第二十九話 宮廷職員・薄珂

文字数 3,289文字

 薄珂は護栄のくれた服に袖を通して男たちの前へ戻った。
 着替えた薄珂を見て、明恭の男たちは一斉にざわつき始める。

「宮廷の規定服!?」
「いや待て! あれは、あの衣は護栄様と同じ型だぞ!」
「腰帯の玉飾りもだ。護栄様と同じ色……」

 宮廷の規定服は立場により一部形状と装飾が異なる。
 皇太子である天藍は唯一無二の服装で、護栄と同じ服を許されるのは宮廷でたった三人。
 護栄はにこりと美しく、けれど自慢げに微笑んだ。

「ご紹介します。私直属の部下、薄珂です」
「護栄様直属!?」
「まさか! こんな子供が!?」
「……で、では、来賓というのは本当に?」
「そうです。立珂殿の羽はこの国全てを魅了した」
「羽?」

 男たちは再び立珂を凝視した。
 その目に移る羽は濁ってしまったが、出会った当初は白く美しく輝いていた。
 それは他ならぬ明恭国皇女愛憐がこよなく愛した羽根だった。

「そうか! 愛憐様がお気に入りだというのはこの子の羽根か!」
「そうだ、そう、確かに美しい羽だった……」
「そうでしょう!」

 立珂は突如顔を上げぱあっと笑顔を見せた。その瞬間に羽は純白になり、あっという間に輝きだした。
 その変貌は明恭の男たちが思わず声をあげてたじろぐしまうほどだ。

「これは薄珂がお手入れしてくれてるんだよ! すごいでしょ!」

 立珂は羽を見せつけるようにふりふりした。
 薄珂の愛の結晶である羽を褒められると立珂は太陽のように輝く笑顔を見せる。嬉しくて仕方ない、立珂はそう思っているだろうことは誰しもが分かるだろう。

「薄珂はすごいんだ! 他のみんなの羽もきれいにしたんだよ!」
「他のみんな?」
「明恭にお送りしている褞袍。あれは『天一』の品ですが、羽根の調達をしているのは薄珂です」
「……聞いたぞ。数百数千という膨大な数を一夜にして用意したのは一人の少年だったと」
「ではこの子が麗亜皇子の称賛した少年か!」
「その通りだ。その子らこそ明恭の救世主」
「麗亜皇子!」

 護栄に次いで現れたのは麗亜と愛憐、そして響玄だ。
 愛憐は床に散らばっていた立珂の茶色くにごった羽を見て、顔を青くして駆け寄り抱きしめてくれた。

「あなた達! 何ということを!」
「この子らを傷付けたら蛍宮の法に則り処罰を受けると言っておいたはずだよ」
「い、いえ、そんな、議論をしていただけで」
「ふざけるな。一方的な誹謗中傷は議論とはいわない」
「そ、それは……」

 男たちはがたがたと震え出した。
 立珂が傷付いた以上罰は免れない。それは愛憐で実証されている。
 麗亜は怒りと呆れが入り混じった顔をしていた。

「頼んだはずだよ。職人のこだわりも明恭の矜持もあるだろうが、歴史に固執せず新し」
「歴史!? みんなは明恭の服の歴史を知ってるの!?」
「え?」

 真面目に語る麗亜の声を遮ったのは立珂だ。
 男たちに駆け寄りきらきらと目を輝かせている。

「明恭の服をいっぱい知ってるの!? 覚えてるの!?」
「はあ、それは当然」
「そうなんだ! あのね、僕の考えた冬服は蛍宮用なんだ! でも歴史を無視したら失敗するんだよ! だから明恭の歴史を教えてほしいの!」

 被害者である立珂の明るい笑顔にその場の全員が目を丸くした。これから罪人になる予定だった明恭の男たちもだ。
 しかし立珂はそんなことには気付かず、服を握りしめはしゃぎ始めた。

「僕の服は有翼人じゃなくても着れるように作ってるの! すごいでしょ!」
「き、君は有翼人専門じゃないのか」
「他のも作るよ! 明恭のもそうしようよ! そしたらみーんなしあわせになるよ!」
「……しあわせに?」
「そうだよ! 早く作ろう!」

 立珂はぱあああっと眩しい笑顔を放った。それは羽にも移っている。
 全員が固まる中、くすっと笑い動いたのは麗亜だ。

「立珂殿。まず彼らにごめんなさいをさせてくれませんか」
「う? あ、そうだね。うん」
「皆。立珂殿は心優しい御方。愛憐もこの愛情深さにより和解を許された。ご温情に感謝し全員謝罪をしなさい」
「は、はい!」

 明恭の男たちは慌てて立珂の前に膝を付き、深く頭を下げた。

「申し訳ございませんでした。どうか今一度ご教示頂く機会を頂けますでしょうか」
「……う?」
「もう一度一緒にやらせてくれってさ」
「あ、うん! やろう! 一緒にやろう!」

 難しい単語が並ぶと立珂は理解が追い付かないこともある。
 くりんと目を丸くしている立珂を撫で、薄珂も男たちに向き直った。

「立珂が許すのなら被害届は出さない。でも次はないよ」
「心得ました。以後言動には注意してまいります」
「有難う。そこで傍観してる取りまとめ役もそれでいいの」
「これは失礼」

 薄珂はここまで他人事を決め込んでいた柳に目をやった。
 柳はにやりと笑い、男たちの前に立ち深く頭を下げた。

「指導が行き届かず申し訳ございません」
「あなたとは少し話をしたい。響玄先生、暁明様。立珂と一緒に商品説明をお任せしてもよろしいでしょうか」
「もちろんだ。立珂、おいで」
「はあい!」
「私も行くわ。お兄様、随伴を離れることお許しください」
「ああ。任せたよ」

 響玄は父のように立珂を抱っこした。立珂本人が思うよりこころが落ち着くには時間がかかる。そういう時は信頼されている誰かが抱きしめてやるのが良いのだ。愛憐もしっかりと立珂の手を握ってくれている。
 そうして響玄にこの場を任せ、薄珂は柳を連れて会議室へと場所を移した。
 侍女がお茶を淹れてくれて一息つくと、薄珂は柳を睨みつけた。

「あんた何なの」
「礼儀知らずな強気でいいね」
「役目を果たさず傍観してた人に払う礼儀はないよ。何の目的で店まで来たんだ」

 柳はくすくすと笑い、指先でこつんと机と叩いた。

「麗亜と愛憐が今までどんなだったか知ってるかい?」
「何急に。仲良かったんでしょ」
「どうしてそう思う」
「だって愛憐を助けに来たし」
「あれは助けに行ったんじゃない。愛憐の首で赦しを乞うために行ったんだ」
「何それ。するわけない。するもんか」
「本当だよ。罪人の命で輸入継続して貰えるのなら安いものだ――と誰もが思った。公吠様もだ。それくらい有翼人の羽根は重要で、愚鈍な姫は必要ない」

 恐ろしい言葉に薄珂は思わずびくりと震えた。
 あの時から麗亜はやけに薄珂を気にかけてくれている。護栄へ連絡する書状には必ず薄珂宛ての手紙があり、しばしばやりとりをしていた。
 けれど内容はどれも些細なことで、お互い妹と弟の話を綴るだけ。
 どれも愛憐への愛情を感じられるのに、麗亜に愛憐を殺す選択肢があったなんて信じられなかった。

「その麗亜が今じゃ妹を猫可愛がりだ。何でかと聞けばお前の真似をしているという。意味を聞いたら『兄だから』だ。俺は数字しか見ない麗亜を気に入ってたってのに。しかも君は来賓で護栄様直属の部下ときた。一体どんな奴だ君は」
「俺は立珂が大事なだけだ。それだけだよ」
「それだけ? それだけで蛍宮と明恭を動かしたと? 馬鹿か。自分の影響力を考えろ」
「影響力って……」

 薄珂は響玄を始め、称賛されることが増えていた。最初は深く考えていなかったが、今では少ながらず理解している。
 自分が動かしたことがあれば、動きたくないのに動くことを余儀なくされた犠牲者もいる。影響力というのはそのことで、暗に『お前は考えなしだ』と言われたのだ。 
 薄珂はぐっと拳を握り言い返そうとしたが、こんこんと扉を叩く音がした。

「薄珂殿を単なる兄馬鹿だと思ってると痛い目を見ますよ」
「これは護栄様」

 入って来たのは護栄と麗亜だった。
 護栄の手には幾つかの布があり、それを見て薄珂は護栄に駆け寄った。

「どうでしたか、これ(・・)は」
「品質確認が終わりました。問題無しです」
「いい加減それが何なのか教えて下さいよ、護栄殿。薄珂殿、何なんですか?」
「秘密兵器です。冬はこれが勝負になる」
「勝負?」
「はい。それでは麗亜様」

 薄珂は宮廷服の上着を脱ぎ、持って来ていた『りっかのおみせ』の制服を羽織った。
 そして護栄と二人揃ってにっこりと微笑みを麗亜へ飛ばす。

「商談を始めましょう」
「え……」

 いやだ、と麗亜の目が語っていた。
 
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み