

 グリードの話のすべては理解できないけど、ある程度のイメージは伝わる。

「そして竜は、この場から動けぬ。神や魔を屠るほどの力を持つがゆえに、実質的に戦いを禁じられているような有様。実に口惜しい」

 と、グリード。

「なぜ神はお前たちにスキルを与えたのか──その真意は分からん。だが想像はつく。停滞したこの状況を打破するためには、制約を受けない唯一の存在──人間の力を利用しようと考えているのだろう」

「人間の、力……」

「我らにはない『心の力』──お前たちに宿りし神の力を変容させ、新たな領域に導き、そして制約を超えることも、あるいは……」

 グリードが自らの考えを整理するようにつぶやく。

「神はお前に何を為せと言っていた?」

「いや、何をしてもいいって、確か……」

 俺はスキルをもらったときの記憶をたどる。

 突然現れた白い空間。
 美しい女神さま。
 そして『絶対にダメージを受けないスキルを与えましょう』と言われて──。

 その辺りの状況をかいつまんで説明した。

「……ふむ、表向きは好きにさせるわけか。いわば神の遊戯──だが、人が人を超えた力を持てば、行きつく先は決まっている」

「行きつく先……?」

「闘争だ。他者をねじ伏せ、従え、支配し、殺す──人とは、そういう生き物だからな」

 そんなことはない、と思う。

 俺はもっと違う方向でこのスキルを使いたい。
 以前に出会ったジャックさんだって、同じような感じだった。

 殺戮を楽しんでいたグレゴリオや、自分の身を守るためだけにスキルを使い、人を傷付けることも辞さないエレクトラは違うかもしれないけれど。

 そして、まだ出会っていない他のスキル持ちも──。

「お前たちの力は、他の保持者(ホルダー)と戦うたびに強くなる。お前たちがいずれ戦うことを見越して、そういう仕組みにしたのだろう。『自分の好きなように力を使え』と言いつつも、神々には分かっているのだ。お前たちがいずれ戦うと」

 と、グリード。

「やがて戦いの果てに、強くなっていくと。おそらく最後に残った保持者(ホルダー)は、あるいは神を超えるほどの力を──」

 俺は竜の言葉を黙って聞いていた。

 人を護るために強くなりたいとは思うけれど。
 力そのものを求めて、強くなりたいとは思わない。

「まあ、奴らの策動など興味はない。俺が惹かれるのは、お前自身の力だ」

 グリードが俺をにらむ。

「戦いを封じられ、生きながらにして死んでいる俺を──ふたたび甦らせてみせよ。俺にお前の力のすべてを見せてみろ、少年」



 そして──古竜の試練が始まった。

 俺が、新たな領域へ踏み出すための試練が。
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