第六話 波紋

文字数 4,456文字

 店を出て中央を走る大きな通りを渡り、さらに数分歩いて到着したのは大きな花畑だった。
 一面紫で漂う香りは薄珂たちに馴染み深い薫衣草だ。

「わああ!」
「薫衣草って蛍宮の花だったのか?」
「違うよ。ここは孔雀先生が作ったんだ。何でだか知らなかったけど、有翼人のためなんだな」
「へえ、そうだったんだ」
「獣人だけじゃなくて有翼人のことも考えてるなんて、やっぱ凄い人だ」

 花畑には大勢の人がいるが、そのほとんどが有翼人だった。
 立珂以外の有翼人を見たことのない薄珂と立珂にとっては新鮮な光景だ。
 しかし彼らは何をしているわけでもなく、ただごろごろとしているようだった。うつぶせになっている者が多いので、紫の中にふわふわと漂う羽はまるで雲のようだ。
 立珂はうずうずして薄珂の腕から飛び降りた。

「僕もごろごろする!」
「いいぞ。着替えも持って来てるからいっぱい遊ぼう」
「わあい!」

 立珂はばふんと薫衣草に飛び込みふんふんと香りを嗅いだ。にこにこと微笑んで頬を緩める様子はとても愛らしくて、薄珂は幸せのあまり立珂の頭を撫でた。
 くふふと笑っていた立珂だが、ん、と眉をひそめて身を起こした。

「変なにおいする」
「におい?」
「水みたいな……くすりっぽいような……」
「薬!?」

 立珂はにおいで具合を悪くしたばかりだ。薄珂は慌てて立珂を抱き寄せ、肩に押し込めた。

「大丈夫だよ。でもこれいいのかなあ」
「私は何も感じませんよ。慶都は分かりますか?」
「んーん。薫衣草のにおいしかしない」
「もしかして有翼人だけに分かるのかしら」

 ふんふんと立珂は鼻をひくつかせ、薄珂にしがみ付きながらにおいの元を辿った。
 すると立珂がにおいの元だと断定した場所には水が流れていた。自然の川ではなく、人の手で整えられた川だった。金属のような何かが地面に埋め込まれていて、そこに水を流しているのだ。
 立珂は近付くのを嫌がり、背を向け薄珂にぎゅうっと抱き着いた。薄珂はその場から少し離れたが、創樹は川を覗き込み首を傾げた。

「これ孔雀先生が作るの反対したやつじゃないか?」
「孔雀先生が?」
「ここ作る時にもめてたんだよ。先生は有翼人のためにならないって言ってたけど、宮廷の人は作りたかったみたいで」
「ああ、そんなことありましたね。作るのは宮廷ですから断行したんでしょう」
「すごく変なにおい。だからみんなここに近付かないんだ」

 言われて周囲を見ると、たしかに有翼人は一人もいなかった。
 いるのは人間と獣化した獣人だろうか、動物たちがたくさん水と戯れている。

「ぼく、触らない方がいいわよ」

 ぐいっと立珂の手を引いたのは有翼人の女性だった。鼻を手で覆って顔をしかめている。

「やっぱり変だよね、このお水」
「土を通ってないの。あの噴水から出てるみたい」
「あれは水道水ですね。飲み水にもなる綺麗な水ですよ」
「あたしたち有翼人は金属に触れた水は飲めないわよ」
「分かる。宮廷のお水もくさい」
「なんですって? では毎日どうしてたんです。料理でも使うでしょう」
「井戸水だよ。孔雀先生が僕には水道水飲ませちゃ駄目って侍女のみんなに頼んでくれたの」
「では有翼人の皆様は?」
「あっちの方に川があるの。遠くて大変だったんだけど、孔雀先生が居住区まで流れるようにしてくれて凄く楽になったわ」
「おお! さすが孔雀先生!」

 慶都の両親は怪訝な顔で見合わせ、薄珂と立珂も顔を見合わせて目をぱちくりとさせた。
 森育ちの二人は人間の水道を使うという選択肢自体がなかった。里にも水道はあったが、立珂が嫌がるので極力使わないようにしていたのだ。しかし思い返せば、水道水は体に悪いから止めておきなさいと孔雀が指導してくれたのだ。

「遊ぶなら反対側にしなさい。四阿には加密列茶を淹れる道具も揃ってるから」
「加密列茶といえば孔雀先生」
「そうよ。孔雀先生が置いてくれたの。おかげで有翼人の憩いの場になったわ」
「孔雀先生って凄いね」
「そうだな。今度ちゃんとお礼しような」

 気を付けなさいね、と有翼人の女性は手を振って去っていった。
 言われた通り反対側へ行くと、今度は加密列畑が広がっている。四阿は小さなものだったが、たっぷりの茶葉と急須、湯飲みが一式揃っている。宮廷でも立珂の飲み物は加密列茶で、それも最初のころ孔雀が侍女に頼んだものだった。
 そして立珂を始め、子供達は花畑を走り回った。疲れたら四阿で休憩してまた走り回り、体中を土と花で汚しきっていた。
 それから日が暮れるまで遊び尽くすと、立珂と慶都はいつの間にか薫衣草に埋もれて眠ってしまっていた。

「よっぽど楽しかったんですね、立珂くんと慶都は」
「うん。こんなに楽しそうなのは久しぶりだ。また連れてこよう」
「では今日は帰りましょうか。立珂くんは着替えさせてあげましょう」

 いつも通り、車椅子に積んだ立珂の着替えを取り出し腰布を取り換え羽織をかぶせてやった。

「車椅子使うか?」
「ううん。振動で起きるから抱っこする」
「では創樹くん車椅子をお願いします。私は少々用ができたので先に戻っていてください」

 慶真は妻に慶都を任せると、足早にどこかへ向かって行った。その妻も一体どうしたのだろうと不思議に思ったようだったが、立珂にくっついている息子をべりっと引きはがし抱き上げる。
 薄珂も立珂を抱き上げ、家族は幸せに包まれて宮廷への帰路へとついた。

 宮廷に入ると全員で慶都一家の部屋へ向かっていると、一人の少女が薄珂たちをじろじろと見ているのに気が付いた。その後ろには男性が五名控えている。
 うち二人は宮廷の制服を着ているが、他の三人は見たことも無い服を着ていた。蛍宮は詰襟の服が主流だが、少女は左右の身頃を重ねて合せた服を着ている。胸元からふわりと広がる薄く輝く生地は何層にも重なりとても美しい。髪飾りにも首飾りにも大きな宝石が使われていて、全身が輝いていた。
 少女はそんな高級品の輝きも霞んでしまうような美貌だが、くすくすと馬鹿にしたように笑っていて薄珂は不愉快さを覚えた。
 そして少女は高らかに笑いながら立珂を覗き込んできた。

「抱っこなんてみっともない。小さな子供じゃあるまいし」
「何だよお前。立珂は脚が悪いんだ」
「立珂? あら、じゃああなたが薄珂? 殿下と良い仲だという少年の」
「え!? や、え、えっと」

 予想もしていなかった指摘に薄珂は思わずたじろいだ。
 蛍宮は同性婚の制度があり、性別で否定されることは無い。薄珂が返答に詰まったのは性別ではなく仲が良いと言い切れなくなっていたからだ。
 もう何日も会っていないし会う手段も知らないなど、こんなのは仲が良いとは到底言えない。
 だがそれでも違いますと否定はしたくなかった。ぐっと拳を握りしめて唇を噛むと、それに気付いたのか少女はくすくすと笑い、今度は創樹へと視線を向けた。

「そこの少年は何なの?」
「俺は薄珂と立珂の世話係だよ」
「世話係? それは普通侍女じゃなくて?」
「歳の近い相手がいいだろって殿下がご配慮なさったんだ」
「殿下のご配慮。ご配慮で選ばれた少年というわけね」
「は、はあ……」
「そういえば慶真殿のご子息が国営の学舎にご入学なさったとか。その子?」
「はい。有難くも殿下がお心砕き下さったんです」
「殿下がお心砕きなさった少年ね」

 少女は全員をじろじろと見ると、またくすくすと笑った。
 明らかに馬鹿にしているのが分かり薄珂は言い返してやろうと思ったが、慶都の母が薄珂たちを守るように前に出た。慶都を創樹に預け、両手を組んで深々とお辞儀をする。

「ご来賓の方とお見受けいたします。私共に問題がございましたでしょうか」
「いいえ。天藍様はとてもお優しい方だなと思っただけです。少年にばかり、ね」
「……それはどういったことで御座いましょうか」
「いいえ。それだけよ。それじゃあまた会いましょう、薄珂」
「は?」

 少女は薄珂を見下すように笑い、嗅いだことのない香りをくゆらせどこかへ消えていった。
 何故名指しで再会を叩きつけられたのか分からず、薄珂は顔をゆがめた。得も言われぬ苛立ちを覚えたが、怒りを爆発させるのを止めるかのように立珂がもぞもぞと身体をよじらせた。

「薄珂ぁ……?」
「ああ、ごめんな。うるさかったな。もう部屋だから寝てていいぞ」
「ん……」

 立珂は少女のにおいが嫌だったのか顔を薄珂の首に押し付けていた。せっかく楽しかった一日が不愉快なにおいで濁っていった。
 謎の少女へのいら立ちは募ったが、立珂が聞いていなかったのは薄珂にとって幸いだった。
 楽しい一日だったと締めくくり、あれから毎日花畑へ遊びに行っている。そのおかげか羽は輝きを増し、有翼人すら見せてくれと寄ってくるようになった。最初はまた具合が悪くなったらどうしようかと思ったが、同族に出会えた喜びが勝るようで立珂は笑顔が増えていった。

「立珂様の羽根いただきに来ました!」
「ありがとー。これだよ。持てる?」
「はい!」

 立珂の仕事は羽根を納品することだ。
 溜めた抜け羽根を渡すのだが、契約した基準に満たない場合は背に生えているものから抜いて取る。
 わざわざ抜くのかと慶都は不安そうにしていたが、立珂は一枚が大きすぎ伸びるのも早いため三日に一度は羽を梳く必要がある。ようするに立珂はただ楽しく暮らすだけで良いのだ。
 回収係りの少年たちはぺこりと頭を下げ、受け取った羽根を持ち出て行った。その姿を見て立珂はんー、と首を傾げた。

「持って行ってくれる子増えてない?」
「そうか? 創樹分かる?」
「下働きの子が増えたって言ってたけど俺らには関係無いよ。どうする? 庭で遊ぶ?」
「うん! 慶都が帰って来たら花畑行きたい!」
「またか? 慶都もそろそろ飽きるんじゃないか?」
「慶都は立珂第一だから飽きないよ」
「まあそうだろうけど」

 慶都は学舎に通っているので日中は宮廷にいない。帰って来たら全員で遊びぶのだが、それまでは羽を手入れしたり侍女と遊んだりして待っている。
 慶都を待つため立珂を抱きかかえて中央庭園へ出たが、そこには既に慶都の姿があった。しかしこちらには気が付かず、一緒にいる少年と話し込んでいるようだった。

「慶都帰ってたんだ。一緒にいるの学舎の友達かな」
「宮廷に一般人は入れないよ。下働きの子じゃないか?」

 三人で慶都が話終わるのを待っていると、少年と別れた慶都がようやくこちらに気が付いた。
 立珂を視界に捕らえた途端にぱあっと笑顔になり、全力で走ってきて立珂の手をぎゅっと握った。

「立珂ただいま! 待ったか!?」
「うん。でも友達と一緒なら遊んでていいよ」
「ううん。あいつら仕事なんだってさ。それより今日は何して遊ぶ? お昼寝するか?」
「また花畑行きたいの。でも飽きたなら違うとこでもいいよ」
「飽きるもんか! 立珂が笑ってるのが俺は一番嬉しいんだ!」

 ここまで一度も立珂以外を見ないのは慶都らしく、薄珂と創樹はくくっと笑った。
 そうしていつも通り立珂の着替えを持って花畑へと向かって行った。


ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み