第二十一話 兄

文字数 2,911文字

 麗亜が帰国し報告すると、父親である皇王は立ち上がり手を叩いて喜んだ。

「さすが麗亜だ! よくやった!」

 広間に集まっていた全員が歓喜の声を上げ、麗亜に拍手と称賛の声を送った。わあわあと騒ぎながら麗亜を取り囲み、蛍宮がどんな様子だったかを問い詰めてくる。
 いつもなら己の成果を意気揚々と語っただろう。
 だが麗亜が気になったのは、侍女よりも質素な服でへたりこんでいる妹だった。首が繋がった安堵からか涙を浮かべている。皇女だというのに侍女の一人も付き添ってもいない。それは今までの傲慢で我がままな妹でとは似ても似つかないみっともない姿だ。
 けれど、麗亜の脳裏に浮かんだのは幸せしか感じさせないあの兄弟だった。

『妹を助けに来たんでしょ?』

 あの兄はこういう時どうするのだろうか。きっと迷わず手を差し伸べるだろう。大丈夫だと言って抱きしめて、それからどうするだろうか。どうやって弟を幸せにするのだろう。
 妹を可愛がった経験の薄い麗亜には分からなかったが、自然と身体は妹の方へ向いていた。
 しかし足止めするかのように父親がどかどかとうるさい足音を立てて駆け寄ってくる。

「ようし! では訪問の準備だ! 土産の品はどうする。立珂殿はどのような品がお好みだ」
「……直々にご要望をお預かりしております」
「おお、さすがだ。何だ。すぐに用意させよう」
「その前にすべきことが」

 麗亜は父の手を払い腰を抜かしている妹の元へ向かった。愛憐は小さく震えてぽかんとしている。妹がこんな顔をするのを見たのは初めてだった。

「愛憐。そこに座って足を出しなさい」
「……はい……」

 麗亜はとても皇女が座るには相応しくない汚れた椅子を持ち出し愛憐を座らせ、さらにはその足に砂袋をひとつ括りつけた。

「お、おにい、さま」
「これで歩いてごらん」
「あ、歩けませんわ……こんな重い物……」

 愛憐は必死に足を動かすが砂袋はわずかに滑るだけだ。数秒そうしただけで愛憐は肩で荒く呼吸をして座り込む。

「重いだろう。これは立珂殿の羽の重さだ」
「……え?」
「有翼人の羽は美しいが重量もある。立珂殿は大きすぎるがゆえに動くこともままならなかったそうだ。十六年間この砂袋を背負って生きて、その挙句に軟弱者呼ばわりされたら愛憐はどう思う?」
「そ、そんな! そんな……知らないわ、そんなこと……」
「知らなければ罪を犯しても良いのかい? 罪人が『人を殺してはいけないという規則を知らなかった』と言ったら許してあげるかい?」
「……いいえ……」
「そうだね。だからお前は罪を償わなければいけない。少なくともこの砂袋十六年分は」

 愛憐は何も答えず、頷くこともできずただ震えている。父親はそれを見ても何も言わず、はあ、とため息を吐くだけだ。

「愛憐、よくお聞き。立珂殿からお言葉を預かっている」
「……はい……」

 麗亜は懐に手を入れ長細い袋を取り出した。封を開けると、そこには愛憐に渡すよう頼まれた羽根の髪飾りがある。
 これもきっと兄弟で作ったのだろう。女性らしい色使いであるところを見ると侍女も一緒だったかもしれない。きっとそうだろう。

「立珂殿がお前のために手ずから作って下さったよ」
「……へ? 私、に?」
「そうだよ。小さな羽根を使ったのは初めてだそうだ」
「そんな貴重なものを!? まあ……何て可愛らしいの……!」

 愛憐は己の罪も忘れたかのように目を輝かせた。その輝きに魅了され侍女もわらわらと集まって騒ぎ始めた。
 麗亜は妹がこんな顔をするほど羽根飾りを好きだっというのを初めて知った。そのはしゃぎようはお洒落が好きなあの弟と、それを可愛がる侍女の様子を思い出させた。あのときあの兄はどうしていただろうか。
 その仕草をひとつひとつ思い出し、ためしに妹の頭を撫でてみた。

「お、お兄様!?」
「立珂殿はお前と友になりたいとおっしゃられた。お前が立珂殿への土産だ」
「え?」
「麗亜!? 何を言っている! 罪人を連れ出すなどならん!」

 麗亜の言葉に答えたのは愛憐ではなく父親だった。その恐ろしい怒号に愛憐は震えあがり身をすくめている。
 あの兄ならばこういう時は背に庇い弟を守ってやるのだろう。抱っこして頭を包み視界から辛いものを消してやるかもしれない。

『だから、あんたが悪いと思ってるのは妹で自分は関係無いと思ってるだろ』

 あれは愛憐の肩を持ったのではない。兄としてあるまじき麗亜を非難したのだ。
 麗亜は愛憐の前に立ち、父を睨みつけた。

「父上。悪いのは愛憐一人ですか」
「何を今さら。侮辱に傷害! これが悪でなく何だというんだ!」
「では愛憐を代表にした父上と私に非は無いと? 愛憐の幼さを見抜けなかった私達にも責任があるのです」

『兄貴なら守ってやるのが当然だ。なのにあんたは妹を悪者にするばっかりだ』

「家族が守ってやらなくてどうしますか。娘だけを悪者にして恥ずかしくはありませんか」
「……何を言っているんださっきから。愛憐が罪人であるのは火を見るよりも明らかではないか」

『妹が悪いことをしたなら一緒に並んで謝ってやるべきじゃないのか。どうして妹を守ってやらないんだ』

 兄弟がお互いを守るとじゃれている姿が思い浮かんだ。あの二人ならきっとそうして生きていくだろう。
 きっとそれは、一方的に怒鳴り散らす父と愚かだと決めつけ見捨てた兄しか持たない愛憐では知りえない生き方だ。

「天藍殿も護栄殿も立珂殿も、誰もお怒りではないよ。生誕祭で立珂殿にごめんなさいをするんだ」
「でも私が今更そんなこと……」
「大丈夫だよ。僕が一緒にいてあげる」

 麗亜はぎゅっと目を瞑り、ふう、と息を吐き妹を抱きしめた。
 頭にはあの兄弟の姿の会話が響いてきた。

『喧嘩したら謝るんだ。ごめんなさいできる立珂は偉いぞ』
『仲直りしないと遊べないものね。僕女の子のお友達いないから楽しみだなあ』

 妹の顔を見ると驚いだように目をぱちくりさせている。きっとあの兄弟と話しをしていた自分もこうだったのだろう、と麗亜は情けなさで胸が締め付けられた。
 そして、麗亜は弟を全身全霊で愛していた兄がやっていたように、ぽんぽんと妹の頭を撫でた。

「喧嘩をしたら謝るんだ。ごめんなさいできるな?」
「……はい」
「よし。偉いぞ。じゃあ立珂殿への手土産を用意しよう。お洒落がお好きなんだよ」
「そうなんですのね。じゃあ流行の服を買っていきましょう」
「それは駄目だよ。立珂殿は侍女の手製の物をお召しになられるんだ。生地や装飾品をお持ちするのが良いんじゃないかな。着こなしの議論もお好きのようだし」
「まあ、それなら私得意ですわ」
「麗亜! 正気か!?」

 父は馬鹿を言うなと蔑んでくる。
 親がこんな態度を取ればあの兄は怒るだろう。

「どういうつもりだ。何を言ってるんだ、お前は」
「分かりませんか」
「分かるものか。何だ、何の話だ」

 父は少し前の麗亜と同じ顔で同じことを言った。
 けれど麗亜はもうその答えを持っている。

「兄は下の子を守るものだと決まっているのですよ」

 麗亜はあの兄弟のように妹を抱き上げた。妹も驚き、その場の誰もがぽかんと口を開けて棒立ちになっていた。
 護栄が笑っていた理由が少し分かった気がした。

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