第十五話 薄珂嫌われる
文字数 3,216文字
「護栄様の第一秘書官?」
「財務経理を統括している。護栄様直属の部下になったのは僕が初めてだ」
「初めて……」
突如現れた青年の自己紹介に薄珂は引っかかりを覚えた。
宮廷職員は先代皇派を除きほぼ全て護栄の部下にあたるが、直属となると話は別だ。
以前護栄から聞いた言葉が脳裏に浮かぶ。
『私の元で生き残ったのは三人だけですよ』
護栄直属の部下は三名だけだ。
「三人の生き残りの一人!」
「は?」
「あ、いえ」
護栄には大きく四つの仕事がある。
一つは皇太子天藍に関わる全てを行う秘書官だ。政治も雑事も何でもで、これが主業務だ。
二つ目は先代皇派の協調だ。かつては敵でも国を想う気持ちは同じ――という建前を持って手のひらで踊らせる政治的軍師だ。
三つ目は職員の採用関連だ。天藍を引きずりおろそうとする者は少なくない。そのため宮廷に出入りする者は厳しい審査があり、それを統括している。
そして四つ目は、浩然が現場指揮を執る財務経理だ。宮廷予算を一手に担う存在である。
(大きな方針は護栄様が決めるけど、実際やるのは別の人なんだっけ。それがこの人か)
浩然はいかにも知的な顔立ちで、凛とした雰囲気はどことなく護栄に似ている。
着ている規定服も着崩さずきっちりと着こなしていて、上品な立ち姿も護栄を彷彿とさせた。
それだけに剥き出しの敵意は護栄に睨まれてるようで恐怖を覚える。
「えっと、護栄様に会いに来たの?」
「いや。君に話があるんだ」
「俺に?」
「護栄様がどういう方か知っているか」
浩然は薄珂の言葉へ食い気味に問いかけてきた。
睨まれる圧が強すぎて薄珂は思わず一歩下がってしまう。
「凄い人だと思ってるよ」
「当然のことを言うな。何故凄いんだと思う?」
「……戦争を三日で終わらせたとか、難しいことなんでもできるとか」
「三日で終わらせた具体的な方法は? 難しいことというのは何を指している?」
「え……」
浩然はじりじりと距離を縮めてきた。
何か答えなければと口を開きかけたが、それを待たずに浩然はまた語り始めた。
「知らないだろう? あの方がこの国にとってどれだけ重要か、君は話でしか知らない」
それは確かにそうだ。行動を共にする中で凄い人物であることは実感しているが、具体的にやっていることは知らない。
護栄に関して無知である事が罪ならば、今罰せられても仕方がない。
だがここは政治の場ではない。立珂の店の前だ。
浩然の怒りの理由は分からないが、立珂が笑顔でいられるこの場所を踏みにじられるのは我慢ならなかった。
「それ今ここで話す必要ある? 立珂の店には関係無いよ」
「そうだ。関係無い。関係のないことで君は護栄様の時間を奪っている。その裏で何が起きているか分かっているか」
「知らないけど……」
「護栄様の分を他の者で穴埋めをしなくてはいけない。だがあの方の穴を埋めるなんてできないんだ。そのために五人も十人も過重労働になっている。君達兄弟のために何人もが犠牲になっているんだよ」
「犠牲って、でも護栄様は」
「自分のことは自分でやってくれ。護栄様の手を煩わせるな!」
「は?」
そう言うと、浩然は薄珂をひと睨みして去っていった。
(なんだあいつ~!)
*
その夜、家で夕飯を食べている間も立珂は今日を振り返り興奮していた。
「お客さんいっぱいだったね!」
「『りっかのおみせ』にも来てくれるって言ってたな」
「欲しい物も教えてくれた! 羽を抑える物が欲しいんだって!」
「抑える? 羽が痛んだら宮廷に買ってもらえないぞ」
「お仕事してお金もらってるから羽根売る必要ないんだって。んで、お仕事には羽が邪魔だから抑えられる服が欲しいって」
「ああ、そっか。芳明先生もそうだよな」
「それでね。僕こういうのどうかなと思ってるの」
立珂は帳面を取り出して絵を描き始めた。
それは羽をしまえる服や縛る帯のようなもので、けれどどうしても見栄えが悪くなることを悩んでいるようだった。
こんなに一生懸命な立珂が見れるのは『天一有翼人店』という新しい挑戦があってこそだ。
けれど薄珂は浩然に言われたことが気になっていた。
『自分のことは自分でやってくれ。護栄様の手を煩わせるな!』
(そうだよな。商談ならともかく、客寄は違うよな)
だが店員になりたいというのは護栄本人が言い出したことだ。無理にやらせているわけではない。
しかし薄珂と立珂がいなければこんな余計なことに時間は割かなかっただろう。
表情をころころさせる立珂を見て幸せを感じる反面、その犠牲になっている何かがあるのだ。
(でも護栄様は情に流されず犠牲を出し大きなことを成す。それが『人を狂わせる覚悟』だ)
護栄は言葉巧みに人を動かし戦争を勝利へ導いた。
その裏で犠牲になったのは先代皇派で、だから今も戦い続けている。
(けど護栄様は優しい人だ。犠牲を承知で断行するのは非情だからじゃない。きっと……)
薄珂の頭には護栄によく似た雰囲気の浩然が思い出され、ぎゅっと拳を握りしめた。
*
そして翌日、売り場に行くと既に護栄がやって来ていた。
『天一有翼人店』の服を身に着け商品を一つ一つ見ている。
「おはよう。どうしたの?」
「おはようございます。この服の形状の意味を考えてまして」
「形状?」
「立珂殿の服は複数の布を釦と紐で組み合わせるのが基本。これは縫製の手間があるでしょう」
「だって有翼人は布がばらばらじゃないと駄目なんだもの」
「それは何故です?」
「一人で着替えられないからだよ。穴が開いてても通すために羽を折り曲げて外から引っ張らなきゃいけないでしょ?」
「いっぱい動くから汗かいちゃうの。着替えるだけで汗疹になるの」
「なるほど。では部品だけ売ってみては?」
「『りっかのおみせ』では売ってるよ。でも『天一有翼人店』でそれやると安っぽく見えるかなって」
「それはありますね。使い回しのような印象もありますし」
「うん。それに利便性を追求するのは『りっかのおみせ』ならではにしておこうと思って」
「差別化ですね。なるほど。これは客へ教えるべきことですね」
美星に言われて考えることでもあったのか、護栄は片っ端から立珂に魅力の説明を求めた。
それもすぐに理解し、早くも立珂と服の議論をしている。
立珂はにこにこと嬉しそうにしていて、耐え切れず笑いが零れたようだった。
「うふふ!」
「何です?」
「護栄様が服のお話してくれて嬉しいの。たのしいの!」
「……服など着られれば良いと思っていました。ですが知れば奥深い。私はもっと既存の服に似ていた方が良い気がします」
「う? なんで?」
「抵抗があるんです。立珂殿の服は劇団の衣装に近い印象がある。これで賓客をもてなすのは少々難しい」
「そっか。ふざけてるって思われるかもしれない」
「ええ。着易さを損なっても現状に寄せた方が良いでしょう」
「そうだよね。こっちが大人になった方が穏便なこともあるし」
「う? どういう意味?」
「この服の良さを理解せず怒る人は相手にしない。喜ぶこと言って気分良くさせて流すんだよ」
「おー」
「あなたは意外と汚いことも教えますね」
「え? そう?」
「良いならいいですけどね。でもまあ、歴史を無視した改革はうまくいかないものです」
「莉雹様もそんなこと言ってたね。規定服も前の方がよかったって言う人もいるんだって」
「慣れるまではそうでしょうね。ですが規定服の変更は必要なこと。胸を張って良いですよ」
「んー……」
立珂はううんと口を尖らせて唸った。
今までは薄珂に教えられるばかりだったのに、今では薄珂が教えられる事も少なくない。
(服が立珂に新しい世界をくれた。なら俺は立珂の店を守る。でも……)
頭に浮かぶのは怒りに満ちた浩然だった。
薄珂は立珂のために護栄の力を必要とした。そして浩然もまた、自分と蛍宮のために護栄を必要としているのだ。
薄珂は意を決して護栄に向かっていった。
「護栄様。お願いがあるんだ」
「何です?」
「財務経理を統括している。護栄様直属の部下になったのは僕が初めてだ」
「初めて……」
突如現れた青年の自己紹介に薄珂は引っかかりを覚えた。
宮廷職員は先代皇派を除きほぼ全て護栄の部下にあたるが、直属となると話は別だ。
以前護栄から聞いた言葉が脳裏に浮かぶ。
『私の元で生き残ったのは三人だけですよ』
護栄直属の部下は三名だけだ。
「三人の生き残りの一人!」
「は?」
「あ、いえ」
護栄には大きく四つの仕事がある。
一つは皇太子天藍に関わる全てを行う秘書官だ。政治も雑事も何でもで、これが主業務だ。
二つ目は先代皇派の協調だ。かつては敵でも国を想う気持ちは同じ――という建前を持って手のひらで踊らせる政治的軍師だ。
三つ目は職員の採用関連だ。天藍を引きずりおろそうとする者は少なくない。そのため宮廷に出入りする者は厳しい審査があり、それを統括している。
そして四つ目は、浩然が現場指揮を執る財務経理だ。宮廷予算を一手に担う存在である。
(大きな方針は護栄様が決めるけど、実際やるのは別の人なんだっけ。それがこの人か)
浩然はいかにも知的な顔立ちで、凛とした雰囲気はどことなく護栄に似ている。
着ている規定服も着崩さずきっちりと着こなしていて、上品な立ち姿も護栄を彷彿とさせた。
それだけに剥き出しの敵意は護栄に睨まれてるようで恐怖を覚える。
「えっと、護栄様に会いに来たの?」
「いや。君に話があるんだ」
「俺に?」
「護栄様がどういう方か知っているか」
浩然は薄珂の言葉へ食い気味に問いかけてきた。
睨まれる圧が強すぎて薄珂は思わず一歩下がってしまう。
「凄い人だと思ってるよ」
「当然のことを言うな。何故凄いんだと思う?」
「……戦争を三日で終わらせたとか、難しいことなんでもできるとか」
「三日で終わらせた具体的な方法は? 難しいことというのは何を指している?」
「え……」
浩然はじりじりと距離を縮めてきた。
何か答えなければと口を開きかけたが、それを待たずに浩然はまた語り始めた。
「知らないだろう? あの方がこの国にとってどれだけ重要か、君は話でしか知らない」
それは確かにそうだ。行動を共にする中で凄い人物であることは実感しているが、具体的にやっていることは知らない。
護栄に関して無知である事が罪ならば、今罰せられても仕方がない。
だがここは政治の場ではない。立珂の店の前だ。
浩然の怒りの理由は分からないが、立珂が笑顔でいられるこの場所を踏みにじられるのは我慢ならなかった。
「それ今ここで話す必要ある? 立珂の店には関係無いよ」
「そうだ。関係無い。関係のないことで君は護栄様の時間を奪っている。その裏で何が起きているか分かっているか」
「知らないけど……」
「護栄様の分を他の者で穴埋めをしなくてはいけない。だがあの方の穴を埋めるなんてできないんだ。そのために五人も十人も過重労働になっている。君達兄弟のために何人もが犠牲になっているんだよ」
「犠牲って、でも護栄様は」
「自分のことは自分でやってくれ。護栄様の手を煩わせるな!」
「は?」
そう言うと、浩然は薄珂をひと睨みして去っていった。
(なんだあいつ~!)
*
その夜、家で夕飯を食べている間も立珂は今日を振り返り興奮していた。
「お客さんいっぱいだったね!」
「『りっかのおみせ』にも来てくれるって言ってたな」
「欲しい物も教えてくれた! 羽を抑える物が欲しいんだって!」
「抑える? 羽が痛んだら宮廷に買ってもらえないぞ」
「お仕事してお金もらってるから羽根売る必要ないんだって。んで、お仕事には羽が邪魔だから抑えられる服が欲しいって」
「ああ、そっか。芳明先生もそうだよな」
「それでね。僕こういうのどうかなと思ってるの」
立珂は帳面を取り出して絵を描き始めた。
それは羽をしまえる服や縛る帯のようなもので、けれどどうしても見栄えが悪くなることを悩んでいるようだった。
こんなに一生懸命な立珂が見れるのは『天一有翼人店』という新しい挑戦があってこそだ。
けれど薄珂は浩然に言われたことが気になっていた。
『自分のことは自分でやってくれ。護栄様の手を煩わせるな!』
(そうだよな。商談ならともかく、客寄は違うよな)
だが店員になりたいというのは護栄本人が言い出したことだ。無理にやらせているわけではない。
しかし薄珂と立珂がいなければこんな余計なことに時間は割かなかっただろう。
表情をころころさせる立珂を見て幸せを感じる反面、その犠牲になっている何かがあるのだ。
(でも護栄様は情に流されず犠牲を出し大きなことを成す。それが『人を狂わせる覚悟』だ)
護栄は言葉巧みに人を動かし戦争を勝利へ導いた。
その裏で犠牲になったのは先代皇派で、だから今も戦い続けている。
(けど護栄様は優しい人だ。犠牲を承知で断行するのは非情だからじゃない。きっと……)
薄珂の頭には護栄によく似た雰囲気の浩然が思い出され、ぎゅっと拳を握りしめた。
*
そして翌日、売り場に行くと既に護栄がやって来ていた。
『天一有翼人店』の服を身に着け商品を一つ一つ見ている。
「おはよう。どうしたの?」
「おはようございます。この服の形状の意味を考えてまして」
「形状?」
「立珂殿の服は複数の布を釦と紐で組み合わせるのが基本。これは縫製の手間があるでしょう」
「だって有翼人は布がばらばらじゃないと駄目なんだもの」
「それは何故です?」
「一人で着替えられないからだよ。穴が開いてても通すために羽を折り曲げて外から引っ張らなきゃいけないでしょ?」
「いっぱい動くから汗かいちゃうの。着替えるだけで汗疹になるの」
「なるほど。では部品だけ売ってみては?」
「『りっかのおみせ』では売ってるよ。でも『天一有翼人店』でそれやると安っぽく見えるかなって」
「それはありますね。使い回しのような印象もありますし」
「うん。それに利便性を追求するのは『りっかのおみせ』ならではにしておこうと思って」
「差別化ですね。なるほど。これは客へ教えるべきことですね」
美星に言われて考えることでもあったのか、護栄は片っ端から立珂に魅力の説明を求めた。
それもすぐに理解し、早くも立珂と服の議論をしている。
立珂はにこにこと嬉しそうにしていて、耐え切れず笑いが零れたようだった。
「うふふ!」
「何です?」
「護栄様が服のお話してくれて嬉しいの。たのしいの!」
「……服など着られれば良いと思っていました。ですが知れば奥深い。私はもっと既存の服に似ていた方が良い気がします」
「う? なんで?」
「抵抗があるんです。立珂殿の服は劇団の衣装に近い印象がある。これで賓客をもてなすのは少々難しい」
「そっか。ふざけてるって思われるかもしれない」
「ええ。着易さを損なっても現状に寄せた方が良いでしょう」
「そうだよね。こっちが大人になった方が穏便なこともあるし」
「う? どういう意味?」
「この服の良さを理解せず怒る人は相手にしない。喜ぶこと言って気分良くさせて流すんだよ」
「おー」
「あなたは意外と汚いことも教えますね」
「え? そう?」
「良いならいいですけどね。でもまあ、歴史を無視した改革はうまくいかないものです」
「莉雹様もそんなこと言ってたね。規定服も前の方がよかったって言う人もいるんだって」
「慣れるまではそうでしょうね。ですが規定服の変更は必要なこと。胸を張って良いですよ」
「んー……」
立珂はううんと口を尖らせて唸った。
今までは薄珂に教えられるばかりだったのに、今では薄珂が教えられる事も少なくない。
(服が立珂に新しい世界をくれた。なら俺は立珂の店を守る。でも……)
頭に浮かぶのは怒りに満ちた浩然だった。
薄珂は立珂のために護栄の力を必要とした。そして浩然もまた、自分と蛍宮のために護栄を必要としているのだ。
薄珂は意を決して護栄に向かっていった。
「護栄様。お願いがあるんだ」
「何です?」