第三十一話 護栄の予言

文字数 1,918文字

 護栄の質問攻めのおかげで食事は延々とかかり、気が付けば一時間ばかりが経過していた。
 喋りつかれたのか、立珂はうとうとし始めていた。

「あ、もう眠いな。俺ちょっと水汲んでくるから立珂見てて」
「ああ」
「手伝いますよ」
「有難う。天藍、立珂の布団出してやって。そこの棚の一番下」
「了解」

 家の中に水道もあるが、立珂が嫌がるので水は全て川から汲んで使っている。
 夏場は立珂が汗をかくことが多いので、水は常時部屋に置いておくことにしている。今日は少し蒸し暑いので多めに水があった方が良さそうでだった。
 薄珂は両手に桶を持ち、護栄にも二つ持ってもらった。

「大変ですね」
「そんなことないよ。里よりずっと楽」

 薄珂と立珂は森で育ち、その後獣人の里で生活をした。里で暮らせたのは有難かったが、困ったこともあった。それは家の中に壁があることだ。
 森では天幕だったので視界を隔てるものがない。だから常にお互いが視界にいて、離れたことなど一度もなかった。だが壁があると当然ながら姿が確認できなくなる。この頃はまだ一人で歩くこともままならず、大怪我をした直後ということもあり非常に困ったのだ。
 しかし今の家は広いひと間で、壁で隔てられているのは立珂のお着替え部屋だけだ。食事も料理も寝るのも、何をしててもお互いが視界にいるというのは何よりも安心できることだった。
 早く立珂を抱っこしに戻ろうと、薄珂は桶を一つ川に浸した。すると護栄がことんと桶を川岸に置いた。

「護栄様?」
「薄珂殿。私のところで働いてみませんか」
「やだよ。立珂の傍を離れなきゃいけないのは駄目」
「出勤は二人一緒で構いません。仕事も一日中ではなく、私が執務室にいる数時間だけでいい」
「え?」
「給与は有期契約職員と同等分を時給換算で出します。それならどうです?」

 護栄は真面目な顔をしていた。
 てっきり冗談でも言い始めたのだろうと思っていたが、その表情は真剣そのものだ。

「……えーっと、何で俺?」
「偶然とは思えないからです」
「なにが?」

 護栄にじいっと見つめられ、何もしていないのに後ろめたい気持ちになってしまう。

「政治が偶然うまくいくことは無い。偶然に見えたのであれば、それは必然に導く者の渦に気付けていないだけ」
「何それ」
「莉雹殿の教えです。あの方がいなければ私は宮廷にいられなかったでしょう」
「莉雹様が先生だったんだね。何か納得」
「私よりずっと厳しい方です。その莉雹殿も気付き始めている」
「何に?」

 護栄はくすっと笑うと、しゃがんで桶を川に浸した。細い腕をしているが、片手で軽々と水を組み上げるのを見るに実は結構な力持ちなのかもしれない。
 意図が読めず、薄珂は護栄を見張るがその表情からは感情が読み取れなかった。

「きっとあなたも座して人を狂わせる時が来る」
「どういう意味?」
「いずれ分かります。その時は私の元へ来ると良い」

 何のこと、そう聞こうとしたけれど、かちゃりと家の扉が開いた。ひょこりと顔を覗かせたのは眠そうに目を擦る立珂だった。

「私がやっておきます。行っておあげなさい」
「……うん。有難う」

 今のうちに話を聞いておいた方が良いような気はしたが、これ以上聞くのが怖い気もした。
 逃げるように立珂の元へ走って抱き上げる。

「今日はどうやって寝る?」
「ぎゅーってしてほしい……」
「ぎゅーだな」
「ぎゅー……」

 立珂は抱き上げられた瞬間にかくんと眠りに落ちた。けれど両手はしっかりと薄珂の首に回してしがみ付いている。
 起こさないようにそっと中に入ると、天藍が布団を敷いていくれていた。
 立珂だけ降ろそうかと思ったが、がっちりと掴まっているので離れそうにない。天藍はくすっと笑い、そのまま横になれ、と目で合図をしてくれる。

(いっぱい考えて疲れたんだな)

 護栄の話は立珂には少し難しい。使う単語は聞いたことのないものが多く、早口だから聞き取るので精一杯のようだった。
 そんな護栄の質問攻めに答えたので、相当疲れたに違いない。ぷうぷうといつもの愛らしい寝息を立て、口元はふよふよと緩やかに揺れている。夢の中で何か食べているのかもしれない。
 この可愛い寝顔を見て眠るのが薄珂が一日のうちで一番好きな時間だ。幸せそうな立珂の顔は薄珂を幸せにしてくれる。
 けれど、薄珂の胸の奥に護栄の言葉が引っかかっていた。

『きっとあなたも座して人を狂わせる時が来る』

 それは護栄を称えた言葉だ。己は動かず、言葉を紡ぐだけで国を一つひっくり返した。

(俺が護栄様のように……?)

 薄珂は立珂を守り、幸せにする力が欲しいと思っている。
 けれどそれを手にした時その言葉で称えられることが望むところかどうか、薄珂にはまだ分からなかった。
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