第四十七話 護栄の反撃

文字数 2,884文字

 異なる人物の名が登場し、薄珂は護栄と顔を見合わせた。
 今目の前にいるのは隊商で仲良くなった亮漣だ。間違いなく少年で、天藍の嫁志望だった有翼人の女性ではない。

「こいつ男だよ。隊商で店開いてる」
「ですがこの顔は稜翠殿です。確かに有翼人の女性でした」
「馬鹿だよなあ。羽があって胸が出っ張ってりゃ有翼人の女だと思うんだ、みんな」

 亮漣は荷物の中から羽を取り出した。それを背に付ければ有翼人だと勘違いするだろう。
 それに稜翠は顔を頭巾で隠していた。少なくとも、遠巻きに見ただけの薄珂は顔まで確認できなかったし、できたとしても羽が無いうえ出会いが猫獣人だったからそんな疑念は抱きもしなかった。
 だが妙だなとも思った。薄珂を狙っていたのなら、いくらでも誘拐できる機会はあったはずだ。実際薄珂は気を許してしまっていたし、獣人保護区の人気のない場所に仲間を忍ばせていればどうとでもできただろう。
 だが薄珂を狙っていない敵もいる。孔雀の所属する有翼人売買の集団だ。

「……お前が有翼人売買の頭目か」
「お、よく分かったな」
「孔雀先生は有翼人売買の頭目に誘われて参加したって言ってた。お前は孔雀先生に接触してる」
「なるほど。では君が黒曜ですか」
「黒曜?」
「有翼人売買組織の一人です。金剛の次の次の次の次くらいには有名ですよ」
「あいつは猫だ。大きさも叩き飛ばせる程度だよ」
「俺はな。でもこいつらは全員狼獣人だ。いかに鳥獣人といえども人間連れなんて話にならないぜ」

 それは否定できない指摘だった。
 まず獣化するなら外へ出る必要がある。薄珂一人なら飛び出してしまえばいいが、護栄を連れて行くとなると獣化してから掴むという作業が発生する。その間に護栄は捕まるだろう。

(俺が公佗児なのは聞いてるのか。知らなければ奇襲くらいはできたのにな)

 ちらりと出口を見るが、護栄の身長だと少しかがなければ出られなそうだ。となると無理矢理抱きかかえて飛び出すと頭部を強打する可能性がある。

「薄珂! お前も動くなよ! 動いたら牢屋の獣人の命はない!」
「くっ……」
「分かりました。好きになさい。なんなら戻りがてら一緒に見物しましょう」
「護栄様!?」
「へえ。自分の命が可愛いってか」
「そりゃあそうでしょう。私は彼らに何の義理も無い」
「護栄様! 待ってよ! そんな」
「さあ行きましょうか」
「え!? ちょ、ちょっと!」

 護栄は躊躇せず格子戸の牢へ向かって歩き出した。
 共に逃げたい相手本人に戻られては薄珂も逃げ出すことはできない。連中もが呆れていて、薄珂は慌てて護栄に縋りついた。

「護栄様待ってよ! 里のみんなには俺も世話になったんだ!」
「だから? 私は殿下の邪魔になるものは排除するだけです」
「天藍はそんなの許さないよ!」
「では私も含め全員が犠牲になれば殿下が喜びますか? 君が死んでも?」
「そ、それは、でも他の人を犠牲にしても天藍は喜ばないよ!」
「それはあなたが慰めてあげてください。喜びますよ」
「そうじゃなくて!」

 せめて歩くのを止めてくれればいいのに、護栄は全く歩みを止めなかった。
 それどころか途中で錐漣と烙玲も広い、全員で牢へと戻ってしまった。

「……これは一体どういうことです」
「申し訳ありません。少年は猫獣人ですが他は狼獣人だそうで諦めました」

 護栄は悪びれもせずにっこりと笑った。
 錐漣と烙玲は長老と子供達を守るように背に庇う。

「では後はお任せしますよ」

 護栄は壁に貼りつき静観しだしした。長老も子供たちも顔を真っ青にしている。
 薄珂は一か八か部分獣化をするしかないかと上着を脱ごうとした。

「黙って見ていなさい」
「でも!」
「いいから」

 護栄は薄珂を黙らせると、ふいに烙玲へ目を向けた。
 するとその時、がくりと亮漣が膝を付き倒れこんだ。

「な、なんだ!?」
「だってあなた猫ですからね」
「どういう意味だよ!!」

 はっと薄珂は烙玲を見た。じっと亮漣を見つめ、ほんの少し口を尖らせて唇を動かしている。

(そうか! 猫は烙玲の言うことを聞く! 亮漣の獣の性を抑えたんだ!)

 亮漣は訳が分からず汗をかいているが、残る狼獣人達には効いていないようだった。
 するりと狼に姿を変え、ぐるると四方を警戒し睨みつけてくる。抵抗すれば鋭い爪が薄珂達を切り裂くだろう。

(俺の部分獣化は使えない。全身獣化なんてしたら全員押しつぶすだけだ。どうしたら……)

 薄珂は戦うことになど慣れていない。どうしたらいいかなんて咄嗟に思いつく作戦など何もない。
 護栄なら何かあるのではと見上げるけれど、やはり何も言わず静観しているだけだ。

(……いや。護栄様が何もしないってことは、何もせずどうにかなる方法があるのか?)

 意味もなく何もしないわけがない。それに気づくと、よく見れば護栄はじっと一点を見つめている。
 その先にいるのは長老だ。

(長老様は猫だ。もしかして烙玲と長老様で何かするのか?)

 何か作戦を立てたわけではない。けれどもしかしたら烙玲たち里の者同士では何かあるのかもしれない。

「錐漣。烙玲。十秒防ぎなさい」
「はい。錐漣、鼠」
「お前ら全員牢に入れ」

 三人は臆することなく陣形を組んだ。
 子供達はすぐに牢へ駆け込み、錐漣と烙玲は長老の前に立ちはだかった。狼獣人たちは子供達を追おうとしたが、大量の鼠が壁となり狼の手足に食らいつき、猫が顔に張り付いた。
 捕まえることはできないが、前に進むのを阻むだけはできている。
 だがこれだけではどうすることもできない。どうするんだと護栄を見ると、薄珂の視線に気づいてくすっと笑った。

「長老をよく見ていないさい。あれはあなたに必要な術です」
「え?」

 言われて長老を見ると、ぐっと身体に力を込めていた。
 すると身体が小さくなり猫へと姿を変える。

(あれじゃ戦えない。烙玲は操る以外も何か能力があるのか?)

 だとしても身体の大きさがあまりにも違う。鼠に翻弄され暴れている爪がかすればそれで死んでしまうかもしれない。
 猫であり老人の長老に何ができるとも思わないが、護栄が言う言葉に意味がないとは思えない。
 言われたまま長老を見つめた。
 そして五秒ほど経ったその時だった。狼が一斉に引き、慌てて人へと姿を変えていく。

「な、なんだ、何だこいつは!!」
「猫じゃないのか!?」

 長老は猫だった。間違いなく猫だった。
 けれどその身体は少しずつ、少しずつだが確かに身体が大きくなっていく。

「馬鹿ですねえ、あなた達。金剛の方がはるかにましだ」
「どういうことだ!!」
「牙燕将軍をご存知ですか」
「あ!? 誰だよ!!」
「共同戦線を張るなら情報共有くらいなさい。牙燕将軍とは先の蛍宮で武の頂点を極めた方」

 十秒経った。
 そこにいたのはもう小さな猫ではない。

「変幻自在の豹獣人……」

 長老の姿は大きな猫に、白く輝く豹になっていた。

「豹は猫科。身を小さく獣化すれば猫に見える」
「ま、まさか、この爺」
「世界最強の豹獣人、牙燕将軍その人です」

 豹となった長老の鋭い爪が狼獣人達を襲った。
 その決着がつくのは変幻の十秒よりも短い、ほんの数秒のできごとだった
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