第十六話 獣人の生態

文字数 4,782文字

 移住について反応は様々だった。慶都の両親は不安そうな顔をしつつも感心し、出来る限りの協力をすると背を押してくれた。金剛は子供二人じゃ危険があると苦言を呈し俯いたが、天藍は呆れたようにため息を吐いていた。金剛が賛成してくれないことには不安を覚えたが、それを吹き飛ばすように叫んだのは慶都だった。
「俺も蛍宮行く!」
「「「「「え?」」」」」
「俺も行く! 立珂が行くなら俺も行く!」
「駄目よ」
「えー!? なんで!?」
「獣化するからよ! 見つかれば軍に連れて行かれるに決まってるわ。そうなれば里に戻ってこれないのよ!」
「しない! しないよ!」
「今までもそう言って我慢できたためしないでしょ!」
 今日もまたお決まりの親子喧嘩が始まった。慶都の母は里の中でもかなり獣化に慎重な人だった。里の中では獣化したまま過ごす者も多いが、彼女が獣化している姿は見たことが無い。鷹獣人らしいのだが、もしかしたら人間なのではと思うくらい獣人らしさを感じない。そうせざるを得ないほど大変な目に遭ったのかもしれないと思うと、軽率に慶都の応援はできなかった。
「人間は鷹獣人を狙ってるの! 捕まるの!」
「だから我慢するってば!」
「家の中ですら鷹になっちゃうのにできるわけないでしょ! 駄目ったら駄目!」
 親子喧嘩はちっとも収まらないが、慶真はこれに参加しなかった。こういう時慶真はどちらの味方をするでもなく眺めていることが多い。だが室内では獣化を推奨している節がある。外で飛び回るのは駄目だと言うが、眠る時は積極的に獣化をさせている。食事以外は獣化していても咎めることはない。それを見た妻が甘やかすなと夫婦喧嘩を始めることがあるほどだ。
「おじさん。獣化って我慢できないの?」
「個人差はありますけど、基本的には難しいですね。人間の姿でいるのは常につま先立ちで歩いてるようなもの。大変ではないけれど疲れるんです」
「……それって鷹だけ? 獣人はみんなそうなの?」
「みんなですよ。獣人は獣が人間になるのであって、人間が獣になるわけじゃないんです。獣の姿で過ごすのは本能で、子供は我慢できないんです」
 慶都に視線を戻すと、相変わらず大丈夫だと言い張っている。普段の頻繁な獣化を思えば母が信じられないのも無理はない。襲われた経験のある薄珂は慶都の母へ賛成するところが大きいが、理由はそれだけではない。
(本能? 俺意識しなきゃ獣化できないけどな)
 薄珂は我慢できない理由が分からなかった。里に来て一度も獣化をしていない。したいと思った事が無いのだ。父からも獣化はするなと言われて育ち、実際獣化したのは数えるほどだ。長時間の獣化は立珂を連れて逃げたあの時くらいのもので、獣化を保つのは大変だったのだ。
「それって我慢しすぎるとどうなるの?」
「個人差がありますね。大体は獣に戻る程度ですが、ひどい人は意識を保てなかったり倒れてしまうこともあります。獣化異常ですね」
「獣化異常……」
「なので適度に獣化させてやらないと。白那(びゃくな)。そのへんにして」
「あなたはまたそうやって甘やかす!」
「そうじゃなくてね」
 慶真はようやく立ち上がり親子喧嘩の仲裁に向かった。人里に出るのはまだ早いが獣化を抑えすぎるのも良くない、という中間を取ったようだ。そして慶都の母、白那の怒りの矛先は慶真へと移り、慶都はぴゅんっと立珂の元へ走って来た。
「俺も一緒に行くからな! これからもずっと一緒に遊ぶからな!」
「でもおじさんとおばさんがだめって言うならだめだよ……」
「大丈夫だ! 俺は立珂と一緒がいいんだ!」
 立珂はくにゃりと苦笑いをし、抱き着いてくる慶都をぎゅっと抱き返した。
 里を出れば慶都に会うことはなくなるだろう。安全と将来への道を選ぶことは立珂にとって初めてで唯一の友達を失うことでもある。だから慶都が来てくれるのならこんなに嬉しいことはない。けれどそれを慶都の両親に頼むことはできない。殺されかけることがあると身をもって知っている薄珂にはとても言える事ではなかった。
 結局その日は蛍宮行きの許可は下りなかった。夜になり立珂が睡魔に耐えられなくなっても親子喧嘩は続き、慶真が寝て良いですよと気遣ってくれたので立珂を抱いて自室へと戻った。
 立珂を寝間着に着替えさせて横にすると、いつものようにぷうぷうと寝息を立てた。しかし薄珂は寝付けずにいた。
(生態系が違うだろうとは思ったけどそこまで違うものか? それとも公佗児だけ?)
 これは金剛と孔雀に拾われた当初にも思ったことだ。ここらで象獣人は希少ではないことや有翼人は人間からしか生まれないという認識の相違。そして今回の獣化に関する感覚も全て真逆で、自分の経験や知識だけで生きていく難しさを感じざるを得ない。
 けれど立珂だけは変わらない。いつも通り愛らしい寝息を立て、頬をつんと突くとその指にしゃぶりついた。
「腸詰ぇ……」
 この幸せそうな寝顔を失うわけにはいかない。安全な土地で生活をしたい。だが慶都と離れ離れになれば立珂は悲しむだろう。
(おじさんに公佗児だって明かしてみようかな。そうすればいつでも飛んで会いに来れる。船だってあるし)
 二度と会えなくなるわけでは無い。会う手段はいくらでもあると分かっていれば立珂の悲しみも少しは減るだろう。
 だがそれを慶都の両親が受け入れてくれるかは別だ。人里から頻繁に出入りすることを良しとするほど信用を得られているとは思えない。何しろ薄珂と立珂は自力で逃げられず怪我をする程度の力しかないと証明してしまっている。当初長老が二人を拒んだように、危険を持ち込む可能性があると考えるのが普通だ。そう考えたらふと薄珂の脳内に天藍の言葉が浮かび上がった。
『味方を増やせ。そうすれば弟を守る手段も増える』
 正体を明かし何かしらの利益を提供すれば協力し合えるかもしれない。それは薄珂の身に危険が降りかかる場面が増えるかもしれないが、立珂の笑顔と天秤に掛ければどうすべきかの応えは言うまでもない。薄珂はぐっと拳を握りしめ、腕の中で眠る立珂に頬を寄せて眠りについた。
 そして翌日、もう一度話をしようと思ったが朝早くから慶真の姿は無かった。慶都もいないようで、いるのは台所で食事の用意をしている慶都の母だけだ。
「おはよう、おばさん。おじさんと慶都は?」
「あ、おはよ。長老様のところよ。昔は蛍宮にいらしたから話を聞いてみるって。行く前にできるだけ知っておいた方がいいでしょ?」
「……うん。有難う」
 慶都の母はにこりと微笑んでくれたが、薄珂はふいと目を逸らしてしまった。
 薄珂と立珂が移住を言い出さなければ慶都が触発されることはなかっただろう。なのに移住の情報を慶都に与えるなんて不本意であるに違いない。それでも笑顔を見せてくれるのは有難くも申し訳ない気持ちになった。
 そんな薄珂の心境を察したのか、慶都の母は話題を変えるかのようにぽんっと手を叩いた。 
「そうそう。孔雀先生が診療所の大掃除手伝って欲しいらしいのよ。差し入れ持って行ってくれる?」
「いいよ。立珂。慶都が戻るまでお散歩するか」
「うんっ!」
 ほんの少しの気まずさに背を向けて、立珂を車椅子に乗せ診療所へ向かった。
 診療所に着くと金剛と天藍もいて、孔雀と三人がかりで家具を外に出しているようだった。大掃除というよりも引っ越し作業のようにも見えるほどだ。
 薄珂は邪魔にならない辺りで車椅子を止めると、孔雀がこちらに気付いてにこりと微笑んだ。
「おはようございます。荷物が多いので気を付けて下さい」
「おはよう。急にどうしたの?」
「予防接種をするので清潔な場所を作ろうと思いまして」
「「よぼーせっしゅ?」」
「これでお薬を打つんですよ」
 聞いたことのない言葉に薄珂と立珂は首を傾げた。孔雀はくすっと笑うと、横に置いてあった机の上から箱を手に取り蓋を開けた。その中には医療器具が入っているようだったが、それを見て立珂はぴょっと震えあがり薄珂にしがみ付いた。それは硝子の筒で、先端には針が付いている。一見すれば武器のようにも見えた。
「人間の開発した器具で注射器といいます。腕に刺すんですが、ちょっとちくっとするだけですよ」
「腕の中に薬入れるの?」
「ええ。でもこれは獣人用なので二人は必要ないですよ」
「……それ打たないとどうなるの?」
「打たないとどうというより、打てば病気にかかりにくくなるんです。打てば安心ですが打たなくても大丈夫、というところですね」
「ふうん。獣人以外が打ったらどうなるの?」
「拒否反応が出ます。身体が異物を排除しようとするので嘔吐腹痛があるでしょう」
 薄珂はじっと注射器を観察した。獣人用なら薄珂も接種対象だ。だが正体を隠しているから立候補はできない。
(孔雀先生にも公佗児だって言っておいた方が良いのかも。獣人にやっちゃいけない治療されても困るし)
 思っていた以上の話に薄珂は考え込み、つられて立珂もしょんぼりとしてしまった。不安を煽ったと思ったのか、孔雀は大丈夫ですよと頭を撫でてくれる。薄珂は苦笑いで返してしまったが、その時がしゃんと大きな音がした。見ると金剛と天藍が二人がかりで箱を持っていたが、天藍がそれを落としてしまったようだった。
「しっかり持たんか」
「象と一緒にすんな……」
「ふん。だらしのない」
 もうどれほど作業をしていたのか、天藍は汗だくで荒い呼吸を続けている。象の腕力を使える金剛と兎の天藍では力の差が歴然だ。金剛は勝ち誇り鼻で笑ったが、言い返す余力もなく天藍は地面に座り込んだ。
「お前ら暇なら手伝ってくれよ。こんな綺麗な面して部屋最悪だぞこの先生」
「よ、余計なことを子供に教えないで下さい。そうだ。二人は綿紗を小さく切ってもらってもいいですか? 予防接種の準備が遅れていて」
「やるー!」
「おい。荷運びを手伝わせろ」
「子供に無茶をさせないで下さい。さ、残りをやりましょう」
「一番非力なあんたが仕切るな」
「兎も非力だろう」
「象は黙れ」
 天藍はぶつぶつ言いながらも荷運びに戻って行った。金剛は汗一つかかずに動き続け、孔雀は紙袋など軽い物を運んでいる。滅多に見ない大人達のやり合いは新鮮でのんきに眺めていると、薄珂は足元に置いてあった大きな鞄に足を取られて危うく転びかけてしまう。
「おっと」
「薄珂! 大丈夫!?」
「大丈夫。それより何に――……え?」
 薄珂がつまずいたのはやけに頑丈そうな革の鞄だった。縫製も精巧で、明らかに人間の高度な技術で作られた物だと一目でわかった。
「天藍のかばんだ」
「うわ。しまった。壊れてな――あれ?」
 鞄の無事を確かめようと手を伸ばしたが、薄珂はその手をぴたりと止めた。鞄の隙間から何かが飛び出ている。それも純白に輝く白い毛だ。それが何なのか、薄珂が見間違うはずもない。
「……立珂の羽根?」
 薄珂は鞄を開けると、そこにはぎっしりと立珂の羽根が詰め込まれていた。立珂の羽根は一日の間に数十枚は抜ける。たくさんあっても不思議ではない。だが今まで全て金剛が燃やしてくれていたし、枕にし始めてからはここまで溜まることはほぼない。それでも少なからず余り、それは全て溶かしてもらうように孔雀へ預けていた。当然跡形も無くなっているはずだ。
 けれど鞄には抜けたままの羽根が詰め込まれている。不思議に思い羽根を掻き分けると、薄珂の指がつんっと何かに触れた。それは紙の束だった。何枚かの書類が束ねられていて、よく見れば以前立珂が作った枕も入っている。
 薄珂は不安に駆られて書類を見たがまだ読めない文字ばかりだった。内容は全く理解できないけれど、一つだけ分かった文字があった。
「……有翼人売買証明書?」
 書類の表題には有翼人を売買することを意味する言葉と、その下には天藍の名前が記されていた。
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