第二十七話 莉雹

文字数 3,346文字

 莉雹が宮廷侍女になったのは十五歳の頃だった。
 家はそれなりに裕福で、そういう子供は寄付を目当てで宮廷に召し上げられる。莉雹は学舎へ通い学問を究めたいと思っていたが断念せざるを得なくなった。
 予想通り侍女の仕事は退屈で、人目を忍んでは書庫で勉強をしていたらいつの間にか文官とも対等になっていた。
 だが戦争が繰り返されるようになると民は生活が苦しくなっていった。これで良いのかとうなだれていた頃に解放軍が攻めてきたという一報が入った。
 それは青天の霹靂だった。あまりにも急なことに誰も対応ができず、莉雹は朝食途中の侍女たちを連れて地下牢へと逃げた。
 地上からは悲鳴が上がり続け、数時間程したらついに牢の扉が開かれた。全員が悲鳴を上げたが、入って来たのはまだ成人もしていないような薄汚れた少年だった。

「規定服のまま牢屋に逃げるってのは頭良いね。悪人に虐げられた哀れな侍女に見えて最高」
「口のきき方がなっていませんね。どこの子です」
「名乗る義理はないね。もう終わったから出なよ」
「終わった?」
「おい! 何やってんだ護栄!」
「……名前呼ぶなってあれほど言ったろ!」
「悪い悪い。お、侍女いたか! よかったよかった」
「何者です。一体何が」
「俺は天藍。今日から俺が皇太子だ!」
「……はあ?」

 これが莉雹の転機だった。
 二人の少年はあっという間に宮廷をひっくり返し、名君名軍師として世界に名が知られたのはわずか二カ月後だった。
 生意気で礼儀も言葉遣いもなっていないが、これほどの逸材は二度と現れないだろうと確信した。だから誰が宮廷を去っても莉雹だけは残った。それは全て天藍と護栄という二人の少年のためだ。
 だが、今日の莉雹はまったく違う少年の後ろに立っていた。

(……なぜ薄珂様がこの会議に?)

 今莉雹が出席しているのは宮廷職員の規定服見直しの会議だ。そこに何故か薄珂もいるのだ。
 立珂はあくまでも有識者代表であり国政に対する発言権があるわけでは無い。それでも同席するのはまあ許容される。
 だが薄珂は立珂の兄にすぎず、言ってしまえば関係が無いのだ。
 けれど薄珂は緊張もせず穏やかに微笑んでいて、その横には立珂が座っている。そして薄珂の前には護栄だけでなく皇太子までもが顔を揃えていた。そして他にも――

(彩寧殿は分かるが、何故に慶真様が……?)

 莉雹は新しい規定服を実際に着ている姿を見せたいということで着用していたのだが、同じ役割で慶真が参加していた。
 着るだけならばわざわざ慶真を呼ぶ必要はないように思えた。男性が必要ならば薄珂本人が着ても良いだろう。
 何故こんなに人を揃えるのか不思議だったが、護栄は困惑する莉雹を見てくすりと笑って話を始めた。

「響玄殿はどうしたんです?」
「己の力だけでやってこいと」
「これはこれは。信頼されてますね」

 莉雹はぴくりと手が震えた。それはまさか出てくるとは思っていない名が出たからだ。
 響玄の名は莉雹も知っている。何度か交易の現場で顔を合わせたが、その手腕は確かなものだった。
 その響玄に信頼されているということは、本来であれば響玄が来る場面を任せたということだ。

(そうか! これは会議ではなく商談か!)

 莉雹は自分の立場上、てっきり規定服変更は宮廷の施策として進めると思っていた。
 だが莉雹が会議の手配をする前にこの場が設定されていて、おそらく侍女が気を利かせたのだろうと思っていた。それくらいは侍女とて指示など待たずにやるものだ。

(……しまった。これは私の失態)

 会議ではなく商談になってしまったなら、すなわち主導権を奪われたということでもある。
 気を抜いていた。いや、気を張るところだと思ってすらいなかったところに一撃をくらわされた。
 予想だにしない急展開に莉雹は冷や汗を流し始めると、ふと薄珂の言葉を思い出した。

『護栄様は動かないよ。というか動かれちゃ困る』

(あれは宮廷に動かれては商談の機会が無くなって困るという意味か。この子は最初から私たちを利用するつもりで……)

 まだ何も始まっていないのにこれほどの焦りを覚えたのは初めてだった。

「ではまずご提案の前にご確認させて頂きたいことが御座います」
「はい。どうぞ」
「宮廷は有翼人を差別しているというのは本当でしょうか」
「……何ですって?」
「宮廷は有翼人を差別していると一部で噂されております。これは事実でしょうか」
「まさか殿下がそのようなことをすると?」
「いいえ。ですがそう噂する有翼人もいるのです。直接相談を受けました」

 皇太子も護栄も眉をひそめていた。慶真も彩寧は思わず身を乗り出すほどで、全員が厳しい顔をしている。
 けれど薄珂は感情を一切動かさず、立珂も変わらず薄珂に寄り添っている。

「ふむ。詳細を話せ」
「はい。宮廷の規定服ですが、これは羽を出す場所がありません。そのため先代皇の時代に背の一部を割いて着用した者がいたそうですが、これは風紀を乱すとして罰せられたそうです。けれど着用せねば罰せられる。つまりこの規定服は有翼人は働かせないという有翼人差別に同義なのです。そうですね、彩寧様」
「は、はい。先代は有翼人を差別なさっていた。この規定服はその象徴でございます」

 急に話を振られた彩寧は慌てて大きく頷いた。一体いつの間にそんな古い話を聞きだしたのか。

(彩寧殿に口添えを求めたのは規定服の需要ではなく悪習の証明のためか! ……いや……考えすぎだ……)

 単にこの件に関わっている人間を呼び集めたに過ぎない。意味など無いだろう。
 けれど宮廷の悪評から話を始めたことのうまさを考えると、次に何を言い出すか興味は惹かれじっと薄珂を見つめた。

「以前護栄様は有翼人保護区の進展が悪いとおっしゃいましたね」
「……ええ。治験及ばず手をこまねいています」
「それは、これのせいでは?」

 薄珂が机に出したのは侍女の規定服だった。
 有翼人では着れない差別の象徴だ。

「有翼人差別の象徴を規定とする宮廷に、一体誰が協力を申し出るでしょう!」

 それは多くの者がなんとなく思っていたけれど、はっきりと口にしてこなかった禁句でもあった。

(なんと心の強い子……)

 自分に言われたわけでもないのに、莉雹は思わず一歩後ずさった。

「ですがこの悪評を払しょくし、かつ宮廷職員からも支持を得る良い手が御座います。それがこれ」

 薄珂は立珂と共に立ち上がった。立珂を前に立たせ膝を付き、にこりと微笑んだ。

「こちらが今回ご提案申し上げたい新たな規定服でございます。これは立珂(・・)が考案致しました」
「お前ではなく」
「立珂です」
「はーい! 僕が考えたよ! 侍女のみんなにも意見を貰って、試着もちゃーんとしたんだよ!」
「は? もう告知をしたんですか?」
「いえいえ、これは『立珂が欲しい服を侍女の皆様に作って頂く』という現契約内のこと。規定服になるとは申しておりません。莉雹様もご同席下さっていましたからご存知です。そうですよね」
「え」

 全員がばっと莉雹を振り返った。
 この数日、薄珂と立珂は離宮で服作りに勤しんでいた。有翼人が動きやすい服について議論しながら、時には宮廷の過ごし方についても意見を貰い、それはまるで『新しい規定服を作ってくれるに違いない』と思うようだった。

(確かに規定服とは名言はしていない。いずれ改定するつもりだったから止めなかったが、それも私に証言させることで護栄様の付け入り処を無くした……)

 薄珂はにこりと微笑んでいた。その微笑みに引きずられ、こくりと莉雹は小さく頷いた。

「……はい。ただいつものように楽しく服をお作りになられていました」
「そ」
「そうだよ! とっても楽しく考えたよ!」

 護栄が何か言いかけたが、同時に立珂がぴょんっと飛び跳ねた。これ可愛いでしょう、と興奮してはしゃぐ愛らしさには誰も逆らえない。
 それには皇太子までもがくくっと声を上げて笑った。 

「面白い。詳細を話せ!」
「有難うございます。ではまず獣人専用服をご紹介します」

 え、と莉雹と彩寧は驚き薄珂を見た。ここで出てくるのは有翼人の話のはずだ。
 けれど薄珂はにっこりと穏やかに微笑んでいた。
 それはまるで響玄が商談をしている姿を彷彿とさせ、莉雹は思わず拳を握りしめていた。
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