第十五話 崩壊の鐘が鳴る

文字数 4,401文字

 謹慎を言い付けられた護栄は、業務にまつわる一切を置いて身一つで自室を出た。天藍のために使う以外で必要なものなど何一つ存在しなかった。
 少し前なら薄珂と立珂を憎んだだろう。しかし今は罪の意識だけでなく、自分が有翼人を全く理解していないことを悔やんだ。
 せめて一言謝りたいと思ったけれど、天藍ですら面会を許されないのに会ってもらえるわけがない。仮に立珂が良しと言っても、全身全霊で弟を守る薄珂が許しはしないだろう。
 だがせめて慶真に伝言を頼み、彼らに伝えられる状態になったら伝えて貰おうと兄弟に与えられた離宮へと向かった。
 しかし中へ入ることはできない。手紙を挟んでおけば見てくれるだろうかと悩んでいると、門の前にいるはずの無い人間がいた。

「何をしているんです」
「ご、護栄殿!」
「あなたがたは愛憐姫の側近ですね。ここは立ち入り禁止で――」

 妙だ、と護栄は眉を顰めた。
 側近である彼らは愛憐の傍を離れないはずだ。薄珂が立珂を守るように、決して傍を離れず守るのが職務。けれどここに愛憐の姿はない。そして彼らはやけにおろおろとしていて、見るからに何か問題がある様子だった。

「……まさか入ったのですか?」
「も、申し訳ございません! お止め申し上げたのですが……!」
「なんということを……!」

 謹慎とはいえこれは天藍に報告が必要だ。急いで宮廷へ戻らなければ――と思った時だった。がしゃんと何かが壊れるような大きな音がした。ぎゃあぎゃあと何か言い争いも聞こえてくる。

「何ですこの騒ぎは! 姫は中で何を!?」
「そ、それが、ただ、退屈だから散歩をと」

 護栄は立ち入り禁止の札を睨んだ。これは御璽という犯すことの許されない勅命だ。無視して入るわけにはいかない。
 しかしその時、薄珂が立珂の名を叫ぶ声が聴こえてきた。弟を守る時はいつも必死だったが、こんな悲痛な叫びは聞いた事が無かった。

(立珂殿に何かあったのか)

 護栄は立ち入り禁止の札をもう一度にらんだ。
 しかしもう迷うことはなかった。護栄は札を横目に通り過ぎ走り出す。しかし愛憐の側近はぎょっと目をひん剥いて護栄の手を掴んだ。

「馬鹿なことはお止め下さい! 貴方まで罰を受けることになります!」
「馬鹿はどちらです! これは立珂殿を守るために建てられた札! その立珂殿を守る行動を殿下が罰するわけがないでしょう!」
「し、しかし!」
「命と命令、どちらが大切かも分かりませんか!」

 ――どの口が言ってるんだ。

 護栄が立珂にしたことを知ればきっとそう言うだろう。
 しかし護栄はもう迷わなかった。

「罰が恐ろしいならそこにいなさい。ですが誰の行動がどんな罰になるかは考えた方がよいでしょうね」
「つ、罪とは、それは」

 護栄は顔を真っ青にする愛憐の側近を捨てて離宮へ入った。するとそこは思わず口を塞ぐ惨状だった。
 立珂は血を流し倒れて薄珂は泣き叫び、愛憐の服にも立珂の血が飛び散っている。床には引き裂かれ血に待った立珂が大切にしていた服が散らばっていた。
 想像もしていなかった状況に、護栄は愛憐を跳ねのけ薄珂と立珂に駆け寄った。

「なんということだ……」
「護栄様、なんでここに」

 薄珂はかつて弟を傷付けた男の登場に恐れたのか、弟をぎゅっと抱きしめて身を引いた。
 同時に自分のしたことがどれだけ愚かで恐ろしいことだったのかも理解した。そして、護栄は二人を守らなくてはと背に庇った。

「姫。こんなことは許されませんよ」
「はあ? 護栄殿ともあろう方が何を言ってるのかしら。ちょうど良かったですわ。その子達を捨てていらっしゃいませ」
「何ですと?」
「捨てなさい。天藍様の邪魔になるだけですわ」
「まさかそれで立珂殿を傷つけたのですか」
「掴みかかってきたから振りほどいただけ。勝手に転んだのよ。足腰弱いんですって?」

 この状況でよくもそんな侮辱を言えたものだ。
 しかし護栄も薄珂と立珂を追い出そうとしていた。これと同じことをしていたのだと、ようやく己の愚かさを理解した。
 そしてその愚かさを薄珂は許さなかった。横たわる立珂から離れ愛憐を殴りに行ったのだ。

「薄珂殿! お止しなさい!」
「放せ! こいつ! こいつが!」
「落ち着きなさい!」

 ぱしんっ、と鋭い音が響いた。
 護栄が薄珂の頬を叩いたのだ。

「己の復讐心を満たすことと立珂殿を守ることのどちらが大切なんです! 今すべきことは何ですか!」

 おそらく護栄から立珂を想う言葉が出るなど予想もしていなかったのだろう。薄珂は目をぱちくりとして立ち尽くしていた。

「あなたは立珂殿から離れてはいけません。抱いておあげなさい」
「う、うん……」
「芳明先生を呼びましょう。慶都殿! いませんか!」

 騒ぎを聞きつけた慶都一家がばたばたと走ってきた。
 大人たちは惨状に驚き思わず足を止めたが、慶都はまっすぐ立珂に駆け寄った。

「立珂! どうしたんだ!」 
「孔雀殿へ医務局へ来るよう伝えて下さい。そのあと芳明先生の診療所へ行き『立珂殿が愛憐姫に怪我をさせられたので入院の準備をして下さい』と伝えてください」
「分かった! 立珂! 待ってろ!」
「奥方様は二人を医務局へ。慶真殿は芳明先生をお連れして下さい。私は殿下に知らせてまいります」
「分かりました。あなた、急いで」
「ああ。二人を頼んだよ」

 薄珂と慶都一家が行動に移り、残ったのは愛憐と護栄の二人だけだった。

 そして今になってようやく愛憐の側近が追いかけてきた。しかし愛憐を守ろうと立ちはだかることすらせず、ただ後ろで顔を青くしている。
 愛憐は部下の様子に苛立ったのかこれ見よがしなため息を吐いて足を踏み鳴らした。

「護栄殿! どういうつもりなの! 私に逆らうのですか!」
「私の主は天藍様です。あなたに逆らえないのは今ようやく駆けつけたそこの方々だけです」

 びくりと側近の青年たちは震えあがった。姫を守るべく飛び出すこともしない。姫に対して不敬だとどなるくらいはできるだろうに、ただ震えている。

「皆様はこの国の法についてはご存知ですか」
「知るわけないでしょう。私は明恭の皇女です」
「では滞在中はあなた方も我が国の法に従い処罰できることは」
「処罰? 皇女である私に何を馬鹿なことを」

 愛憐は護衛の言葉を鼻で笑った。しかしさすがにまずいと思ったのか、ようやく側近の一人が愛憐の前に立ち頭を下げる。

「申し訳ございません! すぐに帰国し陛下から指示を頂戴してまいります!」
「いいえ。帰国は許しません。殿下、もしくは来賓を害する犯罪があった場合は御璽をもって緊急裁判が執り行われます」
「裁判? 私は皇女ですよ」

 いつまで同じことを繰り返すのだろう。皇女皇女とそれしか言わない少女にいら立ちが募った。
 そして皇女を守ることすら躊躇った、護栄と同じく側近という立場にいる青年にはそれ以上の怒りを覚えた。彼らが務めを果たしていたならこんな事にはならなかった。時には憎まれてでも主を守るべきなのだ。
 護栄はその判断を誤ったばかりだが、それでも彼らの行動がいかに恥ずべきことかは分かる。

「誰の行動がどんな罰になるかは分かりましたか」
「そ、それは……」
「さあ、罰を頂きにまいりましょうか」

*

 護栄が数日業務から離れると聞いた文官は全員顔を真っ青にし、中には頭痛で倒れる者もいた。いっそ護栄が戻るまで宮廷の全てを一旦停止にしてはどうかという提案すら出た。
 そしてその提案に賛成の声を叫びたいのは謹慎を告げた天藍自身も同じだった。

「無理……」
「安心しろ。全員そうだ」
「ぜんぶ護栄に任せてたから何も分からん」
「安心しろ。全員そうだ」

 兵の訓練や街の警備が仕事の玲章には護栄の不在はさして影響がない。影響があるのは主に文官で、その悲鳴を一身に受けるのは天藍だ。
 来賓として招かれている立珂にしたことを考えれば謹慎という処罰は可愛いものだが、いかんせん護栄の影響力が可愛くない。
 さてどうやって乗り越えるものやらと我関せず眺めていると、廊下から止めて下さいと縋るような叫びが聞こえてきた。その悲鳴には「護栄様」と呼ぶ声もある。

「何だ?」
「みんなが護栄を連れ戻したかな」
「……よし! 謹慎場所はここ! 仕事はやらせる!」
「妥当だな。じゃなきゃ文官が全員退職する」

 情けないやら、天藍はうきうきと護栄を迎えようと入り口へ向かった。いっそ微笑ましいなと眺めていると、激しい音を立てて扉が開かれた。そこには予想通り護栄がいたが、しかし何故かその手には愛憐姫がいる。それもまるで罪人を捕縛するかのように押さえつけている。

「……ええと、どういう状況だこれは」
「天藍様! お助け下さい! 護栄様が急に訳も無くこのようなことを!」

 そんなことあるわけないだろ、と玲章は心の中でため息を吐いた。
 護栄の顔は珍しく怒りと苛立ちに染まり感情が剥き出しになっている。しかしどんなに感情的になろうとも、護栄が冷静さを失い天藍を貶めるようなことをするわけがない。その護栄が皇女にこれだけの仕打ちをしているのならよほどのことがあったのだ。

「何があったんだ。説明しろ」
「立珂殿が暴行を受け怪我をしました。右腕に大きな裂傷があり、出血がひどいため現在治療中です」
「何だと!? どういうことだ! 立珂の離宮は立ち入り禁止にしたはずだ!」
「侵入した者がいるのです」

 護栄はちゃんと立ちなさいと愛憐を天藍から引きはがしたが、愛憐はじたばたと暴れなおも天藍に助けを求めてすがりついた。

「愛憐姫が御璽をもって立ち入り禁止とされていることを知りながら侵入なさいました」
「侵入なんて大袈裟な! 少し入ってみただけですわ!」
「侵入後、療養中の来賓を暴行。愛憐姫が立珂殿に怪我を負わせたのです」
「……何だと?」
「ちょっと手を払っただけでしょ! ろくに立てやしないのに掴みかかる方が悪いでしょうに!」

 ああ……と玲章は額を抑えてがくりと肩を落とした。
 天藍は薄珂に関することとなると判断が鈍るというのは玲章も否定できない。護栄の謹慎などまさにそれだ。天秤にかけた時、立珂を優先し政の全てを握る護栄を追い出すなどもってのほかだ。
 だというのに、罪を罪とも思わず立珂が悪いなどと言われては姫がこの後どうなるかは目に見えていた。

「御璽を犯したため緊急的に裁判の準備をいたします。それまで姫は地下留置場に拘留でよろしいですか?」
「許す。玲章、連れて行け」
「承知致しました」
「無礼な! 私は明恭国の皇女ですよ!」
「……皇女殿下には一番広い部屋を」
「承知致しました。誰か! 使節団を全員牢へ!」
「はっ!」

 玲章の一声で武官は使節団の滞在する離宮へ向かった。
 そして玲章は愛憐とその側近を牢に入れたが、皇女は反省するそぶりなどこれっぽっちも見せなかった。それどころかお前達は不敬罪だと叫び、玲章が立ち去る最後の最後まで罵倒し続けていた。

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