第十八話 明恭の終焉

文字数 6,256文字

 軍事国家明恭国は世界の最北に位置する。
 一年の半分は雪に覆われ、最北の海は一面の氷河だ。その寒さは生き抜くことも難しく、真冬には少なからず凍死する者もいた。
 しかしある年を境にその死者数は皆無になっていた。これを実現したのは国王でも国政を預かる官僚でもなく、最大の死者数を出す土地に住む諸侯の現皇王公吠(きはい)だった。
 公吠は前皇王に確実に越冬できる政策を考案し皇王へ提案したが賛同は得られなかった。
 しかしこの頃既に多くの国民が凍死していたため、公吠は耐え切れず百数十名という少ない手勢を率いて皇宮に乗り込んだ。無謀だと言われたが、驚いたことに公吠は十日程度で王宮を制圧。武力が全ての明恭では国王を倒した公吠が次の皇王に立ち、それから公吠の提案した政策を実行したその翌年には死者が出なくなったのだ。
 命を繋ぐ政策と高い武力を持つ賢君を国民は支持し、その在位は歴代最長の五年目に突入している。

 そして今、公吠が救った国民の命は再び凍死へと向かっていた。 

「この愚か者が!」

 公吠は蛍宮での一連を知り、娘の愛憐を尋問していた。
 普段は温厚な公吠も怒りと苛立ちを顕わにし、それを眺めながら公吠の息子であり第一皇子の麗亜はため息を吐いた。

「羽根がこの国にとってどれだけ重要か分かっているのか! 最北の民、二千人の命綱なんだぞ!」

 国民が凍死を免れたのは、公吠が有翼人の羽根寝具を用いるようになったからだった。
 それまでの明恭では有翼人は異端であり迫害されていた。住処も生存が厳しい最北へと追いやられ、厳しい生活を強いられた。食もろくに与えられない有翼人はすぐに絶滅するだろうと思われていた。
 しかし不思議なことに最北の死者は全て人間と獣人で、有翼人は一人も死者が出なかった。最北の国民を自らの目で見た公吠はこれに気付き、有翼人の生活を調べたところ彼らは自らの羽根を寝具にし暖を取っていたのだ。
 動物の毛よりもはるかに軽いため防寒具には数えられていなかった。しかし使ってみるとそれは比べ物にならない保温力で、しかも数年使い続けてもくたびれる事が無い。
 公吠は有翼人を全て皇宮へ招き、自ら頭を下げこれまでの迫害を詫びて羽根の提供を頼み込んだのだ。
 そして有翼人の寝具が取り入れられ、明恭は凍死から逃れることができた。しかし明恭には国民全てを賄えるほど有翼人はおらず、輸入に頼ることとなった。
 この輸入先が蛍宮だ。蛍宮は有翼人にも人権を与え適切な生活を与えているためか、有翼人の人口も多く羽の品質も最高級だった。
 官僚からは武力制圧の提案もされたが、武人が上層部を占める明恭では繊細な有翼人の生活維持は難しいと公吠は判断した。そのため、武力侵攻はせず万が一の時は派兵し蛍宮を守ると提案し、提携することで羽根を優先して提供してもらうこととした。
 つまり明恭にとって蛍宮との輸出入は命綱で、見限られたら国民は再び凍死の危機に立たされる。それも供給が即時途絶えるため来年には死者が出るのだ。
 そして、それをしたのは公吠の娘である愛憐だ。娘の我がままで済む問題ではなかった。
 大地を揺るがすような公吠の怒号に愛憐は顔を真っ青にし震えていた。愛憐は助けを求めるように兄の麗亜へと視線を送り、麗亜はまた一つため息を吐いた。

「父上。愛憐の処罰より蛍宮への謝罪が先です」
「分かっている! どんな支援を惜しまないとお伝えし、なんとしても輸出入継続をご承諾頂くのだ!」
「承知しました」
「……他の国から仕入れたらよろしいじゃないですか」

 ふん、と愛憐は不満げに頬を膨らませた。
 麗亜は妹の愚かすぎる発言にため息を吐くしかできず、父はさらに顔を真っ赤にして叫んだ。

「馬鹿者が! 羽根の流通を知らんのか! 八割は蛍宮が握っているんだぞ!」
「まさか。あんな小さな国にそんなたくさんの有翼人がいるはずありませんわ」

 蛍宮の敷地は明恭の三分の一にも及ばない。人口で言えば蛍宮は一億人に満たないが、対して明恭は三億を超える。
 しかも蛍宮の国民は人間と獣人もいるので一億人全てが有翼人なわけではない。愛憐の言うとおり、明恭の命綱となる有翼人は多くないのだ。
 それがどういうことか説明しなければ分からないのかと麗亜は呆れ果てた。

「愛憐。なぜ有翼人の羽根が貴重かは分かってるかい?」
「美しいから?」
「……絶対数が少ないからだよ。有翼人は迫害されるが故に隠れ住む。人里に出て羽根を売るのはほんの一握りだ。その一握りの八割が蛍宮の国民なんだよ」
「え?」
「蛍宮以外から仕入れる手段など無い。北の民は死ぬしかないね」
「そ、そんな、ご冗談を」
「何が冗談なものか! 有翼人を取り込むためお前を代表にしたというのに……!」

 公吠の手にはひと際大きく美しい羽根が握られていた。
 この羽根は一枚で普通の羽根の十枚に匹敵し、特に死者の多い地域に優先して配付されている。公吠はなんとしてもこの羽を持つ有翼人を独占したいが、如何せん皇太子が全てを握っていて手が出せない。ならば有翼人の方から明恭に来てもらおうと考えたのだ。
 そしてこれは愛憐が暴行を振るった立珂という少年のものだった。

「くそっ! 独占どころかこれで全て終わりだ!」
「で、では、今から話せば! 私も謝罪に参りますわ!」
「謝罪ね……」

 謝罪で済むと思ってる愚かさに、麗亜は何度目になるか忘れてしまいそうなため息を吐いた。
 使節団に提出させた報告書をぱらぱらと捲ると、裁判の主導を取ったのは護栄だと記載されている。
 外交の一切を取り仕切る麗亜は護栄を良く知っていた。輸出入の利益率については幾度も護栄と話し合いをしてきたが、そのたびに費用を吊り上げられている。
 これは決して麗亜の能力が低いわけではない。むしろまだ二十代前半でありながら明恭の政に必要とされているその実績は他国からも高く評価されている。
 だが護栄の相手になるかと言うとそれはまた別の話だった。

「怒らせた相手が悪すぎるよ。口先で煙に負ける相手じゃない」
「お兄様ともあろう方が少年狂いの皇太子に臆するなんてらしくないですわ」
「少年狂い?」
「ええ。天藍殿は少年がお好みで囲ってらっしゃるのよ」
「孤児を保護してるって報告にあったけど」
「建前ですわ。恋人の薄珂という子、本当に少年よ」
「……お前、まさかそれ護栄殿の前で言ったのかい」
「ええ。こんな醜聞を放置なんて気が知れないですわ」

 ――馬鹿か貴様

 麗亜は穏やかに微笑んでいたが、限界を迎え悪態を投げつけそうになった。
 蛍宮の国政を動かすのは皇太子天藍ではなく護栄だ。護栄は皇太子を守るためなら容赦しない。怒らせたら三日で国を落とされるだろう。
 だからこそ麗亜は蛍宮を武力侵攻することは避けるべきだと強く訴えたのだ。蛍宮との交渉はいかに護栄の機嫌を取るかで大きく変わる。そして、麗亜が絶対に口にしてはならないと考えているのが『少年狂い』だった。

「愛憐。天藍殿が『少年狂い』と呼ばれるのは二度目だ」
「まあ、前もあったんですの? やはりそういう性癖なのね」
「……あれは天藍殿が先代蛍宮皇を討った時の話だ。彼の仲間は老若男女問わず多かった。しかし天藍殿が従える者の全てが『少年』と括られた。どうしてだと思う」
「さあ。実はみんな少年だったのでは?」
「天藍殿を勝利に導いた軍師が少年だったからだ。当時わずか十八歳」
「十八!? 私よりも子供ではないですか!」
「少年は噂を一つ二つ流させ己は座したままだった。言葉だけで国の行く末を狂わせたんだ」
「……まさか、そんな馬鹿なこと……」

 こつん、と麗亜はすらりと細長い指で机を叩いた。

「『少年狂い』は天藍殿が少年に狂ったのではない。天藍殿の傍らに全てを狂わせた少年がいるという意味だ。そしてこの少年は今も天藍殿の傍で政を行っている」
「傍に、って……じゃあ、まさか……」

 麗亜は立ち上がり、愛憐の前に報告書をばさりと投げて見せた。とんっと指差した先には一人の名前がある。

「お前が敵に回した護栄殿だ」

 びくりと愛憐は震えた。
 愛憐は政治を理解せず学びもしない愚かな妹だが、ここまで愚かだとは思っていなかった。

「『少年狂い』は護栄殿が最も嫌う揶揄だ。生きて帰国できたのは奇跡だよ、愛憐」

 愛憐はまだ震えていた。だが今更震えてももう遅い。

「護栄殿を怒らせた以上は負け戦確定だ。できることなど無い」
「地に額を擦り付け赦しを乞え! 腕一本差し出してでも契約を取り付けてまいれ!」
「腕!? 正気ですか!? 第一皇子であるお兄様にそんな」
「もし!」

 がん、っと公吠は椅子を叩きつけた。その勢いで椅子の手すりは欠け公吠の手から血が流れた。その血まみれの手をゆっくりと愛憐に向けて指差す。

「もし愛憐の首でお許し頂けるのであれば、流罪も死罪も謹んでお受けする。そうお伝えしろ」
「……お父様? ご冗談でしょう」
「お前は民を殺したも同然。ならば己の命を持って償うのは当然だ」

 目を剥いて睨みつけてくる父に愛憐は腰を抜かした。
 麗亜もこれは助けることはせず、首かあ、と面倒くさそうに首を傾げる。

「愛憐の命乞いをする必要はない。天藍殿の望むままにしろ」
「承知致しました」
「……お兄様……ご冗談ですよね……」
「麗亜は使節団を再構成し急ぎ出立の準備をしろ。誰か! 此度の使節団全員を牢へ! 愛憐もだ!」
「な、何ですって!? お父様まで私を罪人扱いなさるのですか!?」
「お前は罪人だ!」

 ぼろっと愛憐の瞳から涙が流れた。ここまで言われないと気付けない愚かさに辟易する。

「お兄様……私を見殺しになんてなさらないですよね……?」

 麗亜はううんと首を傾げてからにこりと微笑んだ。愛憐は助けを得られたと思ったのか、ぱあっと明るい笑顔になる。
 しかし麗亜はくるりと背を向けた。

「生かす利益がありそうだったらそうするよ」
「お兄様!?」

 そして、麗亜はまた一つため息を吐いて妹を捨てて部屋を出た。
 麗亜は指示通りに使節団を再構成した。
 再構成といっても、もともと麗亜が連れていた前任なので真新しいものは何も無い。ただ変わったのは、身の程をわきまえた意思表示として船を貧相にしたくらいだった。
 麗亜は狭い船室でぐぐっと伸びをすると、あーあ、と呻いて手をだらりと垂らした。

「まったく。輸出入の継続なんて簡単に言ってくれるよねえ」
「皇太子殿下はよく謁見のご承諾を下さいましたね。何か思惑がおありなのでしょうか」
「北の民を憂いて下さっているのだろう。天藍殿は民のために反乱を起こした御仁だ」

 麗亜には天藍が何を考えているかは気にしていなかった。
 気にしていないというより、それ以上に理解できない謎があるから天藍にまで気が回らないと言った方が正しいだろう。

「護栄殿は何を狙ってるんだろうねえ。こんな揚げ足取りの罪状を作っておきながら愛憐を返す意味が分からないよ」
「ですが御璽を犯したのでしょう」
「けどそれも少年一人を守るためだよ。それで流罪なんて、それこそ少年狂いの悪政だ」
「では姫を帰国させることに何か意味があると?」
「無ければやらないだろうね」

 麗亜はぱんっと手元の書類を叩いた。そこには愛憐の罪状が並んでいるが、それは呆れた内容だった。
 侮辱だの名誉棄損だのと書いてあるが、それはどうみても子供の口喧嘩に近い。しかもその相手は皇太子ではなく立珂という少年だ。こんな罪を作ったら、それこそ侮辱として明恭から反論を受けても仕方が無い。
 けれど明恭は立場的に強くは出れない弱みがある。それを逆手に取ったのだろうが、そこまでする意味が分からない。

「愛憐を生かして得る利益、か」
「……本当に姫様を差し出したりはなさいませんよね」
「差し出して得られるものは何だと思う?」
「え、ええと、立珂殿のお怒りは収められるのでは」
「そうだね。重要だけどその程度で、政治的には悪手だ。明恭が戦争を仕掛ける大義名分ができるのだからね」
「ああ、そうですよね。単純な武力なら明恭の方が上ですし」
「この武力差はいくら護栄殿でも無血開城とはいかない。だから彼は輸出入契約という形で身を守ってきた」

 明恭には弱みがあるが、それを補えるだけの武力がある。だからこそ輸出入は明恭に有利な利益で結ぶことが出来たが、徐々にひっくり返されつつあった。
 それもこれも全て護栄が手を回したことだ。どんな局面でも護栄は言葉で打ちのめしてくる。それを思うと、麗亜にはもう一つ理解ができないことがある。

「一番分からないのはこれだよ。愛憐を捕まえたの護栄殿なんだって。国崩しを室内でやる男がなんで子供の喧嘩現場なんて行ったの」
「天藍殿に直結する何かがあったのでは?」
「直結ねえ……」

 親しい友人ではないが、護栄が子供のために動きまわる慈愛に満ちた青年ではないことは確かだ。
 立珂という少年は確かに有益な有翼人だが、護栄であればそれに匹敵する利益を作るくらい分けないだろう。助けるにしても部下を送ればいいだけだ。護栄がわざわざ現地に向かわなければならない理由を探し、報告書をじいっと睨んだ。

「ん? 暴行現場には薄珂殿もいたのか」
「薄珂というと、天藍様と恋仲だという?」
「らしいね。本当かどうか知らないけど。助けたのはそっちかな」
「それでいくと、護栄殿が天藍殿の色惚けを容認してるということになりますよ」
「容認せざるを得ない理由があるのかもしれないよ。実は護栄殿すらひれ伏す才覚の持ち主だとか」
「……ではあの噂は本当かもしれないですね」
「噂?」
「象獣人金剛の逮捕ですよ。立役者は孔雀医師ですが、その指揮は薄珂殿だったという噂があるんです。天藍様は何かしらの理由で薄珂殿を隠したのだと」
「ああ、あれか……」

 象獣人の金剛は世界各地で問題を起こしていた指名手配犯だ。
 巨大な密売組織を作り、その末端は明恭にも存在していた。獣人の能力を生かした巧妙な手口は鮮やかで、特に金剛本人はなかなか姿を現さない。それが蛍宮で逮捕された話は一斉に広まった。しかもそれが無名の医師によるものだというのは衝撃を与えた。

「指揮ねえ。そんな簡単にできるかなあ。象だよ?」
「ですが現場では成人の鳥獣人も確認されています。あの慶真殿をも獣化させたのならこれは凄いことですよ」
「ああ、戻って来たんだっけ慶真殿は」
「はい。何故急に戻ったのか不思議だったんですが、報告書ではあの慶真殿の息子が立珂殿に懐いているそうです。立珂殿を守るためなら人前で獣化することも厭わないとか」
「ええ? 鳥獣人がかい?」
「あり得ませんよね。けどそれも立珂殿を救出するためです」

 その話は聞いたことがあった。だがとても信ぴょう性は無く、あくまでも噂だとして流していた。
 しかし護栄が動いた場にいたとなると話は別だ。

「……何かあるね、その兄弟」
「護栄殿が認めるほどの何かですか? 想像もつきませんね」
「だが護栄殿が無意味なことをするはずがない」

 麗亜は最初から護栄に勝とうとは思っていない。良くて引き分け、悪ければ明恭が乗っ取られて終わりだ。

「……民の命で同情を引いて現状維持を目指そうか」
「護栄殿は同情しませんよ」
「同情引くのはこの兄弟。こっちはまだ子供だよ」
「護栄殿が目を掛けているのなら、護栄殿が二人になったと思った方が良い気がしますが」

 ――契約なんて小さな話じゃ済まないかもしれない

「愛憐の首で済めば儲けものだね」

 麗亜の視界にはもう蛍宮の港が見えていた。

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