第二十話 蛍宮皇太子

文字数 2,670文字

「先生が主犯とは思えない。腕力が低く知力の高い人間は獣人の中で誘拐なんてしない」
「……長老様が舌を巻くわけだ」
 孔雀は眉をひそめながらも面白そうに口角を上げた。体の力を抜いて息を吐くと、そっと胸に手を当て俯いた。
「私は嘘を吐きました。君の言う通り、ある方に頼まれて色々と動いています。それも二か月前から」
「二か月?」
 ぴくりと薄珂は目じりを揺らした。二か月前というのは薄珂と立珂にとって大きな分岐となった頃だ。
(俺達が里に来た頃! そうか! 俺を狙った奴の仲間か!)
 薄珂の中で一連が繋がり、ぐっと身構え孔雀を睨み付けた。けれど孔雀は俯いたままで、胸に当てた手がぶるぶると震えている。よく見れば唇をきつく噛みしめている。
「本当は君達を巻き込みたくなかった。でも私は従うしかない立場なんです」
「巻き込みたくない?」
 薄珂は眉間にしわを寄せた。薄珂を狙ったのなら巻き込むも何もない。巻き込むために動くのだ。
(……俺を狙ってるんじゃないのか? じゃあ一体誰が)
 まだ警戒を解くことができずにいたが、この緊迫した空気を無に帰すような明るい声が近付いて来た。
「薄珂ちゃん! よかった、無事ね!」
「……おばさん!?」
「よかったわ合流できて。ああ、立珂ちゃんには慶真おじさんが付いてるから大丈夫よ」
「あ……」
 白那にぎゅっと抱きしめられて、薄珂はへなへなと床に座り込んだ。天藍と孔雀は疑わしいが、絶対的に立珂の味方である慶都とその一家の愛情は最も信じられるものだった。白那は大丈夫大丈夫、と優しく抱きしめ続けてくれる。
 けれどその時、ふと違和感があった。抱きしめられて頬に触れる服の生地はとても滑らかで柔らかい。里で着ていたぼろぼろの布とは大違いだが、これは見たことのある生地だった。
「……これ天藍がくれた生地と同じ?」
「あ、そうよ。これを作った余り布なんですって」
「は……?」
 薄珂は咄嗟に白那を突き飛ばし距離を取った。白那は天藍が作った服だと言った。それはつまり繋がっていたということになる。
「おばさんも仲間だったの!?」
「え? 何の?」
「どういうことだ。まさかおじさんも仲間なのか。慶都も!」
「え? え?」
「説明がまだなんですよ」
「ああ、そうなのね」
 白那はびっくりしたように目を丸くして孔雀を見上げた。孔雀は苦笑いをしたが、薄珂と目線を合わせるように床へ膝を付いた。手を握ろうとしてきたが、薄珂は反射的にその手を振り払った。
「黒幕は誰だ」
「君の考えてることは半分正解で半分不正解です。これ以上はその黒幕からご説明頂きましょう」
 孔雀は立ち上がると薄珂に背を向け歩き出した。付いてきなさいと言うかのように身構える薄珂を見ながら兵士と話を始めた。しかしどういうわけか兵士の方が恭しく礼をしていて、孔雀の指示でばたばたと動き出したようだった。
 一体どういう事態なのか分からず冷や汗をかいたが、白那は焦る薄珂を再び抱きしめてくれた。母親を知らずに育った薄珂と立珂が初めて知った母親という存在で、抱きしめてくれる力は弱いが金剛とはまた違う安心感を与えてくれていた温かさがそこにはある。
「不安よね。でも大丈夫よ。ついていらっしゃい」
 薄珂は笑顔で頷くことはできなかった。けれど白那は薄珂の手を引き、兵に連れられ何処かへ歩き出した孔雀の後を付いて行った。
 少し歩くと壁や装飾が変わってきた。進めば進むほど豪華になり、透明できらきら輝く石や色鮮やかな花が飾ってある。入国審査の待機所とは違う場所に来たことは明らかだった。そして孔雀は特別豪華で大きな扉の前で足を止めた。白く輝く荘厳な大扉はいかにも偉い人がお待ちかねという雰囲気だ。
「ここに黒幕がいます」
「……ここに?」
 孔雀が目配せすると扉の横に控えていた兵が二人がかりで大扉を開けた。
 薄珂はきょろきょろと辺りを見回した。森育ちの薄珂には豪華すぎて下品にも思えたが、とても一般人が足を踏み込んで良い場所には思えなかった。どくどくと心拍数が上がっていくが、孔雀はすたすたと中へ入っていった。
「薄珂ちゃんも」
「え、あ、う、うん」
 白那に背を支えられて薄珂もようやく一歩踏み出すと、中は大きな広間になっていた。床は滑らかで艶やかな白い石が張り巡らされていて、薄珂の使い古した靴ではつるりと滑ってしまう。見上げる天井は高くてそれにも目がくらんだ。
(何だここ。人が住む場所じゃないだろ)
 部屋は白を基調に黄金の装飾が施されていてそれだけで圧巻だ。しかも広間の壁には兵士や役人が一列に並んでいて、華やかな衣装をまとう女性たちは平伏している。本でしか世間を知らない薄珂でもここがこの国の頂点を極めた場所であることは想像がついた。
 何をされるのか予想もつかず後ずさったが、逃げることは許さないとでもいうかのように大扉は閉ざされた。すると同時に、ぴい、と美しい笛の音が鳴り響いた。それを皮切りに様々な楽器が音を奏で始めると、向かい側の扉が重い音を立てて開かれた。合せて一段と高い笛の音が響くと、他の兵よりも豪華な服を着た若い男性が声を張り上げる。
「皇太子殿下ご入場なさいます!」
「えっ!?」
 薄珂がぎょっとしていると、孔雀と白那は床に膝を立て深々と頭を下げた。
 いつも一緒に泥を弄っていた二人とは思えない上品な振る舞いに薄珂の脳は付いていかない。何なの、ときょろきょろし続けるとついに大扉から一人の男が姿を現した。
「白那。案内ご苦労」
「お役に立てて光栄でございます」
「孔雀。よく無事に薄珂を連れて来てくれた。礼を言う」
「もったいないお言葉です、皇太子殿下」
「……皇太子?」
 薄珂は孔雀が皇太子だと呼ぶ男の顔を見て震えた。皇太子とは国を統べる人の称号だと公吠伝に記されていたのを思い出す。それを証明するかのように男はやたらと派手に飾り付けられていた。しかしその豪華で美しい、立珂なら大はしゃぎするであろうそれらを皇太子は脱いで放り捨てた。まるで皇太子とは思えないやりようだったが、薄珂にはその方がよっぽどなじみ深かった。
「薄珂ちゃん頭を下げて。皇太子殿下の御前よ」
「皇太子殿下? こいつが? 嘘だよ。だってこいつは」
 孔雀と白那を労った皇太子は薄珂に目を向けた。見つめられるその目はまるで血のように真っ赤だった。その赤は皇太子の白い髪によく映えていた。白髪に赤目。兎のようなその容姿を薄珂は良く知っている。
「あんたは」
「蛍宮皇太子晧月だ。待っていたぞ薄珂」
「……天藍?」
 薄珂は何も理解できず、脚の力が抜けてころりと床に転がった。
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