11 「いずれ」

文字数 3,046文字

癒しの大地(アーダキュアリー)!」

 呪文とともに青い輝きがメリエルを包みこむ。

 ──アリスによる治癒は続いていた。
 だけど治癒呪文の輝きは、一瞬メリエルの全身を覆ったものの──すぐに無数の光の欠片となって砕け散ってしまう。

 こうやって試すのは、さっきからもう何度目だろう。
 アリスが唱えた何種類もの治癒呪文は、いずれもほとんど一瞬しか効果がなく、すぐに消えてしまうのだ。

 俺たちは言葉もなく、その様子を見つめていた。

 見つめることしか、できなかった。

 魔将ならではの生命力でかろうじて生きているけど、徐々に──確実に弱っていくメリエルの姿を。

「だめです、これ以上は回復しません……」

 アリスが泣きそうな顔で首を左右に振った。

「そんな……」

 リリスが呆然とした顔でうめく。

「さっき使ったのって、確か回復系の最上級呪文よね? それでも駄目なの?」

「最初の数秒くらいで治癒効果が消えてしまうんです……他の呪文も、何度やっても……」

 アリスは耐えきれなくなったのか、嗚咽をもらし始めた。

「泣かない……で……くださ……い……」

 メリエルが蒼白な顔でつぶやく。

「ザレアの鎌は……生命力そのものにダメージを……与え、ます……魔法で治癒するにも……限界……が……」

 ──俺たちはすでにリリスから事情を聞いていた。

 魔将ザレアに殺されそうになったリリスとアリスを、メリエルが守ってくれたこと。
 ザレアの攻撃を受け、メリエルが瀕死の重傷を負ったこと。
 魔将の力を受け継いだリリスとアリスが、ザレアを倒したこと。

 そして、メリエルを魔法で治癒しようとしているが、応急処置以上の効果を得られないことも──。

 それでもアリスは諦めない。

「お願いです……治って……お願い……お願い……っ……!」

 何度も何度も回復呪文をかける。

 だけど、結果は同じだった。

 メリエルの顔はますます青ざめ、生気を失っていく。
 応急処置程度では、もはや瀕死の彼女の体がもたないんだろう。

 このままでは、メリエルは死ぬ──。

 ……いや、待てよ。

「ジャックさん、魔法を『強化』することはできませんか?」

 俺はふと思いついてたずねた。

「ん?」

「リリスやアリスの魔法はパワーアップしているみたいです。それをさらにジャックさんの能力で強めれば──」

 怪訝そうに振り返ったジャックさんに、俺は重ねて説明する。
 すでに戦いを終え、彼の姿は例の異形ではなく、人のそれに戻っていた。

「もしかしたらメリエルを助けられるんじゃないか、って」

「だが……魔族を助けるのか?」

 ジャックさんが眉を寄せた。

「魔族は人を襲う。殺す……そんな奴らを……」

 バチィッ、と音を立てて、ジャックさんの周囲で赤い火花が散った。

 ん、なんだ……?

「魔族といっても、メリエルは……リリスやアリスを守ってくれたんです。それを見捨てたくはありません」

 一瞬訝りつつも、俺は答える。

「……まあ、いい」

 少し間を置いて、ジャックさんはうなずいた。

「その治癒魔法を『強化』すればいいんだな?」

「お願いします」

 俺は重ねて頼む。

 ジャックさんはどこか気が進まなさそうな顔をしつつも、うなずいてくれた。



癒しの大地(アーダキュアリー)!」

 アリスの治癒呪文をジャックさんがスキルで『強化』する。
 先ほどよりも、はるかに鮮烈な輝きが周囲に広がった。

「ん……っ」

 メリエルが小さくうめき、びくんと体を震わせる。

「メリエル──」

 リリスが息を飲んだ。

 心なしか、メリエルの顔色がよくなっているような……。

 アリスがさらに二度、三度と治癒呪文を唱え、ジャックさんが『強化』する。
 そのたびにメリエルの頬に赤みが差し、苦しげだった息も次第に整ってきた。

 間違いない、治癒呪文が効いている──。

「ううっ……」

 魔将の少女はゆっくりと上体を起こした。

「メリエル、大丈夫?」

 リリスが心配そうに声をかける。

「ありがとうございます……おかげで随分楽になりました……最低限の生命維持だけは、なんとかなりそうですね……」

 弱々しい息をもらしながら、メリエルが微笑む。

 よかった、上手くいったみたいだ。

「ただ即座に完全回復は、さすがに不可能です……『死神』の魔将の攻撃ですから……」

 と、メリエル。

「後は長い時間をかけて、少しずつ自己修復していくしかありません……いわば、冬眠のような状態で……」

「冬眠……?」

「おそらく十年くらいはかかるかと……その杖は、わたくしの分身であり魔力の結晶……その中に入り、体を癒すことにします……」

 メリエルがリリスたちの持つ杖を見て、言った。

「ただ、その間は無防備ですので、魔族に狙われないように杖をどこかに隠してもらえると助かります……」

「……隠しても、もし見つかったら?」

 リリスが険しい表情でたずねる。

「死ぬでしょうね……わたくしは抵抗できません」

「じゃあ、あたしたちが杖を持ってる」

 リリスは即座に提案した。

「ええ、私も」

 うなずくアリス。

「い、いけません……!」

 メリエルは慌てたように首を左右に振った。

「魔将の杖を手にしていたら、あなたたちまで狙われます。わたくしは……魔王様の命令に背いた……裏切り者ですから……」

「そのときは返り討ちにするだけだよ」

 リリスが勝気な笑身を浮かべた。

「メリエルも見てたでしょ。あの魔将を倒すところ」

「強くなったんですよ、私たち。相手が魔王でも魔将でもやっつけちゃいます」

 軽口めいた口調は、きっとメリエルを安心させるためだろう。

「あなたが回復するまで、あたしたちが守ってみせる」

「そうです。友だちを見捨てるわけないです」

 リリスとアリスが微笑んだ。

「ですが……それは……」

 メリエルがうつむく。

「やはり、だめ……です。そもそも、わたくしは……あなたたちを騙していましたし、危険な目にも……しかも魔族なのに、どうして……」

「でも、守ってくれた」

「ええ、私たちも同じことをしたいだけです」

 リリスとアリスがメリエルを見つめた。

「だいたい、友だちを守るのに特別な理由なんていらないでしょ」

「友だち……」

 二人の言葉を噛みしめるようにつぶやくメリエル。

「それに、あなたはもう冬眠しちゃうんだから──嫌だって言っても、あたしたちは勝手に守っちゃうからね」

「ですぅ」

 二人は悪戯っぽく笑った。

「だから……今は何も考えずに、ゆっくり休んで」

「約束ですからね。また元気な姿を見せてください」

 二人は微笑みを浮かべたまま、それ以上何も言わない。

「……分かりました」

 諦めたのか。
 あるいは反対したところで、二人が意志を曲げるわけがないと悟ったのか。

 メリエルは小さく息をつく。

「ありがとう、二人とも……」

 絞り出すようなその声は、震えていた。
 伝説の六魔将だとは信じられないほどに──か弱く、震えていた。

「いずれ、また……それまで、おやすみなさい……」

 そして、メリエルは瞳からひと筋の涙をこぼした。
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